アラウカニア・パタゴニア王国
- アラウカニア・パタゴニア王国 アラウカニア・パタゴニアおうこく 簡易版
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- 英語名
- Kingdom of Araucania and Patagonia(キングドァム・オブ・ェアラウキャニァ・ェアンド・ペァタゴゥニァ)
- 英語名別称 New France(ニュー・フレァンス)
- フランス語名
- 調査中
- フランス語名別称 Nouvelle France(ノゥウェル・フラァンス)
- スペイン語名
- 調査中
PCが予め知ってていい情報
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「アラウカニア・パタゴニア王国(キングドァム・オブ・ェアラウキャニァ・ェアンド・ペァタゴゥニァ)」は、19世紀後半、南アメリカ大陸南部のアラウカニア?を拠点に、短期間営まれた自称国家。あるいは、宣言された独立は形式的なもので、「実際は国家としては存立しなかった」と評価されることもある。
当時、パタゴニアに進出を続けていた、アルゼンチンとチリに対して、武力抵抗をしていた先住民マプチェ族(Mapuche)にフランス人探検家オルリー・アントアン?が同調。アントアンを国王として、独立宣言がなされた。
その後、アントアンは、チリ政府に拘束され、フランスに送還されたが、王国は、マプチェ族?の部族国家のようにしてしばらく続き、1880年代に、アルゼンチン、チリ両国に分割征服された。
やや詳しい情報
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1860年代、当時のアルゼンチン、チリ両国は、農耕地の開拓を求めて、武力行使も伴った進出を、パタゴニア地方(リィヂェン・オブ・ペァタゴゥニァ)に続けていた。
当時、地域を訪れていたオルリー・アントアン?は、マプチェ族の指導者たちに当時の、西欧式の国際法の手法で、独立国としての宣言をする政略を提案。マプチェ族たちは、アントンの提案を歓迎し、アントンを国王として、独立宣言の手配を委ねた、と、伝えられている。
ともあれ、アントンは、アラウカニア・パタゴニア王国の初代国王、オルリー・アントン1世として、国名、国旗、国家徽章、などなどを定め、独立を宣言。1860年11月のことだった。
12月には、パタゴニア地方は、「アラウニカ・パタゴニア王国の領域である」旨の主張も付記した、独立宣言の写しが、チリの新聞に送付された。アントンは「新フランス(Nouvelle France)」の国号を刻印した硬貨も鋳造させた。(ただし、当時のマプチェ族の勢力拠点は、現チリ領のアラウカニア?に集中。パタゴニア地方広域では、むしろゲリラ的な抵抗が続けられていた)
アラウニカ・パタゴニア王国建国の目論みは、普通、チリ政府が、1861年〜1883年に展開した、「アラウカニア制圧作戦」及び、同時期にアルゼンチンでも展開された軍事作戦によって挫折した、と評価されることが多い。
オルリー・アントン1世は、何度かアルゼンチン当局、チリ政府に捕縛され、数回投獄もされた。最終的には、当時のチリ大統領、ジョセ・ペレッツ(José Joaquín Pérez)が、「アントンは精神異常者である」との政治的決着を下し、精神病院に収監。数ヵ月後の1862年、アントンは、国外追放処分のうえフランスに送還された。
オルリー・アントンは、「アルゼンチン、チリ両国による『王国』の『征服』は、不当である」との主張を込めた回顧録を、1863年にフランスで出版。1869年にアラウカニアを再訪し1871年まで滞在。その後、フランスに帰国し1878年に死亡した。
さらに詳しい情報
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フランス帰国後のオルリー・アントンは、ほとんど破産状態だった、とも言われている。しかし、“正当な”アラウニカ・パタゴニア王国の王統と、「アルゼンチン、チリ両国による『王国』の『征服』は、不当」との主張は、アントンの家系に受け継がれた。
“国王”としては第6代にあたる、フェリペ氏は、1952年に生まれ、フランスに存命中だが、彼の代になって、はじめてアラウニカ・パタゴニア王国の継承権が公式に放棄された。しかし、氏は、パタゴニア地方で、現在のマプチェ族が求めているる自決権の獲得運動には、支援活動を続けているようだ。
GM向け参考情報
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リンク
関連項目
資料リンク
- Wikipedia英語版:Araucania_and_Patagonia
- NORTH AMERICAN ARAUCANIAN ROYALIST SOCIETY
サイト名は“北アメリカ=アラウカニア王党派協会”といったところか(?)。協会の社会的実態については、未調査。
補助資料
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活用や検討
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キーワード:
参照:[小辞典ワールド編] [歴史上の国家、王朝、政権]