ベーリンジア
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ベーリング陸橋は、氷河時代?の間、数万年間陸地だったと推測されている。今から1万年前頃には、狭い海峡が生まれ、今から4000年前頃には、概ね現在のような地形に整ったのだろう、と推測されている。
「陸橋」「地橋」という言葉からイメージされる、幅の狭い陸地が残っていた時期は、おそらく、今から1万2千年前頃の前後数千年間だったことだろう。
最大化していた時期、南北幅は、およそ1600kmに渡っていたと目される。シミュレーションによれば、チュコト海海域のウランゲリ島?の北海域から、ベーリング海のアリューシャン列島?にかけてが陸地になっていた、とされる。
太平洋?からの湿潤な南西風は、現在のアラスカ地域?にほとんどの水分を降らせ、陸橋部の降雪は少なかったと推測されている。このため、地域は氷河に覆われていなっかたのだろう、と言われている。
ベーリンジアが、ヒト集団を含む様々な陸棲生物種の、ユーラシア側からアメリカ側への拡散ルートだったことは、化石類の調査から確実なことと推定されている。
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ベーリンジア、あるいはベーリング地橋を伝っての、ヒト集団(現世人類集団)の拡散については、近年、議論が高まっている。
20世紀の1930年代に整理された古典的なセオリーでは、今から1万7千年前頃、氷床が大きく発達していた時期に、多数のヒト集団がベーリンジアを渡り波状的にアメリカ方面に移行していった、と考えられていた。
古典セオリーでは、これらのヒト集団は、5万年前頃から1万年前頃、北アメリカ大陸?の中北部を覆っていたウィスコンシン氷床?の溶融が進むにつれ、より南方の南北アメリカに拡散して言った、とされた。
このセオリーは、中南米の広域各所からクローヴィス・タイプの石器?が、発掘されたことから唱えられた。つまり、「ウィスコンシン氷床以北に長期滞留している間に、人口圧力を高めたヒト集団が、氷床の溶融をきっかけに比較的短期間に中南米にまで広がった」とする説だ。
このクローヴィス文化説に対しては、後年、次のような批判が寄せられ、新しいセオリーが唱えられるようになった。
クローヴィス文化説では、今から1万1千年前頃に石器人が南アメリカ南端にまで、比較的短期間に拡散しながら到達したとするが、それにしては、クローヴィス・タイプの石器が発見される場所に偏りがありすぎ、断続的すぎるのがおかしい。
クローヴィス文化説が正しければ、同タイプの石器は、もっと広く薄く分布しているはずではないのか?
また、チリのモンテ・ヴェルデ遺跡?が1977年に発掘された後、出土したクローヴィス・タイプの石器が、今から1万2,500年前のもの、と測定された。あるいは、U.S.A.(合州国)?南部のサウスカロライナ州?にあるトッパー遺跡?について、2004年に報告された調査レポートでは、遺跡から発掘採集された炭化物(おそらく火を使った痕跡)の年代測定が、今から5万年前のもの、と測定された。
こうして、古典的セオリーに対する見直しが強く要請されるようになった。
現在、古典的セオリーは、批判的な意味を込めて「短期拡散説(short chronology)」と呼ばれるようになり、幾つかの「長期拡散説(long chronology)」が仮設モデルとして唱えられるようになっている。
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参照:[考古学、歴史研究の関連用語] [ベーリング地橋] [小辞典ワールド編] [ベーリング海峡] [ベーリング陸橋]