セトナクト
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セトナクトは、第20王朝の初代ファラオに、B.C.1190年頃即位し、B.C.1186年頃死没した。
あるいは、B.C.1185年頃に即位し、B.C.1182年頃に死没した、とする説もある。いずれにせよ、その統治期間は3〜4年で長くは無かった。
セクナクトは、第19王朝?末期の混乱の内から王朝支配を再建した。死後六十数年してからまとめられたと目される大ハリス・パピルス?によれば、「リビア人?たちを鎮め、諸都市を解放し、神殿を再建し、その財政も整えた」とされる。
セクナクトの出自、即位の経緯は、よくわかっていない。ことに、その出自については諸説ある。
セクナクトの妃となったティイ・メルエンスは、あるいは、メルエンプタハ?の娘の後裔だったかもしれない。セクナクトが、第19王朝のラメセス王統の姫を娶ることで、ファラオとしての正当性を主張した、と推測する説も聞かれる。
治世は短かったが、少なくとも後半は、妃ティイ・メルエンスと、皇太子(後のラメセス3世?)を共同統治者とした。死後は伝統的な儀式で正式なファラオ?として埋葬された。
セクナクトの墓所は、王家の谷にあり、発掘されている。この墓所は、大19王朝のタウセルト女王が生前、自分のために準備していた墓所を拡張して利用したものだった。
セクナクトの木棺は、王家の谷の隠し墓所(カシェ)から19世紀末に発見された。あるいは、この木棺内に収められ、再埋葬されていたミイラが、セクナクトのミイラなのかもしれない。
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セクナクトの出自については、第19王朝と血縁関係がなかったと見る説、平民の出自だったとする説、母親を通じて、第19王朝と血縁関係もあった、とする説など、諸説が唱えられている。
当時の記録を見ると、第19王朝のラメセスの王統と関係があるかに演出しようとしていたふしも見られる。
カルナック神殿?近傍から発掘された石碑によれば、ラメセス3世?の代に完工されたカルナックのアメン=ラー神殿の建立をはじめたのは、セトナクトだった。
生前のセクナクトは、生前、王家の谷自分独自の墓所を設けようとしていた、現在KV11のコードで知られる遺構がそれだ。KV11は、開削中、アメンメセス?の墓所に衝突して、掘削が断念された。この後、セクナクトは、タウセルト女王の準備していた墓室を改築して自分の墓所に転用することにした。
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参照:[タウセルト] [小辞典ワールド編] [歴史上の実在人物]