略年表,歴史的シリア地域の〜
歴史的シリア地域の略年表
注記
- 略年表の時代区分は、この場ので便宜的なものです
- 略年表記載情報の、セッション中の取り扱い、情報等級の処理などは、各GMの判断に委ねられます。
石器時代〜銅石器時代
- 旧石器時代
- シリア地域では、ムスティエ文化の伝統に属す複数集団が交叉したと目される。
- B.C.1万500年頃の先土器新石器時代(PPN期)
- ナトゥーフ文化の伝統が、パレスティナ地方から、シリア地域の北西部山地へと拡散してきた。北西沿岸部は、定住的狩猟採集民の領域だったと目される。
- B.C.8500年頃〜B.C.6000年前(PPNA期)
- シリア地域では、ナトゥーフ文化の伝統の上に初期農耕文化と定住集落の建設がはじまる。
- その後しばらく、北西山地の初期農耕文化と、北西沿岸部の定住的狩猟採集民という住み分けは継続した。しかし、目安としてB.C.6000年頃以降から、かつての定住的狩猟採集民の領域で、農牧混合文化が営まれるようになり、文化圏は周辺に拡大。これと並行するように、かつての書気農耕文化の領域では、初期遊牧が主体になっていった。
- B.C.2500年頃の前後
- アラビア半島から、セム系遊牧民であるアムル人たちが北上。 シリア地方、メソポタミア北西部を経由し、各地に拡散していく。
- 現シリア領東部のユーフラテス川流域で、都市国家マリを営み、地域で支配的になったのもアムル人の一派。都市国家マリは、紀元前3千年紀中葉から後半にかけ繁栄。
古代
- B.C.1400年〜B.C.1100年頃
- 現在のラージキーヤ?近傍で、都市国家ウガリットが営まれる。概ねの期間、ヒッタイト王国に従属的だったが、港湾都市、交易都市として繁栄。(この間、現、レバノン領沿岸部では、フェニキア系諸都市の活動が活発化)
- 紀元前15世紀中頃
- かつてマリ王国が栄えたユーフラテス川流域で、ミタンニが最盛期を迎える。
- B.C.1300年頃
- 現シリア東部にヒッタイトと友好的な、ハニガバルドの諸勢力が分立。
- B.C.1286年
- 現シリア領西部の[[オロンテス川:流域で、ヒッタイト対エジプトのカデシュの戦いが戦われる。結果は双方痛み分けだったらしいが、双方とも公式記録には自国が勝った、と記している。
- B.C.1280年頃
- 新アッシリアがハニバガルド諸勢力を征服。
- B.C.1200年頃
- 沿岸部を中心に、外来侵入者の被害を被る、いわゆる「海の民」の移動に伴う混乱か?
- B.C.1050年頃
- アラム人が、シリア地域を経由してメソポタミア全域に拡散していく。
- B.C.732年
- ダマスカス陥落事件。シリア・パレスティナ地域の諸都市同盟が、アッシリ帝国のティグラト・ピラセル3世に敗れた。
- B.C.720年
- アッシリア帝国のサルゴン2世が、シリア・パレスティナの諸都市同盟を破り、各所で捕囚政策をおこなう。
- B.C.680年
- スキタイ勢の南下。シリア地域を経てパレスティナに至り、エジプトにまで迫った。
- B.C.605年
- 新バビロニアのネブカドネザル2世が、シリア地方でエジプト軍と会戦し勝利。シリア・パレスティナ地方の覇権は、新バビロニアに握られる。
- B.C.538年
- アケメネス朝ペルシア成立、シリア・パレスティナ地方もアケメネス朝の属州となる。
- B.C.333年
- 歴史的シリアの北辺、現トルコ領南部のイッソスにて、古代マケドニアのアレクサンドロス3世率いるギリシア・ポリス連合軍と、ダレイオス3世率いるアケメネス軍が会戦。結果はアケメネス軍の敗走。
以降、アレクサンドロスはシリア・パレスティナの諸都市を降しつつ南下した。 - B.C.305年
- セレウコス朝成立。
- B.C.301年
- セレウコス朝、イプソスの戦いに勝利しシリア地方を獲得。
- B.C.169年
- セレウコス朝、プトレマイオス朝に戦勝し、エジプトの地中海沿岸を占拠。ただし、ローマの政治介入を受け、ほどなく撤収。
- B.C.85年
- 古代アルメニア、北シリアに侵出。シリア地方を征圧。
ローマ時代、ビサンツ時代
- B.C.69年
- ローマ軍、アルメニア軍を北方へ押し戻す。
- B.C.64年
- セレウコス朝ローマ軍に敗れ、併合される。属州シリア編成。
- A.D.37年
- アルサケス朝パルティア、属州シリアへ侵攻。
- 51年
- パルティア軍、シリアへ再進攻。
- 261年
- パルミラの実力者オダナイト、ローマの東部方面司令官に任じられる。
- 270年
- オダナイトの未亡人セノビア、パルミラ軍を率い、アレクサンドリアを征服。
- 271年
- ゼノビア、ローマよりの独立を宣言。
- 274年
- パルミラ、ローマ軍に敗れる。
- 526年
- シリア一帯を大地震が襲う。
- 528年
- シリア一帯を再度大地震が襲う。同年、アラブ人首長アル=ハーリト、ビサンツ帝国よりシリア地方の全アラブ人の長と認められる。
- 530年頃
- ササン朝ペルシア、当時ビザンツ領だったシリアに侵入。
- 540年
- ササン朝軍、シリアに再進攻。
- 542年
- ビサンツ帝国とササン朝、休戦条約を締結。以降数次に渡り更新。
- 569年
- アル=ハリートの地位を息子、アル=ムンディが継承(ガッサーン朝)。
- 584年頃
- ビザンツの策謀で、ガッサーン朝分解。シリア地域混乱期に。
- 611年
- ササン朝、シリアへの侵攻を再開。
- 628年
- ビサンツ帝国、シリアのササン朝軍を押し戻す。
中世イスラム時代
- 635年
- アラブ人イスラム勢、ダマスカスを征服。
- 661年
- ウマイア朝成立、ダマスカスが首都とされる。
- 750年
- イラク地域でアッバース朝が成立し、ウマイア朝の地位は名目化。シリア・パレスティナ地域はエジプトのファーティマ朝の影響下に。
- 1096年
- 蛮族フランク(当時のイスラム側による十字軍の呼称)、シリアに襲来。
- 1140年頃にかけて
- シリア・パレスティナ地域に、アルメニア公国、エデッサ伯領、アンティオキア公国、トリポリ伯領、エルサレム王国の十字軍国家が成立。
- 1154年
- ザンギー朝のヌールッディーン、ダマスカスに入城、シリア地方の解放を完了。
- 1187年
- サラディン、エルサレムに入城し、シリア・パレスティナの解放を完了。
- 1249年
- ルイ9世率いる軍勢、パレスティナ地域を再征服。
- 1259年
- フラグ率いるモンゴル軍、シリア地域に侵攻。翌1260年、アレッポを陥落さす。この軍勢はエジプトのマムルーク朝が押し戻す。
- 1280年
- モンゴル軍、シリア地方に再侵攻、マムルーク朝軍に敗れる。
- 1299年
- モンゴル軍、シリアに侵攻。翌、1300年ダマスカスを占拠。
- 1303年
- マムルーク朝軍、シリア・パレスティナ地域からモンゴル軍を掃討。
- 1400年
- ティムールの軍勢、イラクからシリア地域にかけてを制圧。
- 1486年
- シリア地域の領有を巡る、オスマン・トルコ帝国とマムルーク朝との対立が、交戦に至る。以降、両王朝は度々会戦を断続。
- 1516年
- シリア地域、オスマン・トルコ帝国に征服される。
近代
現代
- 1918年
- 英仏などの連合軍、アラブ軍の支援を受けシリア地域を制圧。オスマン帝国の影響力を排除。
- 1920年
- セーブル条約により、フランスの信託委任領に。
- 1941年
- 英軍、自由フランス軍、シリアに進駐。ビシー政権駐留軍の影響力を排除。
- 1943年
- 仏領シリアで議会選挙。議会は、初代大統領を選出。
- 1945年
- シリア=アラブ共和国、アラブ連盟に加盟。国連に加盟。フランスからの新兵団の派兵を拒絶。フランス軍は武力行使に出た。しかし、同年、国連創立総会が持たれており、総会の席上、U.K.(連合王国)?の仲介もあって、翌年までにフランスは撤兵をすることが申し合わされた。
- 1946年
- シリア=アラブ共和国、完全独立達成。
- 1948年
- イスラエル国建国が宣言され、第1次中東戦争に展開。シリアも参戦。
- 1949年
- イスラエル側有利の内に休戦。同年、シリア=アラブ共和国にて軍事クーデタ勃発。同国では、これをきっかけに同年中に3回の軍事革命が連続。
- 1950年
- シリア=アラブ共和国、軍事政権下で憲法公布。イスラエル、レバノンとの関係悪化。
- 1953年
- シリア=アラブ共和国、アラブ解放党の一党独裁下で憲法改訂。
- 1954年〜1955年
- シリア=アラブ共和国、国内各地で騒乱。反乱に発展し、アラブ解放党政権倒壊。1950年の憲法が復活。
- 1956年
- イスラエル軍、エジプト領に侵攻。シリア=アラブ共和国は、エジプト側同盟国として派兵(第2次中東戦争)。これをきっかけにソ連と接近。
- 1957年
- シリア=アラブ共和国の軍当局が「現政権を転覆させようとする米国の陰謀」を公に暴露。
- 1958年
- シリア=アラブ共和国、エジプトと合邦し、アラブ連合共和国を発足。
- 1961年
- シリア=アラブ共和国で軍事クーデタが起き、アラブ連合共和国解体。シリアは国連に再加盟。
- 1963年
- シリア=アラブ共和国で、一連の軍事革命の末にバース党政権成立。
- 1967年
- 第3次中東戦争(6日間戦争)勃発。イスラエル軍、ゴラン高原を占拠。
- 1971年
- シリア=アラブ共和国で、ハーフェズ・アル=アサド大統領、就任、長期政権開始。
- 1973年
- シリア軍、エジプトとの共同作戦で、ゴラン高原の北端を奪回(第4次中東戦争)。翌1974年に停戦。
- 1976年
- レバノン内戦にシリア=アラブ共和国が介入、以降軍を駐留させ、政治的影響下に置く。
- 1980年
- イラン・イラク戦争に際し、シリア=アラブ共和国はイランを支持し、イラクと国交を断絶。
- 1990年
- イラク軍、クウェート国に侵攻。シリア=アラブ共和国は、反イラクの立場で、サウディ=アラビア王国に派兵。
近況
- 2000年
- シリア=アラブ共和国のアサド大統領死去。後任は次男のパッシャール・アル=アサド大統領(世襲とも言われる)。
キーワード:
参照:[シリア=アラブ共和国]