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考古学、歴史研究の関連用語

考古学、歴史研究の関連用語

考古学、歴史研究の関連用語とは

 「考古学、歴史研究の関連用語」では、「考古学用語」や「歴史研究用語」とを扱います。

 関連用語かな? と迷うようなものもあるかもしれません。判断は、用語よりも、解説記事の内容でつけていくといいと思います。

考古学とは――
 「考古学」とは、過去のヒトやヒト集団の遺した活動痕跡を研究する、広い意味での歴史研究?の分野。伝統的な歴史学が、過去の歴史記録を元にした研究(文献史学)であるのに対し、遺跡出土遺物などの分析を基にする研究。ただ、考古学でも、出土した碑文、古文書などのテキスト分析は重要だ。
 研究分野として確立した頃には、「当時主流だった文献史学の補助学だ」とみなされたが、現在は、概ね、「文献史学と考古学は、互いに互いを補い合うのが理想」とされる関係になっている。
(ただし、考古学と歴史学や、隣接学問との関係付けは、国よっても多少異なる学問伝統がある)
 大まかには18世紀末頃からはじめられ、19世紀を通じて盛んになり、20世紀の第2次世界大戦?後に大きく進歩した。
歴史研究とは――
 普通、「歴史」は、「過去におこったできごと」、「過去におこったできごとの記録(同時代記録)」、「過去のできごとについての時代をおいての分析(広い意味での分析)」の3つの意味を持つ。
 例えば、「ある事件に立ち会った人物の回想録」は、「同時代記録(歴史)」とみなされるかもしれないが、後世の人間が単に過去を追想しただけの書き物は、歴史とはみなされない。
 広い意味での「歴史研究」は、「過去の記録や遺物、遺跡などを証拠として踏まえながら、過去の出来事を整理、再構成する作業」を指す。
歴史研究の用語――
 近代の伝統的な歴史学は、考古学が未熟だった時代に、過去の文献に基づいて、過去の出来事の因果関係を解明する学問として発達した(文献史学)。
 現在の歴史研究は、文献だろうと遺物、遺跡だろうと、過去の出来事の因果関係を解明するのに役立てる学問が目指されている。(が、考古学と、文献史学とでは、重視する史料の違いから、しばしば意見が対立することもある)
 歴史研究で使われる用語は、過去の人々が使っていたのと同じ単語を使う場合でも、過去の意味を踏まえたうえで、現代風の定義になることが珍しくない。過去の人々が重視していなかった、あるいは明瞭には意識していなかった意味づけも、因果関係の一部として解明しようとするからだ。

このインデックスの運用

 次の用語は、それぞれ専用のインデックス・ページで扱っていった方がいいように思えます。項目名が膨大化するのを避けるためです。

  • 個別の出土遺物⇒ アーティファクツやオーパーツ・ソース
    古文書類は、個別のものも、こちらと両方で扱ったほうがいいでしょう。
  • 個別の遺跡⇒ 遺跡
  • 個別の人物⇒ 歴史上の実在人物
  • 歴史上、実在した、国家、王朝、政権⇒歴史上の国家、王朝、政権
    「時代区分」については、こちらで取り扱いたいところです。
    王朝をどう扱うか、悩ましいところです。(とりあえず記事内容に準拠、でどうでしょう?)
  • 歴史的地域名⇒ ランド・マーク
    この類は、こちらとランド・マークとの両方で扱った方がいいものもあるかもしれません。判断は投稿者に委ねられますが、両方で扱う場合、解説文中で、その理由にも触れられていると好ましいとは思います。

ア〜オ

ア〜

アクロポリス
 古代ギリシア?のポリス?の多くで、都市中核部に位置するよう、都市プランが意図された小高い丘を指す総称。通例、ポリスの祭神を祀る神殿、及び、所縁の神々の聖廟などが設けられた。
 アテネ?のアクロポリスがあまりに有名だが、多くのポリスに設けられていた。
アーティファクツ
 「美術・工芸品」一般を指す。未開部族の民芸品もアーティファクツなら、最先端の電子機器もアーティファクツである。
アッシュル・バニパル文庫 アッシュル・バニパルぶんこ(ニネヴェの図書館)
 ニネヴェ遺跡?出土の粘土板文書の内、アッシリア帝国?の帝王、アッシュル・バニパルが収集した古文書コレクションを指す総称。19世紀に発掘された。
 「ニネヴェの図書館」、「アッシュル・バニパルの図書館」などと呼ばれることもあるが、粘土板文書のコレクションを指す呼称としては「アッシュル・バニパル文庫」が相応しい。
アッシリア地方 アッシリアちほう
 しばしば、「古代メソポタミア?の北部を意味する古代地域名」として用いられる。単に「アッシリア」と呼ばれることもあるが、アッシリア国家?も「アッシリア」と呼ばれるので、紛らわしい。ここでは古代地域名としては「アッシリア地方」を用いることにする。
 「アッシリア地方」の場合、「古代地域名」とは、現在の研究者による用語にやや近い。少なくとも、現在も社会的に実用されることもある「歴史的地域名」ではない。
 「アッシリア地方」は、古代にも「アッシリア国家の領域」を意味した。細かくいえば、「アッシリア国家の中核部である、『アッシリア故地』」からはじまったが、アッシリア国家の盛衰にともなって拡大、縮小した。「アッシリア地方」の範囲は、時代による異同が大きかった。
アッシリアの王碑文 アッシリアのおうひもん
 古代アッシリア?で各種記念碑、宮殿の壁、角柱柱、円柱柱、記念埋蔵物などに刻まれた碑文の内、ときのアッシリア統治者の1人称形式で語られた碑文類を指す総称。カテゴリー名は、現代の研究者による便宜的なもの。
 戦勝や征服事業の経過などを顕彰した政治的文書が多いが、中には、宗教的性格の強い奉納碑文などもある。
アンク
 俗に「エジプト十字架」とも言われるシンボル。古くは、エジプト伝統神たちの持物(アトリビュート)とされていた。
アンティキティラの機械調査プロジェクト アンティキティラのきかいちょうさプロジェクト
 アンティキティラの機械を収蔵管理している、ギリシア共和国?の国立アテネ考古博物館を中心に、U.K.(連合王国)U.S.A.(合衆国)の大学も参画、両国の企業からの支援も受けた学術プロジェクト。
 2006年現在、同プロジェクトは、アンティキティラの機械についての共同調査をアテネで進めている。

イ〜

遺丘 いきゅう
 何層もの遺跡層が成層し、丘のような形状を示すに至った遺跡。
 多くは地理的要因から対環境戦略上有利な地域に、繰り返し集落の類が営まれた結果生じる。
遺構 いこう
 「遺構」は、「人間が過去に活動した場所に残存している建造物、及び、その残余」を意味する。
 遺跡が、「遺構の敷地、及び周辺の土地一帯を含むのに対し」、遺構は、ヒトの手になる建造物自体を意味する。(元々遺構を持たないタイプの遺跡もある。例えば、回遊する狩猟採取部族の野営地の「遺跡」など)
遺物 いぶつ
 欧米語の考古学用語で、“Archaeological aratefacts(考古遺物)"の訳語。遺跡から発見された道具類など、強いて言うなら動産類の総称。建造物など、不動産の類は含めない。

ウ〜

エ〜

エジプト誌 エジプトし
 紀元前3世紀頃、初期のプトレマイオス朝?に仕えた古代エジプト人マネトーの著作。内容は、古代エジプト王朝の伝統的な王統譜を王朝譜に編纂した、と思われるもの。
 現代の古代エジプト研究で用いられている諸王朝の区分は、マネトーによる区分をベースにしつつ、考古学的に解明された知見を加えて再編成したものになっている。古典ギリシア語?も読み書きできたマネトーは、この著作を“Aegyptiaca”または、“Aigyptiaka”と題していたようだ。現在は、『エジプト史』と呼ばれることもある。
エポニム
 「エポニム」(Eponym)は、「広く名の知られた(Eponymous)人物や、神話、伝説の英雄の名を採った、物語類の題名や事物のタイトル」などのこと。例えば、「ノーベル賞は、広く知られた(eponymous)化学者、アルフレッド・ノーベルの名にちなんだ賞(eponym)」だ。あるいは、「ブッシュ政権」も、大統領の名に由来する「エポニム」。
 また、統治者の王号に基づく記年、年号、例えば「アウグストゥスの3年」なども「エポニム」と呼ぶ。これは、(英語などでは)古風な用法で、現在は、歴史研究での用語のように用いられている。

オ〜

オベリスク
 普通は、古代エジプトの王朝によって作製された、特定のスタイルの記念碑を指す。上に行くほど細くなる四角柱(正確には四角錐台)の頂部が、より急傾斜の四角錐となって終わる、一枚岩から切り出された縦長の石柱記念碑のことである。

カ〜コ

カ〜

化石人類 かせきじんるい
 化石遺骨でのみ確認され、、現世人類?には見られない人種?を漠然と指す総称。
 普通は、類人猿?の類には用いない。化石種の類人猿や近縁種を示す言葉は、「化石霊長類?」になっている。
上エジプト かみエジプト
 エジプト=アラブ共和国ナイル流域上流を指す歴史的地域名。この場合の「上」は、「地図の上方(北)」ではなく、「ナイルの上流方向(南)」を意味する。
 現在は、カイロ?よりも南の、エジプト領内のナイル流域を指す。2006年現在、エジプトでは、上エジプトのかなりの範囲が「外国人単独行動制限地域」(単独行動が制限される地域で、立ち入り禁止地域ではない)に指定されている。⇒ エジプトの外国人単独行動制限地域
 「上エジプト」にあたる地域を一括する用法は古代エジプト?の、先王朝時代?から用いられていた。
 古代の地名で言うと、メンフィス(メン・ネフェル)よりも南で、現在のアスワン?市街の南に位置したナイル川第1急湍〔きゅうたん〕のあたりまでが、上エジプトとみなされた。
上エジプトの白冠 かみエジプトのしろかんむり
 古代エジプト?の伝統で、上エジプトの支配者の被り物とされた冠を指す。現在の研究者の呼称。

キ〜

ク〜

グレート・ゲーム
 諸国の探検家や冒険家が、19世紀後半から20世紀前半頃まで活躍した、内陸アジア探検時代の政治的側面を指すキーワード。専門的な歴史学の用語ではないが、政治史やジャーナリスティックな歴史研究ではしばしば用いられる。

ケ〜

コ〜

古代エジプト時代 こだいエジプトじだい
 「古代エジプト時代」は、漠然と「エジプト地域の古代」とイメージされることが多い。
 しかし、エジプト地域が古代ローマ帝国の皇帝領とされた時期は、「エジプトの古代」ではあっても、普通「古代エジプト時代」には含めない。
古代エジプト略史 こだいエジプトりゃくし
 時代区分としての「古代エジプト時代」は、現在、B.C.3100年頃、または、B.C.3000年頃から、B.C.332年まで、あるいはA.D.30年までとされることが多い。

サ〜ソ

サ〜

シ〜

下エジプト しもエジプト
 エジプト=アラブ共和国ナイル流域下流を指す歴史的地域名。この場合の「下」は、「地図の下方(南)」ではなく、「ナイルの下流方向(北)」を意味する。現在では、カイロ?以北のナイル流域を指す。
 「下エジプト」にあたる地域を一括する用法は古代エジプト?の、先王朝時代?から用いられていたと思われる。
 古代の地名で言うと、メンフィス(メン・ネフェル)以北で、地中海南岸のナイル・デルタまでとみなされた。
下エジプトの赤冠 しもエジプトのあかかんむり
 古代エジプト研究で「赤冠」と呼ばれるのは、伝統的に下エジプトの支配者の被り物とされた冠。
シュメール王名表 シュメールおうめいひょう
 シュメール・アッカド地方?で有力だった諸王朝の、王朝ごとの王統記録が編纂された楔型文字文書、及び、この類の文書複数の異同を現代の研究者が校訂したテキストを意味する。
新アッシリア時代 しんアッシリアじだい
古代メソポタミアで、アッシリア帝国が栄えた時代。
新石器時代 しんせっき じだい
 古くは「石器時代の末期」を指す時代区分とされた。もともとは、石器の作製技術に基づいた時代区分として提唱されたが、その後の考古研究では、過去のヒト社会のライフ・スタイル(文化)の再構成へと焦点が移っている。現在はむしろ「非定住の狩猟採取のライフ・スタイルから、定住化、牧畜や農作、農耕を採用したライフ・スタイルが生じた流れ」の内で、新石器時代を考えるようになっている。
 現在は「穀物の栽培(必ずしも組織立った耕作とは限らない)と、家畜の飼育(家畜化)が採用された時代で、多くの場合定住化が進行した時代」などの定義が唱えられている。このタイプの定義は、細部についての議論はあっても、大枠としては合意されているものと言える。
 新石器時代の具体的時代区分は、地域によって異なることも研究者の間では合意された見解だ。例えば、オセアニア地域では、新石器時代の区分を設定することも困難、と言われている。

ス〜

ステップ・ピラミッド
 遺構、ことに古代建築で、上に行くほど小さくなる方形の部位を積みかさなた外見の物を総称する用語。外形上の大まかな類似のみに着目するカテゴリになっている。

セ〜

石器時代 せっきじだい
 現在は「ヒトの類が、人工的に石器?を作る技術、及び作られた利器(石器)の利用を主要技術にして社会生活を営んでいる時代」といった意味で用いられる時代区分。
 当初は、古い時代のヒトの歴史を、石器時代/青銅器時代?/鉄器時代?と、区分する考え方で用いられはじめた。この3区分は、大まかな歴史区分としては、現在も使われることはあるが、用いられる頻度はたいへん減っている。
 現在は、どちらかと言えば、大まかな時代区分として「石器時代/金石併用時代?」という区分を考えるほうが主流になってきている。金石併用時代が鉄器時代に移行する経緯は、地域ごとに多様だ、との認識も共有されてきている。
 また、石器時代を、石器の製作技術に応じて、旧石器時代?/中石器時代?新石器時代と大別、さらに細別していくこともなされている。
千年紀 せんねんき
年代を整理把握する数え方の1つで、千年を一単位とするもの。ほとんどの場合、紀元前の古い時代に用いられる。

ソ〜

タ〜ト

タ〜

炭素同位体年代測定法 たんそどういたいねんだいそくていほう
 自然科学的な年代測定法の1種。自然科学的測定法の初期から用いられた手法なので、有名。

チ〜

ツ〜

テ〜

ト〜

ナ〜ノ

ナ〜

ニ〜

ヌ〜

ネ〜

年代測定法 ねんだいそくてほう
 考古学研究では、対象試料の年代を特定する種種の手法の総称として用いられる。多くは、対象試料が特定の変質をおこしてからの年代を測定する。

ノ〜

ハ〜ホ

ハ〜

バシリカ
 古い時代のキリスト教教会建築の1形式を指す総称。十字架形の床面プランではなく、長方形の床面、あるいは長方形床面の両脇に、長辺に沿って細長い側廊を設けたタイプが多い。ゴシック式教会建築のように、高層なイメージの演出は見られない。

ヒ〜

ヒル・フィギュア
 丘陵などの傾斜面に刻まれた、大きな平面的図像の類を指す総称。斜面に溝を刻むことで造築され、概ね傾斜面の高い部分に刻まれる。
 イングランド?に多いチョーク・フィギュアは、ヒル・フィギュアの一類。

フ〜

ファラオの2重冠 ファラオのにじゅうかんむり
 古代エジプト研究で「ファラオの2重冠」呼ばれるのは、古代エジプトのスタンダード?で、上下エジプトの統一支配者であるファラオ?だけに許されるとされた特別の冠を指す。単に「2重冠」とも。
プスケント
ファラオの2重冠

へ〜

壁龕(ニッチ) へきがん
 「ニッチ(niche)」は、フランス語から英語に入った言葉で、どちらの言語でも「隙間」あるいは「隙間に物を置く」、さらに転じて「(物を)うまく納める、据える」「所を得る」「適所に落ち着かせる」などを意味する。
 建築や美術史では、特に「物品を設置する場所として、壁面などの垂直面に一部に設けられた窪み」を意味する。壁面に限らず、柱など、垂直面に同じ目的で設けられた窪みは、全て「壁龕(ニッチ)」だ。あるいは、岩窟像の類で、岸壁や岩山に像を穿ち、結果として周囲に刻み出された空間も「壁龕」と呼ばれることが多い。
 多くの場合、花瓶や彫刻などを据えるので、「奥行きをもって刻まれた窪み」になる。
ベーリンジア
 「ベーリンジア」とは、現在のベーリング海峡、及び、周辺の浅海が、氷河時代?に陸地だった古地形を指す。「ベーリング陸橋」、あるいは「ベーリング地橋」とも。
 アジア州北アメリカ州とを結んでいた陸地で、時期にもよるが、「地橋」「陸橋」という言葉から連想されるよりも、はるかに広い範囲が陸地化していた時期は長かった。
 その意味では、陸地範囲が広かった時期を「ベーリンジア」と呼ぶのは適当だろう、「地橋」「陸橋」という言葉に相応しい地形は、長いベーリンジアの地誌でも、末期の数千年間にすぎなかった。

ホ〜

マ〜モ

マ〜

マスタバ墓 マスタバぼ
 「マスタバ墓」あるいは、単に「マスタバ」は、古代エジプト?の研究では、古代エジプト時代の早い時期に、多数建造された墓廟建造物のタイプを指す総称。
 「マスタバ」は、アラビア語で、ベンチのような長椅子の類を意味する。マスタバ墓を遠くから見ると、その外見が長椅子のように見えるため「マスタバ墓」の呼称が用いられている。

ミ〜

ミトラ冠 ミトラかんむり
 キリスト教会の上位聖職者が儀式の際に被る縁無しの冠として知られる。司教冠とも。英語で「マイター(miter)」とも。
 新教諸派では、一部の例外を除いてあまり用いられない。

ム〜

メ〜

メソアメリカ
 普通、現在のメキシコ領から、中央アメリカの北西部のあたりにかけての地域にあたる。
 元々は、地域の古代文明、古代文化についての研究で唱えられた、歴史的、文化的な地域区分で考古学、民族学の用語だった。従って、現代社会の地域区分として流用するには無理がある。が、時として、現在の地域区分として転用されることもある。こうした流用、転用の場合、しばしば、元の地域区分とは微妙に異なった範囲が含意されることもある。
 元もとの区分範囲を、現存国家の領域区分に重ねてみると、ニカラグア共和国、エル・サルバドル共和国?ホンジュラス共和国グアテマラ共和国ベリーズから、メキシコ領の北西部にかけての一帯を指した。

モ〜

ヤ〜ヨ

ヤ〜

ユ〜

ヨ〜

ラ〜ロ

ラ〜

リ〜

ル〜

レ〜

レイ・ライン
 考古学関連の仮説概念で、主に石器時代の巨石遺構?やモニュメント類に関連して言われる。「巨石遺構の類の内には、複数が直線状に断続して構築されたものがある。これらは、意図的に直線上に配置されたのではないか(?)」と、考える仮設で「遺構類を結んだ直線」を指して「レイ・ライン(Ley line)」と呼ぶ。
 石器文化や巨石遺構の研究がまだ不充分だった時期に提唱された仮説概念で、現在の研究者の間では、普通は、否定される。しばしば、「擬似科学理論」とも、「ロマンティックなファンタジー」とも評されている。
歴史的アレクサンドリア れきしてきアレクサンドリア
 マケドニア?のアレクサンドロス3世?の名にちなんで建造された古代都市名。
 現在、単に「アレクサンドリア」(英語読みで「アレキサンドリア」)と呼べば、普通、エジプトアレクサンドリアを指す。しかし、古代にアレクサンドリアと命名された都市は多数あった。

ロ〜

ワ〜

英数