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ナブタ・プラヤの遺跡

ナブタ・プラヤの遺跡 ナブタ・プラヤのいせき 暫定版

記事内容追加調査中の暫定版です

英語名
Archaeological site of Nabta Playa

PCが予め知ってていい情報

  • 「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。

 「ナブタ・プラヤの遺跡」は、エジプト=アラブ共和国領南部のシャルキーヤ沙漠?内で1994年に発見された、石器文化の遺跡

 2006年現在、まだ、一般社会ではさほど有名になってはいないようだ。しかし、各国の考古学関係者などの間では、「知られる限り世界最古のストーン・サークル?が発掘された遺跡」として知られている。

やや詳しい情報

  • 「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。
小辞典版推奨判定
「情報+知性 目標値10〜12」
やや詳しい情報 ナブタ・プラヤの遺跡は、アブ・シンベル大神殿の現在の位置から、概ね西方、およそ100kmほどの沙漠内で、エジプト-スーダン国境からほど遠からぬ位置に所在。アル・ワディ=アル・ジャディッド?県の、県域南部になる。正確な所在は、東経30° 42' 、北緯22° 32'。
 「ナブタ」が遺跡地帯のローカルな地名で、「ナブタ・プラヤ」が遺跡名。
 1994年にU.S.A.(合衆国)の南部メソジスト大学(Southern Methodist University)の考古調査隊によって発見された。
小辞典版推奨判定
「歴史+知性 目標値10〜12」
やや詳しい情報 ナブタ・プラヤの遺跡からは、確認されているだけでも、現在から1万2千年前ほどから、紀元前5千年紀頃までの、石器人の生活痕跡が、ほぼ継続的に確認されている。
 サハラ沙漠の乾燥化進行に伴った、石器人遊牧文化の数千年に渡る変遷の跡が、重層した遺跡層に遺り、重視されている。
 「ナブタ・プラヤのストーン・サークル」は、こうした継続的な文化変遷の最末期の遺構として、とらえられている。

  • 「難易度が、ある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。
小辞典版推奨判定
「歴史+知性 目標値12〜14」
詳しい情報 現在のナブタは、沙漠地帯の内の大きな窪地、あるいは、かなり小さな盆地状の土地。
 「プラヤ」とは、アラビア語で「季節湖」、つまり、雨季にのみワディ(涸谷)を通じて集まった水を湛え、湖となる土地を指す。
 もちろん、現在のナブタにはプラヤ(季節湖)はない。「ナブタ・プラヤ」の遺跡名は、遺跡を遺した集団が、周辺で活動していた時代の環境にちなんだもの。
 確認された最初期の遺跡は、現在から1万2千年前のもの。当時のナブタは、まだ季節湖ではなく常時水を湛えていた最後の時期だったかもしれない。あるいは、遊牧集団が家畜の水のみ場として、定期的に訪れていたかもしれない、と推測されている。
 その後、湖はサハラの乾燥化に伴いプラヤ(季節湖)となった。乾燥化の最末期には、周囲に残っていた草原も急速に沙漠化していった。
 この間、普段はいくつかのグループに分かれて活動していた遊牧集団が、まだ地域にモンスーンが訪れた夏季に、水を湛えたナバタ・プラヤに集結するようになったのだろう。夏季には、祭儀や婚姻などをおこなったのだろう、とも推定されている。
 祭儀については、儀式的に牝牛を葬った遺跡が複数確認されている。
 季節的に集まり婚姻などをおこなう習俗については、現存する遊牧集団のいくつかについての、民族学的な知見から類推されている。
 ストーン・サークルは、その配置の分析から、遺跡地帯の遊牧集団文化の最末期に、夏至祭を祝うために建立された物、と推定されている。

GM向け参考情報

 ナブタ・プラヤの遺跡は、発見が1994年と新しい遺跡です。

 研究成果のまとめから公表は10年単位くらいで進むのがザラ、と言う考古学の分野では、これから世間でも知られるようになっていくだろう、という“旬な”遺跡(?)でしょう。2006年現在、発見後12年めですので、丁度これから一般的な知名度があがっていくかと思われます。

 すでに、古代エジプト文明の形成について、従来の理論に強く反する仮説も幾つか提出されているようです。

 おそらく、今からさらに10年くらいは、研究者間の議論がゴタゴタと進み、その間に議論とあまり関係なく一般ジャーナリズムで扱われ。一方、何事もなければ、遺跡もさらに調査され、一般社会に初期の仮設が広まる頃には、定説や議論はさらに先に進んでいる、という考古学にありがちな展開が予想されます。

用途

 2006年現在から向こう10年ほどは、あれこれフィクションの題材として扱い易い余地が多い、その意味でも旬な遺跡(笑)と思われます。

 所在が沙漠内ですので、突拍子のない異常事態をおこしても、収拾は可能でしょう。

 戦闘も、ある程度派手めなものをおこしても、収拾可能でしょう。ただ、スーダンとの国境近くという場所柄、戦闘の隠蔽については、考えていった方がいいでしょう。

(多分、シュープリームあたりが、やっきになって隠蔽してくれる、とかが楽だと思います。彼らが戦闘に関わっていてもいなくても、今のところは必死に隠蔽してくれる状況ではないでしょうか(?))

遺跡状況とフィクション設定

 2006年現在も、断続的な調査は続けられているようです。

 フィクション設定としては、調査隊には、エジプト考古局が手配した警備部隊が配備されている、と想定するといいでしょう。何しろ外国人単独行動制限地域のモロ外ですし。紛争が続いているスーダンとの国境に至近です。無理のない想定でしょう。

補足情報

  • 現状で複数のソースを相互参照した情報を記していきますが。今後の追加調査で細かな変更が入る可能性、少なくないです。
現在から1万2千年前
 現在までで、最古の遺跡(ヒト集団の活動痕跡)が確認されている時期。
 この頃からサハラの乾燥化は顕著になる。
 まだ、ナバタ・プラヤが湖だった頃は、遊牧家畜の水飲み場として活用されていたのだろうか、と推測されている。
〜紀元前8千年紀
 紀元前8千年紀に入るまでには、ナバタ・プラヤ周辺の遊牧集団は、土器作製技術を習得していた。
紀元前7千年紀
 紀元前7千年紀には、井戸を伴った季節的な居住施設が建てられるようになった。あるいは、この頃までに遊牧集団が夏季に集結する習俗が成り立っていたかもしれない。
紀元前6千年紀
 紀元前6千年紀の遺跡からは、犠牲獣として屠られた牝牛を葬った、石組の屋根を持つ埋葬所が確認された。定式化された祭儀を持つ宗教が、成立していた証拠と目されている。
紀元前5千年紀
 紀元前5千年紀の遺跡からは、おそらく、現在知られる物の内で最古、と目されるストーン・サークル?が確認されている。建造時期は、U.K.(連合王国)のストーン・ヘンジ?の建造開始時期より、およそ1千年ほど前になる
 ストーン・サークルは、その配置構成から、夏至祭の時期を確認するための石造カレンダーだった、と推定されている。
 紀元前5千年紀には、砂漠化がさらに進み、ナブタ・プラヤは季節湖ですらなくなった。こうして、様々な施設は利用されなくなった。

活用や検討

活用

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重要な改訂の情報

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検討

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更新日時:2013/03/31 05:26:45
キーワード:
参照:[遺跡] [アル-ワディ・アル-ジャディッド県] [ハトホル女神] [ナブタ・プラヤのストーン・サークル]
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