{{toc}} !西アフリカ にしアフリカ (Western Africa) 簡易版 !簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。 !PCが予め知ってていい情報 *「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。  「西アフリカ」は、[[アフリカ州|アフリカ]]の最も西部を指す地域名。アフリカ大陸は、北を上として、概ね ┓ のような形状をしているので、[[ギニア湾]]よりも北の地域を指すことになる。  [[サハラ沙漠]]の南部以南で、歴史的に西スーダンと呼ばれていた地域と、ギニア湾及び大西洋に面している[[上ギニア]]の地域からなる。  西と南とが、[[大西洋]]に縁取られている。ただし、[[カナリアス諸島]](スペイン領カナリア諸島)は含めなことが多い。  北辺は[[サハラ沙漠]]と目され、[[地中海]]に面した[[北アフリカ地域|北アフリカ]]の諸国は含めないことが多い。  東辺の定義は複雑で、話題に応じたいくつかの用例が知られている。時代ごとに、範囲の異同も認められる。  2006年現在、国連は、後述の16カ国の領域、及び、[[U.K.(連合王国)]]領を、西アフリカと定義している。しかし、歴史研究や考古学では、歴史、文化的な経緯から、国連定義の地域の周辺領域を西アフリカに含めることが少なくない。 :'''国連定義で、西アフリカとされている諸国''': *[[ガーナ共和国]] *[[カーボ・ヴェルデ共和国]] *[[ガンビア共和国]] *[[ギニア共和国]] *[[ギニア=ビサウ共和国]] *[[コート・ディヴォワール共和国]] *[[シエラ・レオネ共和国]] *[[セネガル共和国]] *[[トーゴ共和国]] *[[ナイジェリア連邦共和国]] *[[ニジェール共和国]] *[[ブルキナファソ]] *[[ベナン共和国]] *[[マリ共和国]] *[[モーリタニア=イスラム共和国]] *[[リベリア共和国]] *その他(U.K.海外領){{br}}[[セント・ヘレナ島]]、他 :'''しばしば歴史研究や考古学で、西アフリカに含められる地域''': *[[ガボン共和国]] *[[カメルーン共和国]] *[[赤道ギニア共和国]] *[[チャド共和国]] *[[西サハラ地域]] *その他{{br}}[[カナリアス諸島]](スペイン領) '''【参照地図】''' *[[West Africa countries|http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/ce/West_Africa_countries_%28strict%29.png]](西サハラ領域図,ダーク・グリーンの彩色部は、[[西アフリカ諸国経済共同体]]加盟国の領域、これに[[モーリタニア|モーリタニア=イスラム共和国]]領を加えると国連定義の領域になる,[[Wikimedia Commons]]) !やや詳しい情報 *「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。  西アフリカ地域を、「東経10°近辺で南北に想定される仮想線よりも西のアフリカ州、かつ、[[サハラ沙漠]]以南の地域」と定義することもできる。この場合「地中海沿岸部」は、[[地中海性気候]]の地域とするといいだろう。  大づかみな定義だが、現行の国境を度外視して、歴史などを検討するときには、かなり役に立つ。  地域は、概ね、アフリカ大陸の1/5を占めるとされることが多い。正確な面積は、定義に応じて変動するが、国連定義に従えば、概ね6,140,000平方kmほど。  地域の北辺、[[サハラ沙漠]]の外縁部は、しばしば[[サヘル地域|サヘル]]と呼ばれる。サヘルの南方、内陸部には、海抜300m前後の高地帯が連続。高地地帯から南には、赤道密林が広がる。密林の外延にはサバンナ草原がベルト状に連なり、そのさらに外部が、大西洋に面す沿岸部になっている。  沿岸部から、サバンナ草原の微傾斜地に至る土地は、幅およそ160km〜240kmで連なっている。 ----  西アフリカ地域に、極めて近く、かなりの部分重なる地域区分に「[[マグレブ地域|マグレブ]]」がある。  現在は用いられることが稀になりつつあり、歴史的地域名に近づいている。元は、中世アラブ人が用い始めたものだが、第2次世界大戦前後には、フランス領北アフリカとされた地域を概括するようになった。実際は、U.K.やドイツも侵出したのだが、西アフリカでは、フランス支配優勢の情勢がしばらく続いたためだ。  植民地化されていた地域は、[[第2次世界大戦]]後、1960年頃から次々と独立。西アフリカ地域に限ったことでもないが、かつて西欧諸国によって地域に設けられた植民地境界線が、現行の国境線に、ほぼ踏襲されていることが少なくない。  やはり、西アフリカ地域に限ったことではないが、地域の民族集団は、国境線に分断され複数の国家に別れて居住しているケースが多い。 ----  西アフリカ地域では、1975年から多くの国が[[西アフリカ諸国経済共同体]]を組織し、加盟国間での関税障壁撤廃、貿易振興、経済協力や、独立の相互保障に取り組んできている。2000年に、モーリタニアが脱退。(モーリタニアは、2006年現在[[アラブ・マグレブ連合]]に加盟している(加盟は1990年から)。  2006年の加盟国は15カ国。現在は、地域の治安維持、紛争防止などへの抑止力、及び、実際にもちい得る軍事力として、[[西アフリカ諸国平和維持軍]](ECOMOG)も設けられている。(ECOMOGは、加盟各国国軍の一部から編成された統合軍、組織形態はNATO軍に似ている) !さらに詳しい情報 *「難易度がある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。  西アフリカ地域でも、定住農耕文化は古くから営まれていた。各地の農耕文化の内、ナイジェリア地域の[[ジョス高原]]で、遅くとも紀元前5世紀頃から営まれた[[ノク文化]]は、[[ブラック・アフリカ]]独自の鉄器文化の母胎の1つになった。  西アフリカ地域の無文字時代は、考古研究が現在進行中とみなすべきで、諸文化の盛衰経緯については、[[様々な歴史整理が試みられている|諸説ある]]。  地域の歴史は、アラブ商人によるサハラ交易が盛んになりだした頃から、記録が増えてきている。  [[ニジェール川]]流域では、[[ガーナ王国]]、[[マリ帝国]]、[[ソンガイ帝国]]などの黒人王朝が、8世紀前後から16世紀頃にかけて盛衰していった。  現[[モーリタニア領|モーリタニア=イスラム共和国]]にかかる[[サハラ沙漠]]の領域では、サハラ交易を中継したオアシス都市が栄えた。  他に、地域で栄えた歴史上の黒人国家としては、[[ギニア湾岸|ギニア湾]]の[[ダホメ王国]]や、[[ベニン王国]]も知られている。 !GM向け参考情報 *GM向けの捕捉情報、マスタリング・チップス、アイディア・フックなど  「増補待ち」 !リンク *[[小辞典]]{{br}}⇔ [[小辞典ワールド編]]{{br}}⇔ [[ランド・マーク]] !!関連項目 *[[アフリカ]] *[[北アフリカ]] *[[中央アフリカ]] *[[西アフリカの現存国家]] *[[西アフリカのランド・マーク]] *[[東アフリカ]] !!資料リンク *[[Wikipedia英語版:Western_Africa]]{{br}}[[Wikipedia日本語版:西アフリカ]] !活用や検討 !!活用 *このページの記事を踏まえた、[[アイディア・フック]]、使ってみた[[シナリオ]]、セッション・レポ、などなど {{comment}} !!重要な改訂の情報 *内容に追加、変更があった場合のみ、でいいでしょう。{{br}}(誤字脱字の訂正や、文章を整える程度では記録不要) {{comment}} !!検討 *このページの記事内容についての質問、重要な疑問、改訂の要望など *検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は、随時書換え対象になりえます) {{comment}}