{{toc}} !シャバタカ !PCが予め知ってていい情報  シャバタカは、[[古代エジプト]][[新王国時代|古代エジプトの新王国時代]]末期の[[ファラオ]]。[[アッシリア帝国]]に対する政略で、[[シリア・パレスティナ地域]]の諸都市による対アッシリア抵抗戦を何かと支援した。 !追加情報 :'''小辞典版推奨判定''': 歴史+知性 目標値10」「情報+知性 目標値12」 ::'''やや詳しい情報''' [[ヌビア王朝]]と呼ばれる古代エジプト[[第25王朝]]のファラオ。在位B.C.702年?〜B.C.690年?。同王朝の先代ファラオ、[[シャバカ]]の子。(シャバタカとシャバカを混同しないよう注意) :: [[アメン神]]の神嫁の地位にあった叔母、[[アメインイルディス1世]]と婚姻し、アメン神の化身としてのファラオの地位を獲得。姉妹であるシェプエンウエペト2世(シャバタカとの長幼関係は不明)を、アメンイルディス1世の養女とした。 ---- :'''小辞典版推奨判定''': 歴史+知性 目標値12」「情報+知性 目標値14」 ::'''やや詳しい情報''' 父シャバカ王の代、北方対策に忙殺されていた観のあるアッシリア帝国は、シャバタカの代、シリア・パレスティナ地方での支配力強化に勤めた。アッシリア側で[[センナケリブ]]が帝位にあった代にあたる。 :: シャバタカは、アッシリア軍に対し抵抗姿勢を示していた[[ユダ王国]]の[[ヒゼキア]]王を支援していた。このことは、アッシリア側の記録からも知れる。 !GM向け参考情報  シャバタカの事跡は、日本語の一般向け書籍ではあまり詳しく説明されているものを見かけないようです。  エジプトのファラオ歴代の内でも、彼の父、シャバカと並び相当に地味な部類でしょう。そのため、「アッシリアに負けたファラオ」との評価が、巷間、弟の[[タハルカ]]一身に集中している観があります。これはあまり冷静な歴史整理とは言えないでしょう。  ともあれ、よくわからない人物ほど、フィクションのネタにし易い、という「ブルーローズ」シナリオ・メイクの原則に、シャバタカをあてはめてみるとどうなるでしょうか?  よくわかっていないとこはいいけど、ドラマチックな歴史の転換点には直接関わることが少なかった気はします。  ただし、[[アメンイルディス1世]]との婚姻は、注目です。  アメンイルディス1世は、シャバタカの叔父、第25王朝の開祖とされる[[ピイ]]の姉妹で、ピイの代にアメン神の神嫁の地位に就いていた王族です。  ですから、シャバタカは(シャバカもですが)、王朝代々の方針に従って、[[アメン神官団]]との関りを深めた、とは言えるでしょう。 !!事跡  シャバタカが、先代の父シャバカの在世中に共治王に任じられていたかは調べきれていません。 :B.C.702年? 即位年:父、シャバカの没後、ファラオとなった。  叔母にあたるアメインイルディス1世(先々代ピエ、父シャバカの姉妹)との婚姻が何年のことだったかは調べきれていません。  姉妹であるシェプエンウエペト2世(シャバタカとの長幼関係は不明)を、アメンイルディス1世の養女としたのが何年のことだったかも調べきれていません。  ただ、これらのことから、アメン神官団に対する王朝の影響力が、より強められたことは覗われます。 :B.C.701年頃 統治2年目頃:ヒゼキア王のユダ王国は、シャバカの代のエジプト軍を友軍として、即位4年めの[[センナケリブ]]率いるアッシリシア軍とユダ王国領沿岸部、エルテカの地で会戦し惨敗。このとき、タハルカが後衛軍に従軍していた。 :B.C.700年 統治3年目?:シリア・パレスティナ沿岸のフェニキア系都市ビュブロスがアッシリアに占領される。 ::シリア・パレスティナ地方の都市国家は、ユダ王国を含め、B.C.720年頃からサルゴン2世のアッシリアに従属的だったが、折りをみては反抗を試みていた。 ::アッシリアからの圧力が高まるに連れ、諸都市の間に同盟の気運が生まれていた。 ::シャバタカは、各都市の対アッシリア反抗を支援。場合によっては都市国家の同盟を仲介したりもしたようだ。 ::この過程で、「エジプト王朝は、シリア・パレスティナの諸都市に宗主権を持つ」との主張が前面に押し出されていった。 :B.C.690年? 統治12年目:シャバタカ死没。[[クシュ地方]]のヌリの地に埋葬される。後継は弟タハルカ。 !!人物像  すでに触れたように、日本語の一般向け歴史書、特に概説書の類では、シャバタカの事跡を細かく整理して説明してある本を、めったに見かけません。  シャバタカを、シナリオのネタに絡めるとしたら、ポイントはおそらく2つ、3つに搾れます。 A)シャバタカ自身は、現スーダン北部のヌリに葬られ、メロエ式ピラミッドで祀られた。 B)シャバタカは、叔父であり、第25王朝開祖でもあるピエや、それ以前からのヌビア王朝の伝統に従い、アメン神神官団との関りを深め、神聖王としての権威をもって、宗主王朝としてエジプトに君臨しようと試みた。 C)シャバタカは、アッシリア帝国との政戦両面の国際政治においても、シリア・パレスティナ諸都市に対するエジプト王朝の宗主権という伝統的な根拠を前面に押し出さざるを得なかった。  しかし、第25王朝にとって、宗主権の伝統的な主張は、長期的にみれば、かえって自らの首を絞める結果に繋がったようです。  エジプト王朝とは別タイプですが、やはり祭政一致の宗教国家だったアッシリア帝国の方では、必ずしもうまくいっていたとは言えませんが、帝国の統治機構の確立が努力がされてました。  征服地各所でおこなわれた捕囚政策も(現代人のセンスからすれば乱暴なおこないですが)、そうした政策の一貫でした。  一方、第25王朝の方は、と言うと、ナイル流域ですら、各地で事実上分立していた支配者たちの上に名目的に君臨していただけの体制でした。  「だけ」と言い切るとアン・フェアで、第25王朝歴代ファラオにしてみれば、おそらくは、アメン神殿の権威をもって、エジプトを統治しよう、との目論見だったのでしょう。  しかし、時代はすでに鉄器時代。  技術力は、以前より広い領域でのより密度の高い交流を可能にしていました。従来とは、異なった形式の社会体制が求められていた時代です。  そんな時代に新王国時代後半の王朝が組織していた、強力な官僚機構の域にも達していなかった王朝が、伝統的な秩序意識に従って統治に臨んでいたのです。(いえ、もしかしたら、官僚機構、といった組織原理となじみがなかったために、伝統的な秩序意識を強く唱えたのかもしれませんが)  第25王朝は、シャバタカの次代、[[タハルカ]]の代に、エジプトに対する支配力を喪ない、王朝の故地に引き篭もります(それでも続いたところが古代のロマンですが)。その統治体制と、彼らのスタンダードな秩序意識からして、滅びるべくして滅びた王朝と言えます。  脆弱な統治体制では、主張する「宗主権」にみあっただけの実力介入や、事態の急変に対する即応は不可能だったからです。だからこそ、小国家の反乱をバック・アップと言った陰謀めいてみえる政策に頼らざるを得なかったはずです。  シャバタカ自身は、王朝の宿命に殉じた人物と言えるるでしょう。  ――と、以上は、陰謀史観の類を排除した歴史整理です。アメン神官団との関係云々を学問的に論証するのは大変でしょうけど、門外漢の考察としては比較的冷静な部類でしょう。  フィクションの設定としては、もっといろいろな人物像を料理する余地はあります。やはり、細かな事跡が未整理な人は材料として美味しい(笑)。  スタンダードなところでは、古代の陰謀戦に自信満々で取り組んだ策士というところでしょうか? ヒーローものドラマの悪役に類比すると、例えば、策士策に溺れるのタイプで、主人公たちを罠に追い込むことはできるけど、結局は自分で墓穴を掘るタイプ、などです。  シャバタカが、古代の[[シャドウ・ウォーズ]]にどこまで関っていたことにするかは、各GMの自由判断ですが、あまり深く関っていたことにするには、ドラマチックさに欠けるきらいはあります。  ここは、アメン神官団側の、[[シャドウ・ウォーズ]]的な陰謀に、うまうまと乗せられ、ハメられてしまった普通の策士、という役どころはどうでしょう?  アメン神官団の側にしてみれば、[[ヌビア|歴史的ヌビア地域]]から出てきた王朝に、神殿を牛耳られることの不満があった、としても、フィクション設定としては割と説得力がある方です。  この路線でいくなら、シャバタカ自身は、古代シャドウ・ウォーズに翻弄されたタイプの人物となります。  アメンイルディス1世や、タハルカ、[[タヌトアメン]]の代に、上エジプト知事、テーベ市長を兼ねた[[メンチュエムハト]]なども絡めることができたらおもしろくなりそうです。 !!関連遺物 :アメンイルディス1世彫像: [[カルナック]]出土の、アラバスターによる全身立像。カイロ考古学博物館収蔵。 !!ソース案 !リンク *[[小辞典]]{{br}}⇔ [[小辞典ワールド編]]{{br}}⇔ [[歴史上の実在人物]] !活用や検討 !!活用 !!検討 *検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は書き換えられても仕方なし、ってことで) ----