{{toc}} !シャバカ (Shabaka) !PCが予め知ってていい情報  シャバカは、[[古代エジプト]]の[[新王国時代|古代エジプトの新王国時代]]末期の[[ファラオ]]。[[ヌビア|歴史的ヌビア地域]]出身だが、古代エジプト王朝の伝統に則した統治をおこない、エジプト各地の地方勢力に宗主権を認められた。 !追加情報 :'''小辞典版推奨判定''':「歴史+知性 目標値10〜12」 ::'''やや詳しい情報''' シャバカは、[[ヌビア王朝]]とも呼ばれる[[古代エジプト第25王朝]]のファラオ。在位期間は、B.C.716年〜B.C.702年。 :: 同王朝の開祖と目される[[ピイ]](ピエ)の弟で、現在は、ピイの跡を継いだ第2代と数えられている。「[[ピイの勝利碑文]]」などが発見され、ピイの事跡が詳しく知られるようになるまで、シャバカが第25王朝の開祖と目されていた時期もある。 ---- :'''小辞典版推奨判定''':「歴史+知性 目標値12〜14」 ::'''詳しい情報''' シャバカは、兄で前代ファラオだったピイの事業を継承。上、下エジプトの各地で神殿などの改修、造築、建築の事業をおこなった。このため、かつてはピイよりも著名だったのである。 :: シャバカの命で建造された宗教建築は、ヌビア王朝の伝統に従い[[アメン神]]に関係する物が多かった。しかし、他の伝統神を祀る建築も積極的に進めている。 :: シャバカの命による宗教建築は、テーベ、メンフィス、アビドス、デンデラ、エスナ、エドフなど、古くからの宗教センターの多くで見ることができる。建築事業が各地で遂行されたことからは、エジプト各地の地方勢力が、ヌビア王朝の宗主権に服していたことが知れる。 :'''小辞典版推奨判定''':「魔術+知性 目標値12〜14」 ::'''詳しい情報''' シャバカは、宗教建築をおこなうだけでなく、各地の神域から、秘伝の宗教文書を収拾したことでも知られる。 :: 例えば、現在[[ブリティッシュ・ミュージアム]]に収蔵されている[[シャバカ石]]には、「メンフィスで発見された古いパピルス文書からの写しである」として創造神に関するメンフィス神学が記されていた。 :: 俗世の歴史学者どもは、シャバカ石の碑文を、シャバカの代の“創作”されたものだ、と言っているが。どうしてそのような断定ができるだろうか? ::'''注:'''「碑文には部分的に読めない箇所も多いが」の箇所は、未確認なので、フィクション設定としておきます。ただ、シャバカ石の碑文に摩滅や傷が多いこと、その内容が、現在の研究者に「創作」と見られていることは確かなようです。 !GM向け参考情報  シャバカは、かつては第25王朝の開祖として、それなりにメジャーだった人物ですが、[[ピイ]](ピエ)の事跡が知られるようになってからは、イメージ上、影が薄くなって来てる印象です。 !!事跡  シャバカの治世は、アッシリアの勢力が、シリア・パレスティナを制圧し、エジプトに及ぶ前夜。王朝は、宗主王朝として、平穏にエジプト各地の地方政権の上に君臨できたようです。  シャバカの命で各地に建造された宗教建築は、各地の地方勢力も、第25王朝の宗主権を認めていたことの証拠、と目されています。  没後、遺体は、ヌビア地方のアル=クッルに埋葬されました。 !!人物像  とりあえず、[[アメン神]]をはじめ、古代エジプトの伝統神の崇拝を推し進めた宗教好きのファラオ、という線でいいと思います。  アメン神の崇拝は、[[ヌビア王朝]]の伝統ですが、アメン神以外の宗教建築も積極的に進めたところに、宗主王朝ファラオとしてのシャバカの意気込みを覗えるでしょう。 !!関連遺物 :[[シャバカ石]] シャバカせき: [[古代エジプト]]の[[新王国時代]]末期に、[[ファラオ]]だった[[シャバカ]]の命で作製された石碑。主要部分のみが遺っている。 !!ソース案 !リンク *[[小辞典]]{{br}}⇔ [[小辞典ワールド編]]{{br}}⇔ [[歴史上の実在人物]] !活用や検討 !!活用 !!検討 *検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は書き換えられても仕方なし、ってことで) ----