{{toc}} !シャルマネセル4世 {{br}}シャルマネセル よんせい {{br}}(Shalmaneser IV) {{br}}簡易版 !簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。 !PCが予め知ってていい情報 *「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。  「シャルマネセル4世」は、[[新アッシリア時代]]の[[アッシリア|アッシリア国家]]支配者の1人。紀元前8世紀前半期に10年ほど在位。  [[アッシリア帝国]]初期の人物だが、その事跡、人物像などは、[[定かには解明されていない|定かでない]]。 !やや詳しい情報 *なければ、書かなくてもOK。  シャルマネセル4世は、[[アダド・ニラリ3世]]の息子で、[[アッシュル・ダン3世]]の兄。アッカド語に基づくアッシリア王名は、「シャルマヌ・アシャリド(Shulmanu-asharid)」。意味は、「シャルマヌ神は至高なり」。  先代にあたるアダド・ニラリ3世の跡を継ぎ、B.C.783年頃アッシリア帝国の[[帝位|古代アッシリアの王位]]にあった、と思われる。在位期間は、B.C.783年頃〜B.C.773年頃の足掛け11年。  シャルマネセル4世の代は、[[アッシリア帝国]]の初期だが、帝国の支配が緩んでいった時期にあたる。  アダド・ニラリ3世の治世からはじまった、統治力弱体化が進行。王名による記録が少なくない、あっても断片的なものになっている。これは、中央王宮での高位に就いた宦官たちが、集団で王の直接統治を妨げていたため、とも推測されている。  しかし、宮廷でのできごとの実態は、[[詳しくは知られていない|定かでない]]。シャルマネセル4世の事跡や人物像も、まったくと言っていいほど[[解明されていない|定かでない]]。  遠征先征服地での諸将の半独立傾向、将軍[[シャムシ・イル]]の影響力拡大、旧属国群の間で強まる自立化傾向、属国からの貢納物の停滞などなどが、アダド・ニラリ3世の代、あるいは、[[アッシュール・ダイン・アピルの反乱]]以降にはじまった、統治力低下の現れと考えられている。 ----  シャルマネセル4世の代、シャムシ・イル軍勢を率いて[[がウラルトゥ王国]]に遠征したことが、伝えられている。首尾は定かでない。B.C.773年頃にもシリア方面に遠征があったようだ。 !さらに詳しい情報 *「難易度がある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。  「増補待ち」 !GM向け参考情報 *GM向けの捕捉情報、マスタリング・チップス、アイデア・フックなど  「増補待ち」 !リンク *[[小辞典]]{{br}}⇔ [[小辞典ワールド編]] !!関連項目 *[[アダド・ニラリ3世]] *[[アッシュル・ダン3世]] !!資料リンク *[[Wikipedia英語版:Shalmaneser_IV]]{{br}}[[Wikipedia日本語版:シャルマネセル4世]] !活用や検討 !!活用 *このページの記事を踏まえた、[[アイディア・フック]]、使ってみた[[シナリオ]]、セッション・レポ、などなど {{comment}} !!重要な改訂の情報 *内容に追加、変更があった場合のみ、でいいでしょう。{{br}}(誤字脱字の訂正や、文章を整える程度では記録不要) {{comment}} !!検討 *このページの記事内容についての質問、重要な疑問、改訂の要望など *検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は、随時書換え対象になりえます) {{comment}}