!歴史的スーダン れきしてきスーダン (Historical Sudan) 暫定版 !記事内容追加調査中の暫定版です !PCが予め知ってていい情報  「歴史的スーダン」は、中世に[[サハラ|サハラ沙漠]]より南の[[アフリカ]]に進出したイスラム教徒たちが名づけた地域名。アラビア語で「黒」の複数形を意味し、地域名としては「黒人(の土地)」が含意された。現在の[[スーダン|スーダン共和国]]領よりも広い領域を指した。西欧諸国がアフリカに侵出した後も、かなりの間、継承して利用されていた。  現在は、現スーダン領と区別するために「歴史的スーダン」と呼ぶのが慣例。 !追加情報 :'''小辞典版推奨判定''':「歴史+知性 目標値8〜10」「言語+知性 目標値10〜12」 ::'''やや詳しい情報''' 「(歴史的)スーダン」は、ヘレネス(ポリス時代の古代ギリシア人)が、[[ヌビア|歴史的ヌビア地域]]を「エチオピア(やはり肌の黒い人の土地の含意)」と呼んだのと同類の発想と言える。 :: 古くから、[[シリア・パレスティナ]]、[[メソポタミア|メソポタミア地域]]や[[古代ギリシア]]、[[古代ローマ]]などと大々的に交流し、[[地中海人種]]が主流になっていた[[北アフリカ]]とは異質な地域、といったイメージだったことだろう。 :'''小辞典版推奨判定''':「歴史+知性 目標値10〜12」「情報+知性 目標値12〜14」 ::'''やや詳しい情報''' 歴史的スーダンは、概ね、[[リビア沙漠]]及び、[[サハラ沙漠]]より南の、ステップ、サバンナの気候地域を指した。[[コンゴ盆地]]以北で、[[ギニア湾]]沿岸から、エチオピアまでの広い領域だが、南方の熱帯密林地帯と、北の乾燥地帯、半乾燥地帯との間、とイメージすると、大まかな理解ではあってもかなりイメージし易くなる。(例えば、細かく見れば[[チャド湖]]以東の歴史的スーダン中央部は、かなりの地域が半乾燥地帯に占められている) :: この地域に一部でもかかる[[現存国家]]を挙げると、以下のようになる。(概ね、西方から東方へ向けての列挙) ::[[ギニア共和国]]、[[シエラレオネ共和国]]、[[リベリア共和国]]、[[マリ共和国]]、[[コートジボワール共和国]]、[[ブルキナファソン]]、[[ガーナ共和国]]、[[トーゴ共和国]]、[[ベナン共和国]]、[[ニジェール共和国]]、[[ナイジェリア連邦共和国]]、[[カメルーン共和国]]、[[チャド共和国]]、[[中央アフリカ共和国]]、[[スーダン共和国]]、[[エリトリア国]]、[[エチオピア連邦民主共和国]]、[[ジブチ共和国]]、[[ソマリア民主共和国]] :: 現在のスーダン領は、歴史的には西スーダンと呼ばれた地域の中核部と言っても、そう間違いではない。[[エチオピア高原]]に関しては、西欧諸国の侵出期にも長く独立を保った関係から、歴史的スーダンの内での少し性格の違う地域、とイメージされることが多い。しかし、中世のアラブ人は、エチオピアも「(歴史的)スーダン」の一部とイメージしていたことは、記憶しておいても損ではなだろう。 ---- :'''小辞典版推奨判定''':「歴史+知性 目標値12〜14」 ::'''詳しい情報''' 歴史的スーダンと一言に言っても、歴史的には決して一様の地域ではなかった。大きくは、[[ニジェール川]]流域地域、[[コンゴ盆地]]、[[ナイル水系]]上流域、[[エチオピア高原]]など、複数の中心地を持ち、各地域の狭間に勢力が形成されることもあった。 :: アラブ人勢が地域に進出していくようになってからだけでも、[[アルワ王国]]、[[ガーナ帝国]]、[[カネム・ボルヌ帝国]]、[[ソンガイ帝国]]、[[ノバティア王国]]、[[マクリア王国]]他、多数の国家が盛衰した。 !GM向け参考情報  「歴史的スーダン」は、極めて大づかみな地域概念です。実際の歴史でも、東スーダン(歴史的スーダンの東部)、中部スーダン、西スーダンに大別することがよくなされました。  西欧諸国が侵出し、植民地支配を及ぼした時代には、東スーダンはほとんど[[フランス|フランス共和国]]の支配下におかれ、中部スーダンではフランスの支配が優勢で一部にU.K.(連合王国)の支配がなされました。西スーダンは少し特殊で、U.K.とその影響下にあった[[エジプト|エジプト=アラブ共和国]](政治史で「アングロ=エジプト」政府とも呼ぶ)との支配力、影響力が強く及びました。が、[[エチオピア高原]]は長く独立を保ちました。([[ソマリ・ランド]]はU.K.領とされましたが、現在の[[ジブチ|ジブチ共和国]]領などは[[イタリア|イタリア共和国]]領とされました。  中世にアラブ人イスラム商人が定常的な交流を築いた時期には、すでに土着の有力国家は、その多くがイスラム化していました。  [[ニジェール川]]などを経由した中継貿易で、イスラム教が伝播していったのだ、と推測されています。あるいは、「貿易に有利なので、国家がイスラム教を採用したのだ」とみなす[[説もあります|諸説ある]]。実際、[[マリ帝国]]の宗教は、イスラム教と土着の民俗宗教とを折衷したものだったようです。  アラブ人イスラム商人たちは、歴史的スーダンには主にニジェール川を利用して進出していったケースが多いようです。 !!用途  [[マスウーディー]]や[[バクリー]]、[[イブン・ハルドゥーン]]や[[イブン・バトゥータ]]など、中世イスラム教徒の地理学者、探検家たちが歴史的スーダンについて記したか(?)と思われる未確認の草稿などを、導入用題材に使う手が考えられます。  古代史ネタとしては、伝説的な古代ローマの遠征軍や、彼らが植民市を築いたと言う伝承。[[サハラ|サハラ沙漠]]が沙漠化する以前にまで遡るサハラ越えの交易([[トランス・サハラ交易]])なども題材として考えられます。 !リンク *[[小辞典]]{{br}}⇔ [[小辞典ワールド編]]{{br}}⇔ [[ランド・マーク]] //関連項目 !活用や検討 !!活用 ---- !!検討 *検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は書き換えられても仕方なし、ってことで) ----