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歴史上の実在人物

歴史上の実在人物

 リアル・ワールドの歴史上、実在とみなされてる人物についての項目です。

  • ナザレのイエス?、ブッダ?、ゾロアスター?、あるいはピタゴラス?のように、普通は歴史上実在した、とみなされても、伝説的イメージが強い人物は、ここと、神話、伝説のキャラクターとの両方に置くのがいいでしょう。
    ただし、解説文でその旨説明されていることを推奨します。
  • 俵の藤太(藤原秀郷?)のように、著名な伝説を持つ実在人物も同様の扱いがいいと思います。
  • 完全に、伝説上の人物 (大和武尊など)は、神話、伝説のキャラクターのみでいいと思います。

注記

 小辞典では、このページ内の以下の記述は、すべて「PCが予め知ってていい情報」とみなすことにします。

ア行

ア〜

アシャリド・アピル・エクル
 紀元前11世紀の前半に、数年間だけアッシリア国家?を統治したアッシリアの統治者。彼が立位した頃は、一時拡大していたアッシリア支配地に、アラム系諸部族の波状的な侵入が続いた時期にあたる。アシャリド・アピル・エクルの短い治世については、何もわかっていないに等しい。
アダド・ニラリ2世 アダド・ニラリにせい
 紀元前10世紀末から紀元前9世紀はじめにかけて、アッシリア?の支配者だった人物。古都アッシュル?周辺にまで縮退していたアッシリア領土を回復する戦争を推し進めた。
アダド・ニラリ3世 アダド・ニラリ さんせい
 紀元前9世紀末から紀元前8世紀はじめにかけてのアッシリア?の支配者。
 アッシリアの勢力が、一時停滞していた時期から、再度拡張に向かった時期の統治者だが、治世の間に、後々の混乱を招く要因が幾つも生じた。
アッシュル・ウバリト2世 アッシュル・ウバリト にせい
 アッシリア帝国?及び、アッシリア?最後の支配者とされている人物。
 紀元前7世紀に、アッシリア帝国の都だったニネヴェ?が、新バビロニア?とメディア王国?との連合軍に攻め落とされた後、歴史的シリア?北部の古代都市(現トルコ領のハラン?近傍)に依って、残存兵力を取りまとめた。その後、数年間防戦した後、戦死。アッシリア残存軍も壊滅した。
アッシュル・エティル・イラニ
 新アッシリア時代、帝国期アッシリア末期の支配者。紀元前7世紀の前半に数年間在位したようだが、在位中の記録は殆ど残されていない。
アッシュル・ダン2世 アッシュル・ダン にせい
 紀元前10世紀の後半に、数十年間、アッシリア?の支配者を勤めた人物。
アッシュル・ダン3世 アッシュル・ダン さんせい
 新アッシリア時代のアッシリア?支配者の1人。紀元前8世紀の中ほどに在位した。
 アッシリア帝国?初期の人物だが、その事跡、人物像などは、定かには解明されていない
アッシュル・ナツィルパル1世 アッシュル・ナツィルパル いっせい
 紀元前11世紀の半ばから後半に二十数年間、アッシリア?の統治者だった人物。
アッシュル・ナツィルパル2世 アッシュル・ナツィルパルにせい
 紀元前9世紀の半ば頃に活躍したアッシリア王?。盛んに遠征をおこない、アッシリア領?を拡大。直轄地を増やすと共に、各方面への侵攻戦で、多数の国を朝貢国として服属させた。
アッシュル・ニラリ4世 アッシュル・ニラリ よんせい
 紀元前11世紀の末頃に、短期間、アッシリア?の支配者を勤めた人物。
アッシュル・ニラリ5世 アッシュル・ニラリ ごせい
 新アッシリア時代のアッシリア?支配者の1人。紀元前8世紀の半ばに、10年強ほど在位。
 アッシリア帝国?の初期の人物だが、その事跡、人物像などは、定かには解明されていない
アッシュル・バニパル
 紀元前7世紀の後半に活躍した、帝国期新アッシリアの帝王?。エジプトにまで支配を及ぼしたが、彼の死後、アッシリアは18年間という短期間で滅亡した。
 アッシュルバニパルの命で収拾され、ニネヴェ遺跡?から出土したアッシュルバニパル文庫?でも知られる。
アッシュル・ベル・カラ
 紀元前11世紀の前半から半ばにかけ、20年弱ほどアッシリア国家?を統治したアッシリアの統治者。
 治世は、父で先々代の支配者だったティグラト・ピラセル1世が征服した地域に、引き続きアラム系諸部族の侵入が続いていた。アッシュル・ベル・カラは、征服地も含めたアッシリア国家の統治秩序回復に多大な努力を払った人物、と理解されることが多い。
アッシュル・ラビ2世 アッシュル・ラビ にせい
 紀元前11世紀の末から紀元前10世紀の前半にかけ、40年以上の長期間、アッシリア?の支配者を勤めた人物。
アッシュル・レシャ・イシ2世 アッシュル・レシャ・イシ にせい
 紀元前10世紀の前半に、5、6年間、アッシリア?の支配者の地位にあった人物。
アハ
ホル・アハ
アブガル5世 アブガルごせい
 「アブガルス5世」とも。紀元1世紀頃、古代エデッサに実在したオスロエネ王国の王。
 しかし、欧米のキリスト教徒の間では、むしろ「エデッサのマンディリオンと呼ばれる、イエスの肖像が示した奇跡的な力で病を癒された」との、聖書外伝承で有名。
アメンエムニス
 紀元前11世紀半ばに、下エジプトのタニス王朝?で、短期間君臨した人物。
アメンエムハト1世 アメンエムハトいっせい
 古代エジプト?の中王国時代?、第12王朝?のファラオ?だった人物。
 第11王朝?の事業を引き継ぐように、第12王朝の基礎を築いたファラオで、王朝初代にあたる。
アメンエムハト2世 アメンエムハトにせい
 古代エジプト?の中王国時代?に、第12王朝?のファラオ?だった人物。
アメンエムハト3世 アメンエムハトさんせい
 古代エジプト?の中王国時代?、第12王朝?のファラオ?だった人物。即位したのは、紀元前19世紀の半ば頃。46年間と言われる長期間、ファラオの地位にあったことで知られている。
アメンエムハト4世 アメンエムハトよんせい
 古代エジプト?の中王国時代?、第12王朝?のファラオ?だった人物。第12王朝末期のファラオだが、細かな事跡はあまり解明されていない
アリク・デン・イリ
 中アッシリア時代?のアッシリア?支配者の1人。紀元前14世紀末頃に在位したと思われる。あるいは、治世が紀元前13世紀初頭に及んだ、とする説もある
 先代からはじまっていたバビロニア?との戦争を、継続した。
アレクサンダー・フォン・フンボルト
 18世紀末から19世紀前半にかけて活動した、プロイセン出身の博物学者、探検家。晩年は、プロシア学術協会の初代会長に就任。プロシア貴族の出で、兄は、プロシア首相も勤めた外交官、言語学者、哲学者のヴィルヘルム・フォン・フンボルト?
 南アメリカを探索し、フンボルト海流?を命名。帝政ロシア時代のチュルケスタン?を探索し、「中央アジア内陸アジア)」の用語を提唱。
 現在では、特に植物地理学の基礎を整理した功績が高く評価されている。有機体の分布が、地域によって異なる自然条件に影響される、と唱えた。これは、当時としては斬新な考え方で、今日の生態系研究の出発点になったもの、と言える。
 2006年現在、ドイツ連邦共和国では、政府の財政支援で創設された「アレクサンダー・フォン・フンボルト財団?」が、「国際的な研究協力の振興」を目的に、非営利組織として運営されている。
アレクサンドロス
 古代マケドニア?のアレクサンドロス3世?が有名だが、「アレクサンドロス」は古くからあるギリシア系の人名。ギリシア神話?にも用例がある。女性形は「アレクサンドラ」。
アンテフ1世 アンテフいっせい
 第11王朝?のファラオ?と伝えられていた人物。
 実態は、古代エジプト?の第1中間期?に、テーベを支配した豪族の長で、後世第11王朝?と呼ばれる事になった地方政権の支配者だった。ノモスの知事だった、とも言われる。
アンテフ2世 アンテフにせい
 古代エジプト?の第11王朝?でファラオ?だった、と伝えられていた人物。
 実態は、古代エジプト?の第1中間期?に、テーベを支配した豪族の長で、後世第11王朝?と呼ばれる事になった地方政権の支配者だった。やはりテーベを支配した兄弟アンテフ1世同様、ファラオ?を称した。
アンテフ3世 アンテフさんせい
 古代エジプト?の第11王朝?でファラオ?だった、と伝えられていた人物。
 実態は、古代エジプト?の第1中間期?に、テーベを拠点に上エジプト地方の広域を支配した。後世第11王朝?と呼ばれる事になった地方政権が、上下エジプトを再統一する前夜の人物だった。やはりテーベを支配したアンテフ2世同様、ファラオ?を称した。

イ〜

ウ〜

ヴィクトール・ローレット
 ヴィクトール・ローレット(Victor Clement Georges Philippe Loret)は、19世紀末から20世紀前半にかけて活動したフランス人考古学者、エジプト学者。
ウィンザー家 ウィンザーけ
 U.K.(連合王国)の現王室が属す家門。
ウグァフ
 古代エジプト?の第2中間期?に、第13王朝?のファラオ?だった、と伝えられている人物。王朝初代のファラオだった、とされることが多い。

エ〜

エヴァンズ=プリチャード
E.E.エヴァンズ=プリチャード
エサルハッドン
 紀元前7世紀の前半に在位したアッシリア帝国?帝王。バビロニア王も兼務し、バビロンなどに対して寛大な政策を採った。
 シリア・パレスティナ地域を従え、エジプトに侵攻。下エジプトを征服し、古代エジプト第25王朝?のファラオ?だったタハルカヌビアにまで追いやった。
エリバ・アダド2世 エリバ・アダドにせい
 紀元前11世紀の半ばに、数年間の短期間、アッシリア?の統治者だった人物。
 クーデタによって地位を簒奪された、と考えられている。統治期間が短かく、その事跡や人物像については、ほとんど知られていない。
エンリル・ニラリ
 中アッシリア時代?のアッシリア?支配者の1人。紀元前14世紀末頃に在位したと思われる。当時バビロニア?を支配していたカッシート王朝?と、戦った。

オ〜

カ行

カ〜

ガストン・マスペロ
 19世紀末から20世紀の初頭にかけて活動したフランス人考古学者、エジプト学者。古代エジプトの言語を研究した言語学者としても有名だった。
カヌート(大王) カヌート(だいおう)
 カヌートは、11世紀にイングランド王となったデーン人?のヴァイキング?首長。
 当時のイングランド王国?(ウェセックス朝?)のアセルレッド2世の死後、イングランド王位に就き、後に「北海帝国」とも呼ばれる広域を支配。「大王」と呼ばれた。

キ〜

ギルガメシュ
 古代メソポタミア?の神話、伝説で語られた英雄。2/3が神で、1/3が人間だった、と伝えられている。モデルとされた人物が、ウルク?の王として実在していた可能性も論じられているが、直接の証拠は少なく、現状では慎重に判断保留とする研究者も少なくない。

ク〜

ケ〜

コ〜

コルマク・マク・クレナーン
 中世アイルランドマンスター地方でカシェルの修道院長だった人物。晩年は、マンスター王?も兼ね、レンスター地方で戦死した。

サ行

サ〜

サルゴン2世 サルゴンにせい
 古代アッシリア帝国?の支配者。紀元前8世紀の第4四半期頃に統治した。

シ〜

ジェドコンスエファンク
 紀元前11世紀の半ばに、極、短期間、テーベ?のアメン神殿でリーダーだった人物。
シャバカ
 古代エジプト?の新王国時代?末期のファラオ?ヌビア出身だが、エジプト各地の地方勢力に宗主権を認められた。
シャバタカ
 古代エジプト?新王国時代?末期のファラオ?。アッシリア帝国?に対する政略で、シリア・パレスティナ地域?の諸都市による対アッシリア抵抗戦を何かと支援した。
シャマシュ・シェム・ウキン
 帝国期新アッシリアの王族?で、紀元前7世紀後半にバビロニア?王となった人物。
 バビロニア王就任は、父エサルハッドン生前の指名だったが、弟であるアッシリア王アッシュル・バニパルに反乱を起こし、破れた。
シャムシ・アダド4世 シャムシ・アダドよん世
 紀元前11世紀の半ばに、5年間ほど、アッシリア?の統治者だった人物。
 クーデタによって地位を簒奪した、と考えられている。事跡や人物像については、ほとんど、何もわかっていない。
シャムシ・アダド5世 シャムシ・アダド5せい
 紀元前9世紀末のアッシリア王。
 シャルマネセル3世の息子で、父の跡を継いだが、シャムシ・アダドと息子で次代王アダド・ニラリ2世の代以降、アッシリアの勢力は一時的に停滞していった。この停滞の経緯、背景理由などについては、諸説あって定かには解明されていない
ジャムシェトジー・ナッセルワンジ・タタ
19世紀のインドで活躍した、パールシーの実業家。タタ・スチールや、貿易会社タタ・サンズ?を起業し、現在のタタ・グループの基礎を築いた。しばしば「(インドの)現代産業の父」と呼ばれる。
シャルマネセル2世 シャルマネセル にせい
 紀元前11世紀の後半に、アッシリア?の統治者だった人物。記録によれば、統治機関は十数年に渡っていたが、その事跡や人物像などについては、ほとんど何もわかっていない
シャルマネセル3世 シャルマネセル さんせい
 紀元前9世紀の後半に活躍したアッシリアの支配者。父、アッシュル・ナツィルパル2世の領土拡張政策を継承。
 アッシュル・ナツィルパル2世の代にアッシリアに従属した勢力には、反抗に転じたものが多かったが、シャルマネセル3世は、これらを再度、服属させていった。
シャルマネセル4世 シャルマネセル よんせい
 新アッシリア時代のアッシリア?支配者の1人。紀元前8世紀前半期に10年ほど在位。
シャルマネセル5世 シャルマネセル ごせい
 アッシリア帝国?の支配者だったティグラト・ピラセル3世の息子。父の跡を継ぎ、紀元前8世紀前半に、帝国を支配した。
シン・シャル・イシュクン
 アッシリア?最末期、アッシリア帝国?滅亡期の人物。おそらくは、アッシュル・バニパルの息子と思われる、紀元前7世紀頃の人物。
 同時代の記録はほとんど伝っていない人物だが、あるいは、紀元前3世紀にベロッソスが「サラカス(Saracus)」として記した人物である可能性は高い。
シン・シュム・リシル
 アッシリア帝国?の末期、アッシュル・バニパル死後の混乱期に、バビロニア地方?の支配者を僭称したと思われる人物。上級の宮廷宦官だった、と言われている。
 「短期間、アッシリアの支配者だった」と言われることもあるが、これは疑わしい。もし、アッシリアの支配者を称すことがあったとしても、こちらは確実に僭称だっただろう。
 細かな事跡はほとんどわかっていないが、アッシュル・バニパルの息子アッシュル・エティル・イラニの、政治的後ろ盾(宮廷での相談役?)だったのが、エティル・イラニを殺害してバビロニアの支配権を簒奪した、と言われることが多い。

ス〜

スコルピオン・キング
 エジプト南部のヒエラコンポリスの遺跡から、19世紀末に出土したスコルピオン・メイスヘッド?の所有者として想定された人物。メイスヘッドに刻まれていた蠍を形どった神聖文字から「スコルピオン・キング」または、「キング・スコルピオン」と呼ばれた。
 実在したとすれば、古代エジプト?の先王朝時代?の人物になると思われる。しかし、その実在や身分については、メイスヘッドの発見時から現在に至るまで、諸説あり定かではない
スターリン
ヨシフ・スターリン
スメンデス
 古代エジプト?の第3中間期?に、第21王朝?を開いた人物。在位したのは、紀元前11世紀中ほどの30年弱ほど、とされている。

セ〜

聖コルンバ せいコルンバ
 カソリック教会?、正教会?、聖公会?、ルーテル教会?の聖人。6世紀前半にアイルランドで生まれ、6世紀末に没した。
 聖パトリック?聖ブリギットと共に、アイルランドの守護聖人とされている。スコットランドにキリスト教を伝えたことでも知られ、スコットランドの守護聖人でもある。アイルランドの12使徒?の1人にも数えられる。写本写字生、製本家、詩人などの守護聖人。「ローナのコルンバ」とも「コルム・キレ」とも呼ばれる。
聖ブリギット せいブリギット
 「キルデアの聖ブリギット」は、カソリック教会?、正教会?、聖公会?の聖人。聖パトリック?聖コルンバと共に、アイルランドの守護聖人とされている。5世紀半ばにアイルランドで生まれ、6世紀前半に没した、と伝えられている。
 「聖ブリギット」がアイルランド風の読み方で、フランス語や英語、他では「聖ブリジット」とも。「ゲールのマリア」の名でも知られる。
セクトゥス・ユリウス・アフリカヌス
 3世紀頃に古代ローマ帝国領で活動した著述家。ギリシア語で著作を著した。おそらく、帝国領の東部を広範に旅行した経験があったと思われる。
 主著は、『旧約聖書?』に記された天地創造から、彼が生きていた時代までの歴史を著した『年代記?』とされる。
セトナクト
 古代エジプト?の新王国時代?に、第20王朝?の初代ファラオ?となった人物。
 即位したのは、紀元前12世紀はじめ頃。その統治期間は数年間で短かった。
セベクネフェル
 古代エジプト?の中王国時代?、第12王朝?のファラオ?だった女性。現在、確認されている内では、確実にファラオの地位に就いた女性の最古の例になっている。
センウセレト1世 センウセレトいっせい
 古代エジプト?の中王国時代?、第12王朝?のファラオ?だった人物。
 共治王だった時期も含めると、紀元前20世紀の半ばを挟んで40年以上の長期間、統治者だった。
センウセレト2世 センウセレトにせい
 古代エジプト?の中王国時代?に、第12王朝?のファラオ?だった人物。
センウセレト3世 センウセレトさんせい
 古代エジプト?の中王国時代?に、第12王朝?のファラオ?だった人物。
センナケリブ
 紀元前8世紀末から紀元前7世紀はじめにかけて在位したアッシリア帝国?帝王。父サルゴン2世の跡を継ぎ、対バビロン政策、対シリア・パレスティナ?政策なども継承した。

ソ〜

タ行

タ〜

タウセルト
 古代エジプト?の新王国時代?に、第19王朝?最後のファラオ?として、短期間統治した女性。現在では、よく「タウセルト女王」と呼ばれる。
 統治したのは、紀元前12世紀の前半頃で数年間。
タヌトアメン
 古代エジプト?の新王国時代?末期のファラオ?だったが、アッシリア帝国?との戦いで、エジプトの宗主権を喪失。出身地だったヌビアに撤退した。
タハルカ
 古代エジプト?新王国時代?末期のファラオ?。アッシリア帝国?との戦いで下エジプトへの支配権を失った。

チ〜

ツ〜

テ〜

ティグラト・ピラセル1世 ティグラト・ピラセル いっせい
 中アッシリア時代?のアッシリア?支配者の1人。紀元前12世紀末から、紀元前11世紀のはじめにかけて在位。過去1世紀ほど国力が低落し、縮退していたアッシリア?の勢力圏を再び拡大したことで知られる。
ティグラト・ピラセル2世 ティグラト・ピラセル にせい
 紀元前10世紀の後半に、数十年間の長期間、アッシリア?の支配者の地位にあった人物。

ト〜

トゥクルティ・ニヌルタ2世 トゥクルティ・ニヌルタにせい
 紀元前9世紀の初頭に、10年弱ほどアッシリア?支配者の地位にあった人物。

ナ行

ナ〜

ナボポラッサル
 紀元前7世紀の末頃に活動したカルデア人?で、新バビロニア?の最初の王。
ナルメル
 古代エジプト?、初期王朝時代?の支配者。あるいは、上下エジプトの伝説的統一王メネスと同一人物かもしれない、との推測もある人物。

ニ〜

ニキータ・フルシチョフ
 20世紀の半ば、ソヴィエト連邦最高指導者の地位にあった人物。

ヌ〜

ネ〜

ネコ1世 ネコいっせい
 古代エジプト?の新王国時代?最末期、あるいは、末期王朝時代?黎明期に、下エジプトナイル・デルタ地域で有力だった人物。
 紀元前7世紀の後半に、エジプトで起きた対アッシリア第1次反乱が鎮圧された後、アッシリア?により、ナイル・デルタ西部に位置したサイス?の王に任じられた。

ノ〜

ハ行

ハ〜

パネジェム1世 パネジェムいっせい
 紀元前11世紀の中葉に、40年弱ほど、テーベ?のアメン神官団のリーダーだった人物。
パネヘシ
 古代エジプト?の新王国時代?の紀元前11世紀に、エジプト王朝からヌビアの総督に任じられていた人物。軍勢を伴い、内紛が断続していたテーベ?を占拠。配下の将兵のため、神官団が領有していた土地を没収した。
 後に、エジプト中央軍の将からアメン大神官に転じたヘリホル、その配下のピアンキによって、テーベから駆逐されたらしい。
ハンス・スローン卿 ハンス・スローンきょう
 17世紀後半から18世紀にかけU.K.(連合王国)上層社会で活動した、医師、博物学者、植物研究家。ロイヤル・ソサイエティ?メンバー、後、同ソサイエティ総代。
 アイルランド出身で、陸軍軍医総監、王室付き筆頭医官となった。継承権を伴った准男爵に叙された最初の医師でもあった。
 卿の死後、遺言によって、ハンス・スローンの収集品は、数年間の準備期間の後、一般公開されることになった。ジョージ2世の王室文庫蔵書などが加えられたコレクション公開が、18世紀半ばにスタートしたブリティッシュ・ミュージアムの出発点となった。

ヒ〜

ピアンキ
 紀元前11世紀の前半、数年間テーベ?のアメン神殿で第一位の神官位についた人物。
ピイ(ピエ)
 古代エジプト?の新王国時代?末期のファラオ?。「ピエ」とも。
 紀元前8世紀前半、新王国時代末期の混乱を収拾し、エジプト各地の地方支配者に宗主権を認めさせた。

フ〜

ヘ〜

ヘリホル
 古代エジプト?の新王国時代?、第20王朝?ラメセス11世の代に、テーベ?のアメン神官団?の大神官、及びテーベ総督(テーベにおける副王)となった人物。
 現在の歴史整理では、「アメン大司祭国家?」などと呼ばれる上エジプト政権の開祖、と位置づけられている。アメン神官団大神官だったアメンヘテプを駆逐したパネヘシが、テーベでファラオ代理の地位に就いて12年目〜18年目の間の時期には、ヘリホルは大神官になっていたと思われる。
ベロッソス
 紀元前3世紀頃セレウコス朝?に仕えた、バビロニア?出身の占星術師。
 後世、セレウコス朝の支配者に献じた歴史書の著者として知られるようになった。現在は、『バビロニア誌?』(バビロニアカ,『メソポタミア誌』とも)が主著とされている。他に、占星術関係の著作もあった。
ヘロドトス
 紀元前5世紀頃活動したイオニア人?出身の旅行家、文筆家。ペルシア帝国領の各地を旅して『ヒストリオイ』全9巻を著した。現在、普通『歴史』と呼ばれるこの本の原題は、当時の言葉で『探求』を意味した。

ホ〜

ホル・アハ
 古代エジプト?、初期王朝?のファラオ?

マ行

マ〜

マサハルタ
 紀元前11世紀の半ば頃、10年に満たない期間、テーベ?のアメン神殿でリーダーだった人物。「マサヘルタ」とも。
マネトー
 紀元前3世紀頃の古代エジプト人。初期のプトレマイオス朝?に仕え、古代エジプトの歴史伝承に伝えられた王朝譜を整理して『エジプト誌』を編纂した。
間宮 林蔵 まみや りんぞう
 18世紀末〜19世紀はじめの日本人探検家。徳川政権(江戸幕府?)の命で、日本列島?北端からサハリン?(樺太)にかけて、踏査、測量をおこなった。

ミ〜

ム〜

メ〜

メネス
 半ば伝説的な古代エジプト?の統一王。長い間、古代の歴史伝承に基づいて、古代エジプト?最初のファラオ?と考えられていた。
メロダク・バラダン2世 メロダク・バラダンにせい
 紀元前8世紀に古代バビロニア?でバビロン?市の王位に就き、アッシリア帝国?に反乱を起したカルデア人?。出身は、「海の国?」に居住していたセム系カルデア人部族、ビート・ヤキン?族の首長だった。
メンケペルラー
 紀元前11世紀の後半から紀元前10世紀の初頭にかけて、50年以上の長期間、テーベ?のアメン神殿で第一神官だった人物。
メンチュヘテプ1世 メンチュヘテプいっせい
 古代エジプト?の第11王朝?の統治者として伝えられている人物。
 マネトーの『エジプト誌』では、歴代ファラオ?の1人に挙げられている。現代の研究によれば、第11王朝はその初期は、テーベを支配した地方勢力で、メンチュヘテプ1世もテーベの地方支配者だった。メンチュヘテプ1世の具体的な事跡や人物像は、記録が乏しく、ほとんど知られていない。
メンチュヘテプ2世 メンチュヘテプにせい
 古代エジプト?の第11王朝?でファラオ?だった人物。第1中間期?の、およそ150年(あるいはそれ以上)の地方分裂の後、上下エジプトを再統一した。通例、紀元前21世紀の半ば過ぎのこととされる。
 現在は、メンチュヘテプ2世の再統一以降が古代エジプトの中王国時代?と時代区分される慣例になっている。
メンチュヘテプ3世 メンチュヘテプさんせい
 古代エジプト?の第11王朝?でファラオ?だった人物。
メンチュヘテプ4世 メンチュヘテプよんせい
 古代エジプト?の第11王朝?で、ファラオ?だった人物。普通は、中王国時代?のファラオの1人とされることが多い。紀元前20世紀の末にファラオだった、と目されている。

モ〜

ヤ行

ヤ〜

ユ〜

ヨ〜

ヨシフ・スターリン
 主に20世紀前半に、革命期のロシアとソヴィエト連邦?で活動したグルジア出身の政治家。
 レーニン?晩年のソ連邦中枢で、権力を集中。ソ連共産党に書記局を設置すると自ら初代書記長に就任。レーニンの死後、その後継者、ソ連邦第2代最高指導者と目され、死後に「独裁的」と批判されたスターリン主義の政治指導を推し進めた。
 1950年代前半に死没。スターリンの死後、フルシチョフを書記長としたソ連共産党は、スターリン批判?をおこない政治路線を転換したが、現在でも北カフカス地方?の1部などに、スターリンを「(独ソ戦当時の)救国の英雄」として英雄視する人々はいる。
(北カフカス地方には、スターリン時代に集団強制移住の処分を受けたチェチェン人?、イングーシ人?などもいて、彼らの間ではスターリンの評判は極めて悪く「極悪人」などと評されている)

ラ行

ラ〜

ラメセス4世 ラメセスよんせい
 古代エジプト?の新王国時代?、第20王朝?のファラオ?だった人物。
 即位したのは、紀元前12世紀半ば。先代のラメセス3世?の跡を継いだ。
ラメセス5世 ラメセスごせい
 古代エジプト?の新王国時代?、第20王朝?のファラオ?だった人物。
 即位したのは、紀元前12世紀半ば。その事跡については、あまり多くはわかっていない。
ラメセス6世 ラメセスろくせい
 古代エジプト?の新王国時代?、第20王朝?のファラオ?だった人物。
 即位したのは、紀元前12世紀後半。
ラメセス7世 ラメセスななせい
 古代エジプト?の新王国時代?、第20王朝?のファラオ?だった人物。
 即位したのは、紀元前12世紀後半で、在位期間は7年間と長くはなかったとされる。その事跡についてはほとんどわかっていない。
ラメセス8世 ラメセスはっせい
 古代エジプト?の新王国時代?、第20王朝?のファラオ?だった人物。在位したのは、紀元前12世紀後半だが、在位期間については諸説ある
ラメセス9世 ラメセスきゅうせい
 古代エジプト?の新王国時代?、第20王朝?のファラオ?だった人物。紀元前12世紀後半に20年弱の長期間在位した。
ラメセス10世 ラメセスじゅっせい
 古代エジプト?の新王国時代?、第20王朝?のファラオ?だった人物。在位したのは、紀元前12世紀末頃と思われる。
ラメセス11世 ラメセスじゅういっせい
 古代エジプト?の新王国時代?、第20王朝?のファラオ?だった人物。在位したのは、紀元前12世紀末から、紀元前11世紀前半にかけてで、第20王朝、最後のファラオになる。

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E.E.エヴァンズ=プリチャード
 20世紀の前半に活動したU.K.(連合王国)出身の、民族学者(ブリテン風の言い方では社会人類学者)。
更新日時:2008/10/17 15:42:27
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