古代リビア
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古代地域名、及び、古代民族名の「リビア」は、主にヘレネスたちの言語活動を通じて後世に伝えられた。例えば、「現在のモロッコからシーワ・オアシス?までの北エジプト?にあたる広域」を「リビア」と呼んだ事例は、ヘロドトスの文書にも見られる。
ただし、いわゆるヘレニズム期に到るまで、ヘレネスは現在知られているような広さ、形状のアフリカ大陸を認知していなかった。ヘレネスの常識では、世界は円盤状だったから。
つまり、ヘレネスは、ナイル川谷よりも西方で、アトラス山脈以東の地中海側の陸地全域を「リビア」とイメージした。リビアの南方に連なる陸地が「エチオピア」とイメージされていた。
古典ギリシア語で「リビア」を用いた例で、現在知られる内で最古(と思える)例は、ホメロスの『オデッセィア』に見られる。ただし、『オデッセィア』での用例は、地域名のみで、リビア人の用例は見られない。ホメロスは「リビアの地の住民は、「ロトファギィ(蓮を食べる人々)」と記している。
ヘレネスたちの間では、いつの頃からか、「リビア(古代リビア)の地域名は、イオの孫娘リビュエーの名に由来する」との神話的な由来譚が唱えられるようになった。
他方、フェニキア系の言語、古代ヘブライ語、ラテン語、さらにアラビア語でも「リビア」の名は伝えられた。
- 【参照イメージ】
古代エジプトでは、ヘレネスの言う「(古代)リビア人」の一部が、「リブ(族)」と呼ばれていた。
「リブ族」の名は、ファラオの碑文類にも見られ、まず、間違いなくヘネスが伝えた「リビア」の語源だろう、と目されている。ただし、古代エジプト人は「リブ族」の他にジェヘヌ族(Tjehenu)、タマフ族(Tamahu)、メシュウェシュ族(Meshwesh)など、複数の部族を、古代リビア人の間に弁別していたようだ。
その後、地域名としての「リビア」は、ローマ帝国の時代には、概ね現在のエジプト領の西方沙漠のあたりだけを指すようになり、ヘレネスが呼んだ「リビア」にあたる広域(現在の北アフリカの中西部)は「アフリカ」と呼ばれるようになった。
イスラム時代にも、「リビア」の地域名は、概ねローマ帝国時代の用法が継承されたようだ。エジプトのナイル流域の西方を漠然と指したが、決して北アフリカ広域とはイメージされなかった。
現在の地名、国名の「リビア」が用いられるようになったのは、第1次世界大戦と第2次世界大戦との戦間期に、当時のイタリアが植民地として統合したトリポリタニア、キレナイカ、フェザーンを総称した用法に由来する。
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参照:[リビュエー] [小辞典ワールド編]