房総半島
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房総半島南部の房総丘陵は、最高峰でも海抜408mほどの低山地で、南房総国定公園?のエリアが設定されている。比較的高い山は、ほぼ南東域に偏っている。
北部は、広義の関東平野?に連なる概ねの平坦地。南部の山地から延びた丘陵地が、北東の九十九里平野?西縁を縁取って内陸部にも伸びている。この丘陵地の延長上に、下総台地?が北部平坦地の内で、やや高くなっている。
地域は、しばしば、太平洋側の「外房(外房総)」と、浦賀水道、東京湾側の「内房(内房総)」とに大別される。
気候は、太平洋の影響を強く被る温暖な海洋性気候(太平洋側気候)。ことに半島南部の南房総は、温暖で観光地にもなっている。
内房総の北部では、東京湾の北東岸に面した千葉市?を中心に、周辺でも重工業が盛ん。埋め立て事業も多い。全般に、沿岸漁業、園芸農業が盛ん。東京湾沿岸は重化学工業地帯。比較的豊富に天然ガスを埋蔵。太平洋側の九十九里平野を中心に天然ガス採掘もおこなわれている他、副産物としてヨウ素の生産も営まれている。
- 【参照地図】
- 横須賀・東京・大多喜・千葉(中部・関東,3D地図システム,Aries Home Page)
クリッカブルな地域地図(レリーフ・マップ)です。
- 【参照イメージ】
- 衛星イメージ(Wikimedia Commons)
房総半島は、古代律令制の下総国?中南部から、上総国?、安房国?に渡った。「房総」の地名もこうした背景に由来する。ただし、少なくとも、今から1千年ほど前頃までは、現在の霞ヶ浦?、北浦?、印旛沼?、手賀沼?などが、北部で「香取海〔かとりのうみ〕」と呼ばれた広い内海をなし、縁辺の湖沼地帯と併せて、本州内陸部との交通を困難なものにしていた。
今から6千年前頃をピークにした海進期(縄文海進)には、地理的にも群島状態だった、と推定されている。
香取海は、中世を通じて、多数の湖沼に縮退していったと思われるが、近世には、さらに江戸幕府の政策で、少なくない湖沼地帯の干拓が進められた。
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房総半島は、今からおよそ50万年前前後に、太平洋上に隆起した土地が、フィリッピン海プレート?の北に拡大する運動の影響で、北上。本州に衝突するに至ったものと推定されている。
地質は、第三紀層と、白亜紀堆積層が主。かつての火山噴出物もかなりの割合で含まれている。
現在の三浦半島も、ほぼ同時期に同様の経緯で形成された。
これらの土地は、今から2000万年ほど前〜1500万年ほど前頃から、太平洋深海底で形成された堆積物が隆起したものと推定されている。
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別称類
主要国の言語
- 英語表記=Bousou peninsula
- 中国語表記=房總半島
- ロシア語表記=(調査中)
- フランス語表記=(調査中)
- スペイン語名=Pen?nsula de B?s?
- アラビア語名=(調査中)
その他
- 日本語名=房総半島〔ぼうそう はんとう〕
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