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イシス女神

イシス女神 イシスめがみ (Isis) 暫定版

記事内容追加調査中の暫定版です

PCが予め知ってていい情報

 イシス女神は、古代エジプト?の伝統神の1柱。ヘレネス?によって、古代地中海の沿岸各地に伝えられた。ローマ時代には、メソポタミア、ギリシア、ローマ、ブリタニアなど帝国領の各地で女神を祀る神殿が建立され、東方密儀宗教?の1つとして盛んに崇められた。

 おそらく、古代エジプトの神々の内で、最も広い範囲で崇拝された神格だろう。

 同じように古代エジプトの外に広く伝えられた神格に、トト神?があったが、トト神が主に宗教家や学者の間で重んじられたのに対し、イシス女神は各地で多数の庶民にも崇拝された。一方で、イシス祭儀はローマ社会の上層の間にも広がったことが、東方密儀宗教の内では特徴的だった。

 イシス女神自体は、人間の女性の姿で形象られたが、当然のように様々な他の姿でも知られる。

追加情報

小辞典版推奨判定
「表現+知性 目標値10〜12」「歴史+知性 目標値12〜14」
やや詳しい情報 イシス女神は、オシリス神の姉妹にして配偶神であり、死したオシリス神を蘇らせた。メソポタミアから、シリア・パレスティナ?にかけて広く見られた、死と再生を司り、植物全般や穀物と関係するタイプの太地母神の1柱と目されている。オシリス神の配偶神であるイシス女神は、ホルス神の母神だ、ともされた。
 配偶神であるオシリス神も植物と関係する神格とされ、シリア?起原とも言われる。
 イシス女神も、外来神とみなされることがあるが定かでない。古代シリアで、アスタルテ女神?と同一視されたことが知られている。しかし、これはヘレネスが伝えたイシスがシリアで同一視されたもので、アスタルテがイシスのルーツだったわけではないらしい。
 イシス女神崇拝の起原については諸説あるが、下エジプトナイル・デルタでオシリス神の名にちなんだブシリス?の町が崇拝拠点だったことが知られている。現在、崇拝は下エジプトからエジプト各所に広がった、と言われることが多い。崇拝の最古の記録は古王国時代?の第5王朝?期のものが知られる。
 しかし、古王国時代の上エジプトでも、女神の祭儀はは、クサエ他でおこなわれた。その崇拝は、第5王朝時代よりも前に、エジプト各所に広がっていただろう、との推測説もある。
 ただし、イシス女神を祭神として女神のための神殿が建立されるようになるのは、はるか後代の新王国時代?、あるいは末期王国時代?のことになる。女神の祭儀は、各地の神殿でオシリス神の配偶神として、あるいは各地の女神と同一視される型で広まっていた。
 あるいは、農民層に太地母神としての崇拝が広まり、無視しきれなくなった各地の神殿が、順次、祭儀に採り入れた、とみなす説もある。が、このことを証拠立てる物証は知られていない。
 ただ、イシス女神の神官には、男性神官と女性神官とがいたことが知られている。あるいは、女性神官による民間祭儀が本来のもので、神殿に取り入れられた後、男性神官に祀られるようになったのかもしれない、との意見は、聞かれる。
小辞典版推奨判定
「言語+知性 目標値10〜12」「表現+知性 目標値12〜14」
やや詳しい情報 女神の名「イシス」は、古典ギリシア語?によって広まり、伝わったもの。英語では、よく「アイシス」と読まれる。
 古代エジプトの言語?で、何と発音されていたかは定かでない一説に、「イーセト」又は「イーセソ」と読まれていた、とも言われる。
 ともあれ、イシス女神の名を示す神聖文字には、「玉座」を示す絵文字が含まれている。また、オシリス神の神聖文字による神名にも「玉座」の絵文字が含まれている。
 先王朝時代?に、幾つかの地方王権で王がオシリス神の化身と、王妃がイシス女神の化身と考えられていたのではないか? と、の推測も以前にはなされた。しかし、この説は、先王朝時代に遡る崇拝の証拠が見出されていないため、現在は学説としては言われなくなってきている。
 古王国時代の宮廷祭儀では、イシス女神は守護者ホルス?の妻とされた。ファラオは「生けるホルス」とされたからだ。宮廷祭儀のイシス神は、死んだファラオの来世への転生を助ける女神とされた。女神の名が80回も繰り返されたピラミッド・テキスト?が知られている。女神は、ホルスの息子たち?の母親とされた。
 後、ファラオが太陽神ラー?の化身とされるようになると、ラー神の配偶神とされるようになった。
 さらに後、イシス女神は、母神としてファラオを養い育てる女神とされた。

小辞典版推奨判定
「表現+知性 目標値12〜14」
詳しい情報 「イシス女神とオシリス神の神話の古い型がどんなものだったか、現在では、たいへんわかりづらくなっています。
 イシス女神の祭儀が、古王国時代よりは中王国時代、さらに新王国時代と、後代ほど盛んになったからです。各地の女神と同一視されたイシス女神に、様々な性格が付け加えらていった、との事情もあります。
 おそらく、セト神?に謀殺されたオシリス神の死骸を求めてビュブロス?まで赴き、ナイル・デルタに遺体を持ち帰ったとされる女神の物語は、古い型の神話を伝えていることでしょう。
 セト神は女神の隠した遺体を見つけ出すと、細切れにしてナイルの各地にばら撒いてしまいます。女神はナイル各地を巡って、オシリス神の断片を集めます。ナイル川に沈んだペニスだけは、オクシリンコス魚?が呑み込んで回収できませんでした。
 しかし、イシス女神は、トリックを使ってラー神から聞き出した「太陽神の真の名」を唱えるとホルセイサ?(息子ホルス)を産みり、オシリス神を黄泉帰らせます。
 ホルセイサは成長するとセト神に挑むのですが、この辺の物語は、イシス女神とオシリス女神の神話の続編になっています。太陽神神話の影響が強く見られるので、元々は別だった物語が、イシス女神の神話に結び付けられたように思えます。
 イシス女神は、ヘリオポリス?の神殿に迎え入れられた後、ヘリオポリス9柱神?の1柱に祀られるようになりました。ヘリオポリスのイシス女神は、オシリス神、セト神と共に、ゲブ神?とヌト女神?の子とされました。セト神とネフティス女神は、イシス女神の弟神と妹神になります。
 イシス女神は、オシリス神と共に死者を守護し、再生のチャンスであるオシリス神の裁きに向かう死者をアヌビス神に委ねます。女神のこの側面は『来世への再生の守護者』とみなされました。また、新生児の守護神でもあることから、『乳母の女神』ともされました。
 中王国時代には、上エジプトで崇拝されていたイシス=ハトホル女神の崇拝が全国的になり、イシス女神はホルス女神の配偶神とされるようになりました。上エジプトのヘルモポリスでは、ハトホル女神がホルス神の配偶神とされていたからです。おそらく、ホルス神の母であり妻でもあるイシス女神の性格を説明するためと思われる異伝がいくつか唱えられたようです。
 新王国時代には、イシス女神の新生児の守護神の性格が発展。幼児ホルス?(ハルポクラテス)を抱く女神が、盛んに崇拝されるようになりました。この時代、女神はファラオの母神とされ、母乳でファラを養う、と唱えられました。ファラオの母神イシスの崇拝は、ヌビアのメロエにまで広まりました。
 へレネス?たちは、女神を船乗りの守護神として広めましたが、伝えられた先ではデメテル女神?、またはヘーラー女神?と同一視され、さらに地中海各地に広まっていきました。
 さらに後、初期のキリスト教信徒は、幼児ホルスを抱くイシス女神の像から、『幼児イエスを抱く聖母マリア』像のインスピレーションを得た、と言われています」―― 考古学にかぶれた民間伝承研究家
小辞典版推奨判定
「歴史+知性 目標値12〜14」
詳しい情報 「幼児ホルスを抱くイシス女神」への崇拝を盛んになったのは、新王国時代のアンモン神殿からだった。第25王朝?、第26王朝?に、アンモン神?の女神官である代々の「アンモン神の神聖妻」たちが盛んに祀った。
 現存するイシス神殿の遺跡では、おそらく、エジプトのアスワン?にある神殿遺構が最も有名だろう。これは、アスワン・ハイダムの完工前に、フィラエ島から現在の場所に移築された物。1979年以降ユネスコ世界遺産の文化遺産に登録されている。
 この神殿は、末期王朝時代?に建立された。プトレマイオス朝?からは、厚く重んじられ、エジプトがローマの皇帝領とされた後も、多くの参拝者を集めて栄えた。プトレマイオス朝時代からは、神殿でのイシス祭儀も女性神官中心に採りおこなわれるようになっていた。ローマ領では、“イシス教”は、女性神官が司る宗派、として知られていった。
 初代ローマ皇帝のアウグストゥス帝は、“イシス教”をはじめとした東方密儀宗教を嫌い、ローマの伝統神崇拝を奨励した。しかし、東方密儀宗教を好んだカリギュラ帝の時代、イシス女神の祭儀が都市ローマでにぎにぎしく催された。ヨセフス?は、イシス女神の密儀に預かろうとしたカリギュラ帝が、女神官たちに許されて、神官姿に女装をし、女神の秘密儀式に参加した、と記している。
 フィラエのイシス神殿は、ローマ帝国でキリスト教が国教化された後も営まれたが、A.D.537年に皇帝勅令で強制閉鎖された。これは、下エジプトがイスラム勢に制圧される、ほんの85年前のことにすぎない。
小辞典版推奨判定
「魔術+知性 目標値12〜14」
詳しい情報 「死と新生を司るイシス女神は、『生命の女主人』と称えられ、『運命が従うもの』『偉大なる神』を宣した。女神は、死と再生(日没と日の出)を繰り返すラー神?にトリックをしかけ、太陽神の秘密の名を聞き出す。オシリス神を復活させる秘儀を身につけるためだったと言う。ラー神の秘密の名を知った女神は、総ての神の秘密の名も知り、『偉大なる女魔術師』となった。
 あるいは、『偉大なる女魔術師イシス』は、アスワン?で崇拝された『星々の女王』、イシス=ソティス女神?から導き出された神格だったかもしれない。
 イシス女神の崇拝が古代ローマの全域に広がった理由は、こうした女神の奥義にこそあったとは思わないかね?
 古代ローマでは、イシス女神の女神官たちは、夢解釈をよくし、癒しの力を持ち、天候を左右する、と信じられていた。
 秘密の儀式で顕されたイシス女神の本性は、後代、あまたの魔術結社によって探求された。あの俗受けするブラバッキー夫人ですら、イシス女神についての本を書いている。(もっとも内容は、俗世間の研究者にすら冷笑される程度のものだったがね)」―― 結社からはぐれた魔術師

GM向け参考情報

イシス女神の神格

【参照イメージ】

呼称
自称として オシリス神の死に際して「悲しみにくれる未亡人」、息子ホルスの母神として「ホルスの母」、運命を司る女神として「運命が従うもの」「偉大なる神」、神々の秘密を知るものとして「偉大なる女魔術師」
神の名をみだりに唱えぬための尊称 新生児の守護者として「乳母の神」、新生児と死者の守護者として「生命の女主人」 、ハトホル女神と同一視される時に「神々の母」、王宮祭儀において「女王」
図像
 頭上に「玉座」の神聖文字?を刻んだ小さな石碑を乗せた、人間の女性の姿が、最も多く知られる。この姿では、普通、古風なエジプト服を着けている。
 時として、翼を持った女性の姿でも描かれる。古代エジプトの他の有翼女神も同様だが、まるで肘の後ろから本来の腕とは別に伸びた副腕のように翼が描かれるのが特徴。有翼のイシス女神の姿は、広げた翼で遺体を護るかのような姿で、死者の棺などによく描かれた。
 太陽円盤を伴うハトホル女神の角を持つ女性として描かれた(イシス=ハトホル女神)。他に、雌牛の頭を持つ女性として描かれることもある。さらに、雌牛、雌の隼、雌の河馬、雌ライオン、白い雌豚、蛇、蠍、などの姿をとることもある。
持物
 イシス女神は、場合によって多くの持ち物を持ち代えるが、それがどのような理由であるか、推測できないことも少なくない。多くの場合、特別な宝石を身に着けている。頭巾を被って、大きな羽飾りを付けていることも多い。
 アンクシストルム、シュヌウ?、メネト?、花の飾りを付けた杖、ウアス杖などを持つことがある。
神聖動物
 イシス女神には神聖動物は知られていない。あるいは、自らが多くの動物に変身するためかもしれない。
聖域
 古い崇拝地は、ナイル・デルタのブシリス地方(この地は、オシリス神の崇拝中心地でもあった)。他に、メンフィスや上エジプトのクサエで崇拝された他、ヘリオポリスでは9柱神の1柱とされた。
 ただし、初期のイシス女神は祭神としては祀られず、オシリス祭儀に降臨する型、他の女神と同一視される型で祀られた。イシス女神を祀る神殿が建立されるようになるのは、はるか後代のことになる。イシス女神が降臨する、オシリス神の復活祭儀が営まれた古代エジプトの町は、14とも15とも言われる。
 中王国時代には、ヒエラコンポリス、エドフ、コプトス、アビュドス、他で崇拝された。この頃、ヌビア地方にも崇拝が広まっている。
 新王国時代頃から、アスワン、アブ・シンベル、他に神殿が建立された。この頃ヘレネス?が地中海各所にイシス女神を伝え始めた。末期王国時代には、アスワン?に建立されたフィラエ島のイシス神殿の勢いが増し、プトレマイオス朝?時代には、王朝に重んじられて権威が高まった。
 プトレマイオス朝期には、エーゲ海?のデロス島?にも、イシス女神、オシリス神、ホルス神の3神を祀った神殿が建立された。
 エジプトがローマ帝国の皇帝領になると、ローマ領全域で崇拝が盛んになり、各地で神像、神殿が建立された。
主要祭儀
 エジプト暦の閏日、第4日がイシス女神の日とされた。
 「暑さの季節」の最初の月に執りおこなわれた収穫の祭儀には、イシス女神も降臨した。収穫祭儀の祭神は種子の神ネプレー神だったが、この神はオシリス神と同一視されていた。
 「洪水の季節」の最後の月には、イシス女神がオシリス神に会いに行くため、神体を担いだ行列がねり歩いた。
 フィラエ島に末期王朝時代に建立されたイシス神殿では、女神の神体が母乳を与えるためにオシリス神を訪れる祭儀が、10日に1度、執りおこなわれた。
他の神々との関係
 オシリス神の妹神にして配偶神。息子ホルスの母神。
 ヘリオポリス9柱神としては、ゲブ神とヌト女神の子。従って、セト神とネフティス女神の姉神。
 王宮祭儀では、ホルス神の配偶神とされ、後、ラー神の配偶神とされた。女神をアンモン=ラー神と共に祀った神殿も幾つか知られている。また、ミン神?の愛人とされた聖域もあった。
 オシリス神の配偶神として死者の守護者とされ、オシリスの法廷に向かう死者を、アヌビス神に委ねた。このため、女神は「来世への再生の守護者」とみなされた。後、イシス女神は、死者をトト神に委ねることもするようになった。
 ファラオの母神イシスの崇拝が盛んになると、イシス女神はアヌビス神?の養い親とされるようになった。この神話では、アヌビス神は、ネフティス女神とオシリス神の密通で生まれたとされた。セト神の嫉妬を恐れたネフティス女神に請われて、イシス女神はアヌビス神の養い親となる。
 イシス=ハトホル女神の崇拝が、エジプト全土に広まると、新生児を守護する神としての性格が強まり、「神々の母」の尊称が唱えられた。
 ヘレネス?には、船乗りの守護者とみなされた。後、イシス女神は、ヘーラー女神?、あるいはデメテル女神?と同一視されて、ヘレネスの活動圏に広まった。
 ローマに広まったイシス女神は「千の名を持つイシス女神」と呼ばれた。イシス=ミネルウァ女神、イシス=アフロディーテ女神など多くの女神と同一視された。
補足
 ローマ領では、“イシス教”の女神官たちは「イシスの結び目」という特別な編み物を、護符であり、神通力の源として用いていた。

別称類

 女神の名「イシス」は、古典ギリシア語?によって広まり、伝わったもの。英語では、よく「アイシス」と読まれる。

 古代エジプトの言語?で、何と発音されていたかは定かでない一説に、「イーセト」「イーセソ」と読まれていた、とも言われる。

 女神の名を示す神聖文字には、「玉座」を示す図像が含まれている。(オシリス神の神聖文字による神名にも「玉座」の図像が含まれている)

 イシス女神の別称は数多い、「イシス女神の神格」の項を参照のこと。

活用や検討

活用

検討

  • 検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は書き換えられても仕方なし、ってことで)