カルトヴェリ人
追加情報
- 小辞典版推奨判定
- 「交流+知性 目標値10〜12」「歴史+知性 目標値12〜14」
- やや詳しい情報 カルトヴェリ人の祖先集団は、紀元前には、現グルジア共和国?中部東寄り山地地帯を勢力圏にしていた。この地域は歴史的な地域名で「カルトゥリ地方」と呼ばれるが、「カルトヴェリ(人)」の名は、「カルトゥリ(地方)」の派生語にあたる。
- ちなみに、同じく「カルトゥリ?地方」を語源にしたグルジアの自称国名が「サカルトヴェロ」。
- 現在のカルトヴェリ人は、近代グルジアの国家統合の中核を担ってきた経緯から、顕著な民族的特徴を挙げづらい。言語面でも、公用グルジア語はカルトヴェリ語ベースだし、婚姻関係、親族関係、生業形態などは、都市部の居住者を中心に伝統的なあり方が崩れてきている。宗教は圧倒的にグルジア正教の信徒が多数派だが、これはカルトヴェリ人以外のグルジア人でも、ほぼ同様。
- 小辞典版推奨判定
- 「歴史+知性 目標値12〜14」「交流+知性 目標値14以上」
- 詳しい情報 古代カルトヴェリ人は、遅くとも西部グルジアにコルヒダ王国が成立した紀元前6世紀頃には、カルトヴェリ地方を生活拠点にしていたと思われる。紀元前3世紀頃には、カルトヴェリ地方に古代イベリア王国を築いた。
- その後、イベリア王国は紀元4世紀の末、ビザンツ帝国の影響下でキリスト教を受容。キリスト教は、カルトゥリ地方のムツヘタを中心としてグルジア各地に広まっていった。グルジアでのキリスト教の広まりは、カルトヴェリ人を中心に民族的まとまりを強める下地をなしたと思われる。
- 紀元10世紀、カルトゥリ地方から勢力を広げたバグラト朝が、はじめてグルジア地域の東西を統一した国家を建国。この頃には、現在に至るグルジア人の民族的まとまりは決定的になっていたようだ。例えば、グルジア人の一派であるスヴァン人は、バグラト朝軍団の中核兵団として勇名を馳せた。
キーワード:
参照:[グルジア人] [グルジア] [メグレル人] [スヴァン人]