{{toc}} !タウセルト ;'''アラビア語名''':(調査中) :'''英語表記''':Twosret :'''フランス語表記''':Taousert !PCが予め知ってていい情報 *「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。  タウセルトは、[[古代エジプト]]の[[新王国時代|古代エジプトの新王国時代]]に、[[第19王朝|古代エジプト第19王朝]]最後の[[ファラオ]]として、短期間統治した女性。現在では、よく「タウセルト女王」と呼ばれる。  統治したのは、紀元前12世紀の前半頃で数年間。 !追加情報 *「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。 :'''小事典版推奨判定''':「情報+知性 目標値=8〜10」「交流+知性 目標値=10〜12」 ::'''簡単な情報''' (必要に応じて[[ゲーム前ブリーフィング]]や[[ブレイク]]を使いGMから素でプレイヤーに伝えてもいいかもしれない) :: タウセルトは、第19王朝第4代ファラオだった[[メルエンプタハ]]の娘で、第2代だった[[ラメセス2世]]の孫娘にあたる。第6代ファラオ[[セティ2世]]の妃だった。 :: “女王”としてタウセトが単独統治した期間は、B.C.1191年〜B.C.1190年頃の2年間と思われる。あるいは、B.C.1188年〜B.C.1186年、あるいは、B.C.1187年〜B.C.1185年の足掛け3年間とも言われる。 :'''小事典版推奨判定''':「歴史+知性 目標値=10〜12」「情報+知性 目標値=12〜14」 ::'''やや詳しい情報''' 第20王朝の時代に編まれた[[大ハリス・パピルス]]や、さらに後代に編纂された[[マネトー]]の『[[エジプト誌]]』の記述を信じるなら、タウセルトは、セティ2世の跡を継いだ[[シプタハ]]の後見人、あるいは共同統治者となり、シプタハの死後、単独統治になった、とされる。ただし、シプタハの生母だったとも思えない。シプタハの出自は不明瞭な点があるが、義理の母子の関係だったかもしれない。 :: シプタハの治世は、5〜6年なので、共治期間も想定するなら、タウセルトは7〜8年第19王朝を統治したことになる。単独統治時代のタウセルトは、[[ハトシェプスト女王|ハトシェプスト]]同様、ファラオが用いた伝統的な称号をすべて用いた。現在の研究者の間には、タウセルトのことを「古代エジプト王朝最後の女王(女性ファラオ)」と呼ぶ意見が少なくない。これは、「クレオパトラ3世を出した[[プトレマイオス朝]]は、古代エジプト王朝からかなり変質している」といった含みの意見であることが多い。 :'''小事典版推奨判定''':「歴史+知性 目標値=12〜14」「情報+知性 目標値=14以上」 ::'''詳しい情報''' タウセルトの治世は、細かな点はわかっていない。おそらく、[[アメンメセス]]から[[セティ2世]]への代かわりの際に生じたと思われる王朝の混乱が続いたようだ。メルエンハプタが鎮圧した各地の反乱や、周辺民族の侵出が再燃した可能性が高く、第19王朝の統治は急速に失われていった。 :: 詳細な経緯は再構成されていないが、タウセルトの治世は、王朝の中枢も、いくつかの派閥が争う内戦状態になった可能性すらある。少なくとも、[[ナイル・デルタ]]方面では、すでに侵出していた[[リビア系部族|古代リビア人]]らに支配された地方も少なくなかったようだ。 :: 正確に言うなら、「メルエンハプタの死後、第19王朝の統治力が失われていく内、最後の数年間を女性ファラオとして統治したのがタウセルトだった」と、いうことになる。 :'''小事典版推奨判定''':「歴史+知性 目標値=14以上」 ::'''さらに詳しい情報''' 生前のタウセルトが、準備させた墓所は、その後、[[第20王朝|古代エジプト第20王朝]]初代ファラオとなった[[セトナクト]]が、自分の墓所として転用した。 :: タウセルトのミイラは、[[王家の谷]]のコードKV35の墓室から発見された「未確認女性ミイラD」がそれだ、[[とする説がある|諸説ある]]。 :: KV56のカシェ(隠し墓所)から発見された宝飾類もタウセルトと関係するものかもしれない。ただし、こちらは、女性ファラオになった人物の遺品としてはたいへんつつましいので、あるいは、幼くして亡くなったセティ2世とタウセルトの娘の副葬品だったのではないか、とも言われている。 :: 女性ファラオとして統治したタウセルトだが、その記録は、ハトシェプスト女王のように、組織的な抹消が図られることはなかった。 :: [[ヘリオポリス]]や[[テーベ]]の発掘調査では、タウセルトの彫像が発見されている。タウセルトの名を刻んだ碑文も、[[アビュドス]]や[[メンフィス]]などの遺跡で発見されているし、[[ヌビア地方|歴史的ヌビア地域]]での発見例もしられている。 :: ただ、単独統治した期間が短かったこと、おそらくは、政治的混乱もあったことも理由になって、碑文などの発見例は多いとは言えない。 !GM向け参考情報 *GM向けの補足情報、[[マスタリング・チップス|チップス集]]、[[アイデア・フック]]など  「増補待ち」。 !リンク *[[小辞典]]{{br}}⇔ [[小辞典ワールド編]]{{br}}⇔ [[歴史上の実在人物]] !!関連項目 *[[古代エジプト第19王朝]] *[[セティ2世]] *[[シプタハ]] *[[メルエンプタハ]] *[[ラメセス2世]] !!資料リンク *[[Wikipedia英語版:Twosret]]{{br}}[[Wikipedia英語版:Nineteenth_Dynasty_of_Egypt]] !活用や検討 !!活用 *このページの記事を踏まえた、[[アイデア・フック]]、使ってみた[[シナリオ]]、セッション・レポ、などなど {{comment}} !!重要な改訂の情報 *内容に追加、変更があった場合のみ、でいいでしょう。{{br}}(誤字脱字の訂正や、文章を整える程度では記録不要) {{comment}} !!検討 *このページの記事内容についての質問、重要な疑問、改訂の要望など *検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は、随時書換え対象になりえます) {{comment}}