ウクライナ略史
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ウクライナは、ソヴィエト連邦崩壊?と前後して、独立した旧ソ連構成国の1つ。
追加情報
- 小辞典版推奨判定
- 「情報+知性 目標値8〜10」「歴史+知性 目標値10〜12」
- やや詳しい情報 1990年に国家主権宣言を公布(ソヴィエト連邦崩壊は1991年12月)。独立後は、ロシア系国民の居住比率が高いクリミア共和国の処遇を巡り、ロシアとの関係が緊張した。2005年現在は、クリミア自治共和国が、ウクライナの構成国との位置付けで落ち着いている。
GM向け参考情報
略年表
注記
- 以下の略年表の時代区分は、この場限りの便宜的なものです。
キエフ・ルーシ〜キエフ公国時代
- 7〜8世紀
- 黒海北岸一帯は、ユダヤ教を受容した遊牧民国家、ハザール?の領域になっていた。ハザールは、東西交易の中継で繁栄していたと考えられている。
- 9世紀頃
- キエフを首都に、最初のスラブ人国家、キエフ・ルーシ?が建国される。
- キエフ・ルーシは、スカンジナヴィア半島?の、現在のスウェーデンにあたる地域から渡来したヴァリャーク(ヴァイキング?のロシア語表現)を中心に、スラブ系先住民が共同して建国された、と考えられている(が、議論もある)。
- キエフ・ルーシでは、ヴァリャークがスラブ系先住民と混交しつつ、リューリク朝が繁栄していく。
- 965年
- キエフ・ルーシが、ハザールに貢納していたヴォルガ川上流域のヴャチチ族を服属させた他、ハザール本体にも大きな打撃を与えた。
- 968年
- キエフ・ルーシ、ブルガリア帝国の領域に侵攻。
- 971年
- キエフ・ルーシ、再度ブルガリアへ遠征しこれを撃破。余勢をかってビザンチウムまで侵攻したが、敗退。
- 988年
- キエフ・ルーシのウラジミールが、ビザンツのオーソドクス(東方正教)を公的に受容。ウラジミール聖公と呼ばれるようになり、キエフも公国と呼ばれるようになる。
- 10世紀〜11世紀
- キエフ府主教の権威も利用しつつ、キエフ公国が近隣の諸公国を服属させていく。
- 11世紀
- チュルク系遊牧民の活動が活発化し、キエフ公国を含む黒海北岸もたびたび脅かされるようになる。この頃から、キエフ公国の内部で政権争いが頻発。統治力が低下していった。
キプチャク・ハン国時代
- 1240年
- 黒海北岸に、モンゴル西征軍が侵攻。キエフなど地域の有力都市は壊滅。地域の諸国は、キプチャク・ハン国に服属することになり、キエフ公国の地域支配も途絶。
- 1360年
- この頃から、キプチャク・ハン国内部で権力闘争が激しくなっていく。
- 1430年
- この頃、キプチャク・ハン国の傘下でクリム・ハン国が分立。首都は、クリミア半島のバフチェサライ。
- 1475年
- クリム・ハン国、オスマン・トルコの宗主権に服属。
- 16世紀
- この頃から、現在のウクライナ領南部で、ウクライナ人土候が結束し、ウクライナ・コサックの地域国家(?)が成立。
- 前後して、現在のウクライナ領の西部から、リトアニア大公国、ポーランド王国の支配が及ぶ。
- 1502年
- ロシア大公国とクリム・ハン国が結び、キプチャク・ハン国を滅ぼす。
ウクライナ分割時代
- 1569年 ポーランド王国に占領される。
- 17世紀
- ウクライナ・コサック勢が、キエフ市を再建。
- 1648年
- ウクライナ・コサックがポーランド王国との交戦を開始。ウクライナ勢は、ロマノフ朝ロシアの支援を受け、局地戦で、ポーランド王国に優位にたっていくことに。
- 地域の農民によるユダヤ教徒虐殺(ポグロム)が起きるようになったのは、この頃からと言われる。
- 1654年
- ウクライナが、ロマノフ朝のモスクワ大公国と、ポーランド王国の間で分割される。東部は、ロシア大公の保護領とされた。
- 18世紀初頭
- ロシア・スウェーデンで戦われた北方戦争(1700年〜1721年)に際し、ウクライナでロシア帝国からの独立を目指す動きが起きたが、1708年、ピョートル大帝の代に鎮圧さる。
- 1772年
- ポーランド分割。現在のウクライナ領西部にあたる地域は、オーストリア-ハンガリー帝国に併合された。
- 1783年
- 現在のウクライナ領中部以東が、ロシア帝国に併合される。この時、クリム・ハン国もロシア帝国に併合される。
- 19世紀
- ウクライナでも民族運動が活発化。並行して、ウクライナ語正書法を整理する活動も活発化。
- 1914年〜1918年
- 第1次世界大戦。
- 1917年 ロシア革命勃発。ウクライナ地域は内戦状態に。
- 1918年 ウクライナで独立宣言が公布される。この時採用された国旗が、現在の国旗の原型になっている。ポーランド方面での内戦も関り、地域の内戦は激化していく。
ソヴィエト連邦構成国時代
- 1919年
- 内戦の内にウクライナ=ソヴィエト社会主義共和国政府発足、1918年に独立を宣言した政権とは交戦。
- 1922年
- ウクライナ=ソヴィエト社会主義共和国、ソヴィエト連邦構成国に。
- 第1次大戦の戦後処理では、現在のウクライナ領西部の一角(ハリチナー地方、他)が、ポーランド領に編入された。
- 1939年〜1945年
- 第2次世界大戦
- 1939年 ソ連軍がポーランドに侵攻。占領された現ウクライナ領西部は併合され、ウクライナ=ソヴィエト社会主義共和国領に編入された。
- 1940年 ルーマニア領になっていた、西ブゴビナ、ベッサラビアの一部が、ソ連軍による占領、併合を経て、ウクライナ領に編入されるていく。
- 同年6月、ソ連が、独ソ不可侵条約に伴う秘密議定書に従い、旧ルーマニア領のベッサラビアと北ブコピナを占領。
- その後、ベッサラビア地方の黒海沿岸部がウクライナ領に編入され、現在のモルドヴァ、ウクライナ国境がほぼ定まる。これは旧ソ連の黒海戦略に基づく政策だったと言われている。
- 1941年 独ソ戦が開始されたのを機に、ルーマニア軍が、ウクライナ=ソヴィエト社会主共和国領を占領。以降、地域は独ソ戦の激戦地になっていく。
- 1945年 ウクライナ=ソヴィエト社会主義共和国、国連にソヴィエト連邦とは別議席で加盟(原加盟国の1つ)。
- 同年、現スロヴァキア領東部のルテニア地方が、占領、併合を経て、ウクライナ領に編入される。
- 1954年
- クリミア半島が、ロシア共和国領から、ウクライナ=ソヴィエト社会主義共和国領に改変される。
- 1986年
- ウクライナ領内のチェルノブイリ原子力発電所で事故。
近況
- 1990年
- 7月、国家主権宣言。国名をウクライナに変更。ウクライナ語を公用語に指定。
- 1991年
- 8月、軍事クーデタ。直後に独立を宣言。
- 同年12月、ウクライナの国民投票にて大統領選出さる。市場型自由経済への移行、将来、非核、中立非同盟国を目指すことなどを宣言。同12月、ソヴィエト連邦崩壊。ウクライナ、CIS創設協定に加盟。
- 1992年
- 5月、ウクライナのクリミア県議会は、独立を決議し、クリミア共和国を宣言。ウクライナ議会は同月中に独立無効を決議したが、半島に黒海艦隊基地を有すロシア共和国は独立支持の姿勢を打ち出した。クリミアの独立を巡る状況は、しばらく緊張状態が続く。
- 1994年
- ウクライナ、核拡散防止条約に加盟。
- 同年、ロシアは独立を宣言していたチェチェン共和国で武力鎮圧を開始。これをきっかけに、チェチェン独立を鎮圧しつつ、クリミア独立を支援するのは、ダブル・スタンダード、とのロシア非難が各国から表明される。ロシアはクリミア独立支援を手控えるようになり、クリミア側でも、ウクライナ内の自治共和国でよしとする意見が強くなっていった。
- 1996年
- 憲法制定。ウクライナ、通貨としてグリブナを新たに導入。ロシア連邦に核兵器を移送し、非核化終了。
- 1997年
- 5月、クリミア半島に存在したロシア黒海艦隊基地の処遇について、20年間の貸与とする協定がウクライナ、ロシア間で締結され、決着。
- 1998年
- クリミア議会で、クリミア自治共和国憲法、制定される。
- 2000年
- ウクライナで、包括的核実験禁止条約(CTBT)批准。
- 2003年
- ウクライナ、ロシア連邦、ベラルーシ共和国、カザフスタン共和国との間で、統一経済圏の創設協定に調印。
- 2004年
- ウクライナで、大統領選挙実施。15万票の僅差で、親ロシア派のヤヌコヴィッチ候補の当選が公表されたが、親欧米派のユーシェンコ陣営が、選挙で大規模な不正があったとの批判を公表。これがきっかけとなり、首都キエフなどで、ストライキ他、大規模な政治運動(オレンジ革命)が起きた。
- 12月に再選挙が実施され、ユーシェンコ候補が当選。今度は、ヤヌコヴィッチ陣営がユーシェンコ陣営に不正があったとして最高裁に提訴。しかし、政府施設の封鎖などがおこなわる内、提訴は却下された。
- 同年、12月、ウクライナ議会で立法府の大統領に対する優越を強める主旨の憲法修正が可決。(予定では、2005年9月に発効)
- 2005年
- 1月、ユーシェンコ、ウクライナ大統領、正式就任。
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