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ヘルマン・フォーゲルヴァイデ

ヘルマン・フォーゲルヴァイデ (1000-1065)

 ハイデルランド王ガイリングの第二子。エステルランド公、後にエステルランド王。

 1033年に死去した父王の遺言により、王領の西をエステルランド公国として相続。

 1038年5月、ヘルラントの王政策に反発する選定侯を中心とした聖俗諸侯から支持を取り付けたヘルマンは、兄王ヘルラントに挑戦状を送ってこれを攻めた。2年に渡るハイデルランド併合戦争?の始まりである。ハンゼンの戦い?、オーベライトの戦い?、第二次ハンゼンの戦い?ジムロックの戦い?などを経て、ハイデルランド王国の王都、ブリュッケン?は落城。ヘルラントも戦死した。

 ハイデルランド併合戦争?後は選定侯会議によってハイデルランド王に推挙されたヘルマンは、国号をエステルランド王国に改め、エステルランド王へルマンとしてハイデルランド地方宗主国の国王となった。

 1041年9月には、ハウトリンゲン公国?の支配から離脱したケルバーに、領邦主権を証明する王国自由都市の特許状を与え、1042年からは模造クラウン金貨の鋳造を開始するなど、暫くの間は平和な治世が続く。

 1054年にはマルガレーテ・フォーゲルヴァイデを正妃とした。

 1056年のツェルコン戦役やそれに続くブレーデル戦争(1060年)の時期になると目立った動きを見せず、政務についても廷臣たちに任せきりであったという。

 1062年、黄金の杯探索の勅命を王室親衛隊に発する。

 1065年10月、火竜?ロヴレンド?の襲撃により死去。晩年は宮中に魔術師や錬金術師を招き、不老不死の研究を行っていたという。

登場作品と役柄

作品名
解説

人間関係

ガイリング一世?
父。
ベアトーリス
ガイリング一世?の姉。ガイリング・パーデルポルンの祖母
ガイリング・フォーゲルヴァイデ一世?
兄。
エーリッヒ・フォーゲルヴァイデ
甥。兄の息子。
アウドヴェラ
姉。ガイリングの母
ガイリング・フォーゲルヴァイデ二世?
ヘルマンにガイリング一世の正統な後継者として王位を要求。
マルガレーテ・フォーゲルヴァイデ
妾妃、1054年から正妃。
アンゼル・フォーゲルヴァイデ
息子。
カール・フォーゲルヴァイデ
息子。
ヒルデガルド・フォーゲルヴァイデ
娘。

名台詞

セリフ
説明

メモ

  • 本家からの命令を無視して忌み子を逃がすなど、家族愛はそれなりにある様子である(『LoG』272)

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