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!引用(いんよう)
普通は、自作ではない文章、事例などを引いて、自説のよりどころとすること。
一般に、適正な引用にはいくつかの要件が必要とされている。
「その他用語」とは言え、TRPGの小辞典に「引用」の項目をおくのはなぜか?
TRPGのファン活動では、例えばNET上での文章公開や同人誌活動などで、必要に応じて引用をすることも多いからである。
まず、文章での引用について、引用に必要とされる要件と作法を説明する。
その後でTRPGのファン活動との関係に触れてみたい。
文章での引用の作法には、要件さえみたしていれば、丁寧なものからやや砕けたものまで、多少の幅はある。
要件と丁寧な作法を優先的に整理しつつ、可能と思える略式手法にも目を配る方針で考えていく。
!引用の要件と作法
*まず「文章構成上何らかの手法で、引用部分を明確にし、自説との区別をはっきりさせる」ことが要件になる。
**区別をつけたうえで、引用している旨、明示的に断ればなお丁寧。
*引用箇所に改変を加えないことも要件になる。
**必要に応じて省略などをする場合は、前略、中略、後略の類を付記すべきである。
**必要に応じて、文章中に挿入などを加える場合は、挿入箇所には〔〕、[]などを用い、引用ヵ所の直前か直後にて「〔〕内は引用者による補完である旨を必ず、明示的に断る。
**〔〕や[]を使うことが多いのは、()は原文で使われている可能性が高いからである。
**要するに、挿入の際には、原文では用いられていない符丁を使用しなければならない。引用箇所、と挿入箇所の区別を明確にするためである。
*引用元の原典を明示することも要件。
**これについては、まず、ここまでやれば丁寧だ、という一番、丁寧な書式を示す。
著作者名(必要に応じ翻訳者名、監修者名なども、区別しながら併記),原典が全集などに含まれる場合その名及び巻数『正式書名』,出版者名,出版者所在位置,最新版発行年,版数.
**任意の書籍について、上の書式の一例を示してみよう。
クリス・カー(著)、吉村中典(監修)、矢羽野薫(翻訳),地図で読む世界の歴史『ローマ帝国』,河出書房新社,Tokyo,1998,1stEd.nnnページ
**著作者などの名は、引用文の初出では、姓名共に記す。
**共著者がいる場合、全員の名を記し(共著)と併記するのが丁寧。だが、共著者があまりに多い場合は(他、共著)としても許容される。
**共著者なのか、監修者なのか、といった関係者の原典に対する立場も、奥付けにある情報に準拠する。
**例示に使わせてもらった『ローマ帝国』の場合、「吉村忠典氏のお立場は、おそらく『翻訳監修者』なのではないか?」という疑問がある。しかし、奥付けに「監修者」とあるので、そのように記す。
**仮に、本稿が、吉村氏から「私は、矢羽野氏の翻訳は監修したが、カー氏の著述は監修していない」とクレームをいただいた、としよう。本項筆者は「申し訳ありませんが、原典奥付けに準拠しました」と申し開きをすることができる。
**シリーズ名や正式書名も、奥付けに準拠して判断する。例えばカバーや本体大扉には見られる副題の類が奥付けに記されていない場合、副題を出典情報に記すかどうかは、引用者の判断に委ねられる。
**日本語文では、書名は『』で、雑誌名や、雑誌掲載記事は「」でくくるのが古い慣例である。
**これについては近年の義務教育では書名も「」で括ってすませる方針が採られてるようである。
**しかし、義務教育の方針がどうなろうと、社会の方の慣例はまだ動いていない。
**ただし、雑誌編集部では、雑誌名も『』で括るとか、聖書については本来はカッコ類でくくらないか「」で括るのが正しいのだが、あえて『』でくくるとか、細かな例外は多い。
**これについては、「引用を含んだ一連のコンテンツ内で、同じ原則が保持されていること」の方が重要と言える
**雑誌Aの誌名は「A」と表記したのに、雑誌Bの方は『B』と表記するのは好ましくない。
**重ねて書くが、現状の日本語文では、一般には書名は『』でくくる例の方が、圧倒的に多いはずである。
**原典の版元(あるいは版元にあたるパブリッシャー)、版元の所在都市まで併記するのが正式な引用の作法となっている。
***これについては、所在都市は省略しても許されることが多いだろう。版元名の類は記す。
***版(エディッション)の表記も必要なのだが、なぜか近年日本の出版物では、版と刷り(コピー)の区別が曖昧化している。必要がなければ、版の表記は省略しても大事にはならないだろうと、思われる。
***ただし、TRPG関連では、ルールブック類などは、版まで記した方がいいこともあるだろう。引用の目的に則して引用者が考慮すべきである。
**例示で“nnn”ページ、としたのは、もちろん引用個所を原典内で特定するための情報。
**面倒ではあるが、上記の原典明示はコンテンツの初出時のみに正式なものを記す。
**文中初出にて、正式な原典明示を記したら、一連のコンテンツのまとまり内では「著者名、前掲書」などの略記も許されるのも、正式な引用の作法の内である。 この場合、初出以外では、版元名以下を省略してもゆるされる。
**例示してみよう、先の書籍を、一連のコンテンツ内で2度めに引用する場合の原典情報の例示になる
カー,前掲書,xxxページ
**一連のコンテンツ内であれば、2度目以降の引用は、この略式で許されるのは、古くから成り立っている一般に認められた慣行である。
**インターネットで公開する文章の場合、どこまでを「一連のコンテンツ」と考えるか、人によって意見が違うだろう点が面倒だ。
**思うに、ページを「一連のコンテンツのまとまり」とみなしておけば無難ではあるだろう。
*引用原文の文脈を否曲しないことも、要件とされる。
**例えば、原典では、著作者が「よくない事例」として挙げているヵ所だけを抜き出して、あたかも原著作者の主張であるかのように用いることが、典型的な「否曲」の例。
**ただし、「否曲」はあくまで、「原典の文脈」から判断されることであって、必ずしも、著作者の意図とイコールとは限らない。
**しかし、まったく同じことは引用者の書く文章にも言える。引用者に否曲の意図がなくても、否曲ととらる引用になっていたらアウトである。
**「否曲」と関連してよく問題になるのは「要約」である。「要約」は「引用」ではない、「要約」の内容に対する責任は原著者ではなく要約者にあるからだ。したがって、「要約」をするときは、その旨明記するべきである。
*以上の要件を満たした上で、さらに、引用をすることが、自作文を構成する上で充分必要でなければならない。この要件は「引用が内容に対して従であること」と言われる。
**極端な例がわかり易いだろう。
**例えば「〔引用部分〕。ボクもそう思います」これだけで文章が完結していたら、引用としては不充分とされる。
!TRPGファン活動と引用
商業TRPGの商品に含まれるテキストやデータについては、例えば、「あるシステムの楽しみ方について、独自の工夫を提案したい」という主張があって、必要に応じた引用をするのは、(引用として要件を満たしている限り)一般に認められている行為にあたる。
これが「あるTRPG商品の問題点を整理して指摘する」という独自の主張があって、必要に応じた引用をするのでも同じ。
「独自の主張」については、大げさに考え過ぎない方がいいだろう。
例えば、「自分のマスタリング傾向をプレイヤーに対して説明する」という目的のために、必要に応じた引用をすることは、「自分はこういうマスタリングでセッションに臨みたい」との主張が、きちんと読みとれる文章構成がなされれば、充分「主張」足り得るはずだ。
ただし、少なくとも日本のTRPG分野では、「引用だけを読んで、商品を買う必要がなくなってしまうような再整理の仕方はしない」という考え方が、ファンの間にも、送り手の間にもあるようだ。
TRPGではなく、ゲームソフトの業界では、攻略本ビジネスなどの関係で、「ゲームデータにも著作権はある」的な主張を聞くこともある。
「ゲームデータ」に「著作権」が認められるかについては議論もあるが置いておく。
仮に「ゲームデータに著作権がある」と仮定した場合でも、引用の要件を満たし、引用部分が内容に対して従であるような独自の主張をするのは、一般社会でも認められるのが慣例のはずである。
「商品を買う必要がなくなってしまうような再整理の仕方はしない」との考え方については、おそらく「商品を買う必要がなくなってしまう」かどうかがポイントになっているのではないだろうか。
これはこれで、引用を考える筆者が、自己責任で考慮すべき問題と思われる。
!疑問とか応用例とか
!疑問とか応用例とかリンク
*[[小辞典]]
普通は、自作ではない文章、事例などを引いて、自説のよりどころとすること。
一般に、適正な引用にはいくつかの要件が必要とされている。
「その他用語」とは言え、TRPGの小辞典に「引用」の項目をおくのはなぜか?
TRPGのファン活動では、例えばNET上での文章公開や同人誌活動などで、必要に応じて引用をすることも多いからである。
まず、文章での引用について、引用に必要とされる要件と作法を説明する。
その後でTRPGのファン活動との関係に触れてみたい。
文章での引用の作法には、要件さえみたしていれば、丁寧なものからやや砕けたものまで、多少の幅はある。
要件と丁寧な作法を優先的に整理しつつ、可能と思える略式手法にも目を配る方針で考えていく。
!引用の要件と作法
*まず「文章構成上何らかの手法で、引用部分を明確にし、自説との区別をはっきりさせる」ことが要件になる。
**区別をつけたうえで、引用している旨、明示的に断ればなお丁寧。
*引用箇所に改変を加えないことも要件になる。
**必要に応じて省略などをする場合は、前略、中略、後略の類を付記すべきである。
**必要に応じて、文章中に挿入などを加える場合は、挿入箇所には〔〕、[]などを用い、引用ヵ所の直前か直後にて「〔〕内は引用者による補完である旨を必ず、明示的に断る。
**〔〕や[]を使うことが多いのは、()は原文で使われている可能性が高いからである。
**要するに、挿入の際には、原文では用いられていない符丁を使用しなければならない。引用箇所、と挿入箇所の区別を明確にするためである。
*引用元の原典を明示することも要件。
**これについては、まず、ここまでやれば丁寧だ、という一番、丁寧な書式を示す。
著作者名(必要に応じ翻訳者名、監修者名なども、区別しながら併記),原典が全集などに含まれる場合その名及び巻数『正式書名』,出版者名,出版者所在位置,最新版発行年,版数.
**任意の書籍について、上の書式の一例を示してみよう。
クリス・カー(著)、吉村中典(監修)、矢羽野薫(翻訳),地図で読む世界の歴史『ローマ帝国』,河出書房新社,Tokyo,1998,1stEd.nnnページ
**著作者などの名は、引用文の初出では、姓名共に記す。
**共著者がいる場合、全員の名を記し(共著)と併記するのが丁寧。だが、共著者があまりに多い場合は(他、共著)としても許容される。
**共著者なのか、監修者なのか、といった関係者の原典に対する立場も、奥付けにある情報に準拠する。
**例示に使わせてもらった『ローマ帝国』の場合、「吉村忠典氏のお立場は、おそらく『翻訳監修者』なのではないか?」という疑問がある。しかし、奥付けに「監修者」とあるので、そのように記す。
**仮に、本稿が、吉村氏から「私は、矢羽野氏の翻訳は監修したが、カー氏の著述は監修していない」とクレームをいただいた、としよう。本項筆者は「申し訳ありませんが、原典奥付けに準拠しました」と申し開きをすることができる。
**シリーズ名や正式書名も、奥付けに準拠して判断する。例えばカバーや本体大扉には見られる副題の類が奥付けに記されていない場合、副題を出典情報に記すかどうかは、引用者の判断に委ねられる。
**日本語文では、書名は『』で、雑誌名や、雑誌掲載記事は「」でくくるのが古い慣例である。
**これについては近年の義務教育では書名も「」で括ってすませる方針が採られてるようである。
**しかし、義務教育の方針がどうなろうと、社会の方の慣例はまだ動いていない。
**ただし、雑誌編集部では、雑誌名も『』で括るとか、聖書については本来はカッコ類でくくらないか「」で括るのが正しいのだが、あえて『』でくくるとか、細かな例外は多い。
**これについては、「引用を含んだ一連のコンテンツ内で、同じ原則が保持されていること」の方が重要と言える
**雑誌Aの誌名は「A」と表記したのに、雑誌Bの方は『B』と表記するのは好ましくない。
**重ねて書くが、現状の日本語文では、一般には書名は『』でくくる例の方が、圧倒的に多いはずである。
**原典の版元(あるいは版元にあたるパブリッシャー)、版元の所在都市まで併記するのが正式な引用の作法となっている。
***これについては、所在都市は省略しても許されることが多いだろう。版元名の類は記す。
***版(エディッション)の表記も必要なのだが、なぜか近年日本の出版物では、版と刷り(コピー)の区別が曖昧化している。必要がなければ、版の表記は省略しても大事にはならないだろうと、思われる。
***ただし、TRPG関連では、ルールブック類などは、版まで記した方がいいこともあるだろう。引用の目的に則して引用者が考慮すべきである。
**例示で“nnn”ページ、としたのは、もちろん引用個所を原典内で特定するための情報。
**面倒ではあるが、上記の原典明示はコンテンツの初出時のみに正式なものを記す。
**文中初出にて、正式な原典明示を記したら、一連のコンテンツのまとまり内では「著者名、前掲書」などの略記も許されるのも、正式な引用の作法の内である。 この場合、初出以外では、版元名以下を省略してもゆるされる。
**例示してみよう、先の書籍を、一連のコンテンツ内で2度めに引用する場合の原典情報の例示になる
カー,前掲書,xxxページ
**一連のコンテンツ内であれば、2度目以降の引用は、この略式で許されるのは、古くから成り立っている一般に認められた慣行である。
**インターネットで公開する文章の場合、どこまでを「一連のコンテンツ」と考えるか、人によって意見が違うだろう点が面倒だ。
**思うに、ページを「一連のコンテンツのまとまり」とみなしておけば無難ではあるだろう。
*引用原文の文脈を否曲しないことも、要件とされる。
**例えば、原典では、著作者が「よくない事例」として挙げているヵ所だけを抜き出して、あたかも原著作者の主張であるかのように用いることが、典型的な「否曲」の例。
**ただし、「否曲」はあくまで、「原典の文脈」から判断されることであって、必ずしも、著作者の意図とイコールとは限らない。
**しかし、まったく同じことは引用者の書く文章にも言える。引用者に否曲の意図がなくても、否曲ととらる引用になっていたらアウトである。
**「否曲」と関連してよく問題になるのは「要約」である。「要約」は「引用」ではない、「要約」の内容に対する責任は原著者ではなく要約者にあるからだ。したがって、「要約」をするときは、その旨明記するべきである。
*以上の要件を満たした上で、さらに、引用をすることが、自作文を構成する上で充分必要でなければならない。この要件は「引用が内容に対して従であること」と言われる。
**極端な例がわかり易いだろう。
**例えば「〔引用部分〕。ボクもそう思います」これだけで文章が完結していたら、引用としては不充分とされる。
!TRPGファン活動と引用
商業TRPGの商品に含まれるテキストやデータについては、例えば、「あるシステムの楽しみ方について、独自の工夫を提案したい」という主張があって、必要に応じた引用をするのは、(引用として要件を満たしている限り)一般に認められている行為にあたる。
これが「あるTRPG商品の問題点を整理して指摘する」という独自の主張があって、必要に応じた引用をするのでも同じ。
「独自の主張」については、大げさに考え過ぎない方がいいだろう。
例えば、「自分のマスタリング傾向をプレイヤーに対して説明する」という目的のために、必要に応じた引用をすることは、「自分はこういうマスタリングでセッションに臨みたい」との主張が、きちんと読みとれる文章構成がなされれば、充分「主張」足り得るはずだ。
ただし、少なくとも日本のTRPG分野では、「引用だけを読んで、商品を買う必要がなくなってしまうような再整理の仕方はしない」という考え方が、ファンの間にも、送り手の間にもあるようだ。
TRPGではなく、ゲームソフトの業界では、攻略本ビジネスなどの関係で、「ゲームデータにも著作権はある」的な主張を聞くこともある。
「ゲームデータ」に「著作権」が認められるかについては議論もあるが置いておく。
仮に「ゲームデータに著作権がある」と仮定した場合でも、引用の要件を満たし、引用部分が内容に対して従であるような独自の主張をするのは、一般社会でも認められるのが慣例のはずである。
「商品を買う必要がなくなってしまうような再整理の仕方はしない」との考え方については、おそらく「商品を買う必要がなくなってしまう」かどうかがポイントになっているのではないだろうか。
これはこれで、引用を考える筆者が、自己責任で考慮すべき問題と思われる。
!疑問とか応用例とか
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*[[小辞典]]