歴史上の国家、王朝、政権
歴史上の国家、王朝、政権
「歴史上の国家、王朝、政権」は、リアル・ワールドの歴史上、実在した、国家、王朝、政権についての項目のインデックス・ページとします。
- 現在も存在する国家については「現存国家」で。
- アラウカニア・パタゴニア王国 アラウカニア・パタゴニアおうこく
- 19世紀後半、南アメリカ大陸南部のアラウカニア?を拠点に、短期間営まれた自称国家。あるいは、宣言された独立は形式的なもので、「実際は国家としては存立しなかった」と評価されることもある。
- 当時、パタゴニアに進出を続けていた、アルゼンチンとチリに対して、武力抵抗をしていた先住民マプチェ族(Mapuche)にフランス人探検家オルリー・アントアン?が同調。アントアンを国王として、独立宣言がなされた。その後、アントアンは、チリ政府に拘束され、フランスに送還されたが、王国は、マプチェ族?の部族国家のようにしてしばらく続き、1880年代に、アルゼンチン、チリ両国に分割征服された。
- ウラルトゥ王国 ウラルトゥおうこく
- 古代メソポタミアで「ウラルトゥ」と呼ばれた広い意味でのアルメニア山地を勢力圏に活動した、山岳民族の古代王国。紀元前9世紀、活発に活動し、同時期のアッシリア帝国?と敵対した。
- 王国形成の時期は、現状では未だ定かに整理されていないが、遅くとも、紀元前9世紀の中頃にはには王国の体をなしていた、と目される。紀元前6世紀末に滅亡。
- オスロエネ王国 オスロエネおうこく
- 普通は、紀元前1世紀の前半頃から紀元後3世紀の初頭にかけて、平地メソポタミアの北西部で営まれた地方政権を指す。
- 現在のシリア=アラブ共和国領北東部から、トルコ共和国領南東部にかけての一帯で支配的だった。ただし、「王国」とは言っても、パルティア帝国?、アルメニア王国?、ローマ帝国?、ササン朝ペルシア?などの間で帰属が揺れ動く地方政権で、大国の従属国でなかったことはほとんど無い。
- セレウコス朝シリア?の崩壊から生まれた小国の1つで、中心都市の名にちなんでエデッサ王国と呼ばれることもある。ただし、十字軍時代のエデッサ侯国?と紛らわしいので、「古代エデッサ王国」とでも呼んだ方がいいだろう。
- キリキアのアルメニア王国 キリキアのアルメニアおうこく
- 11世紀の第3四半世紀から14世紀の第3四半世紀まで、およそ300年間、アナトリア高地南縁で、現トルコ領の地中海北東岸沿岸に位置したキリキア地方?で営まれたアルメニア系の王国。
- 古代から続いたアルメニア王国と区別するため、しばしば、小アルメニア(王国)と呼ばれる。
- ビザンツ帝国に臣従していた武将や文官たちが支配層の祖となり、臣民にはセルジューク朝に服したチュルク系遊牧集団によるアルメニア高地への侵攻から逃れた、アルメニア人難民の移住者が多かった。
- クァーラト藩王国 クァーラトはんおうこく
- 「クァーラト藩王国」は、イラン高原南東部を中心に17世紀〜20世紀半ばまで存在していた、歴史上の王朝、国家。「カラート藩王国」とも。パキスタン=イスラム共和国独立(1947年)の翌年、パキスタンの保護国に。1955年、パキスタン=イスラム共和国の西パキスタン州(当時)に併合されて消滅した。
- ムガール帝国?に服属した地方王朝としてスタートしたが、アフシャール朝?のペルシア王朝や、ドゥーラーニ朝?のアフガン王国の影響も強く受け、後、事実上の独立国に。1854年〜1891年の間は、U.K.(連合王国)の保護国だった。
- クシュ王国 クシュおうこく
- 古代ヌビアで上ヌビア(ヌビア地域南部)を中心に営まれた古代王国。おそらく紀元前18世紀末頃に成立した部族連合を経て、紀元前16世紀半ばには国家として成立したと思われる。紀元前15世紀頃、古代エジプトの第18王朝?に滅ぼされた。
- サバ王国 サバおうこく
- アラビア半島?南西部の内陸に存在した古代王国。概ね、現在のイエメン共和国領の西部内陸を勢力圏にした。紀元前9世紀ころから活動がみられ、紀元前3世紀半ば頃まで続いた。ユダヤ教聖典(『旧約』)に伝えられる、シバの女王?の国のモデルと目されている。
- 小アルメニア王国 しょうアルメニアおうこく
- ⇒ キリキアのアルメニア王国
- セルビア=モンテネグロ
- ヨーロッパのバルカン地域で、1992年〜2006年まで営まれていた連邦国家。ただし、1992年〜2003年の間は、「新ユーゴスラヴィア連邦共和国」を国名にしていた。
- 1990年代に幾つかの紛争を伴って進んだ旧ユーゴスラヴィア連邦の解体過程で、領土を縮小しつつ、セルビア共和国とモンテネグロ共和国(当時)とが、連邦体制を継続しようとした国。2003年に国名を改称した時点では、「緩い連邦体制」が目指された、と言うが、ほどなくモンテネグロ共和国は事実上独立の方向に向かった。
- ダル・リアタ
- 11世紀にスコゥシア王国?に移行することになるスコット人?の王国、及び、その前身だった部族国家の名。多くの場合、アルスター地方出身のスコット族?が、カレドニア(スコットランド)北西部にも入植地を開き、王国に発展させた、と考えられている。
- おそらく、初期には部族連合体だったものが、6世紀末〜7世紀初め頃には、概ね、現在の北アイルランドのアントリム県、スコットランドのアーガイル・アンド・ビュート?、ロッホアーバー?のあたりを領域にした。この間ダル・リアタ王国と呼ばれるようになっていった。
- 9世紀半ばにピクト人?のアルバ王国?との同君連合体制に移行。この連合王国が、後にスコゥシア王国に発展した。
- タンガニーカ共和国 タンガニーカきょうわこく
- アフリカの東アフリカ地域で、1962年の年末から1964年にかけて存在していた国家。
- 1964年に、ザンジバル共和国?と合邦して成立したのが、タンガニーカ・ザンジバル連合共和国。現在のタンザニア連合共和国にあたる。
- ナバテア王国 ナバテアおうこく
- 古代の一時期、歴史的シリア?とアラビア半島?とのボーダー部分を意味したナバテア地方?で、遅くとも紀元前2世紀には営まれていた王国。
- ペトラ?などの拠点都市を結ぶ沙漠交易路を掌握し、遠距離交易の中継で栄えた。紀元後2世紀はじめ、ローマ帝国にペトラを占領され、王国は絶えた。
- ネパール王国 ネパールおうこく
- 南アジア北部の東寄りで、概ねヒマラヤ山脈?の南斜面を占めていた内陸国。
- 18世紀頃地域を統一した王朝が断続していたが、2008年に国民議会の決定で王制が廃され、共和政体の「ネパール連邦民主共和国」に正式移行。「ネパール王国」は、歴史上の国家となった。
- ミタンニ
- 紀元前2千年紀の中葉、平地メソポタミア北西部、ユーフラテス川中流域を中心に、数世紀の間、古代オリエント?の強国として知られた国。同時代の他国からは、「ハニガルバド」と呼ばれることが多かった。「ハニガルバド」は、紀元前2千年紀頃、平地メソポタミア北西部を指した古代地域名でもあった。
- 国家の起原は、定かに解明されていないが、エジプト側の記録から紀元前16世紀の末頃には、すでに国家が成立していたことが確実視されている。最盛期には、肥沃な三日月地帯?に沿って、ティグリス川の平地部上流も支配圏に納めた。
- 紀元前14世紀に内紛によって国家が混乱。ヒッタイトに従属的になったうえ、前後して、支配域のかなりの範囲が、中王国時代のアッシリア?に奪われた。支配圏が狭まったミタンニ王国のその後は、衰滅したか、分裂したか定かではない。
- さらに後、あるいは、ミタンニの後継国家かもしれないフルリ人小国が幾つか、かつてのミタンニ領中核部に存続。これらの国家も、「ハニガルバド(諸国)」と総称された。ハニガルバドの小国家は、ヒッタイトに対しては独立的だったが、順次アッシリアに滅ぼされていった。概ね、紀元前13世紀前半頃のことになる。
キーワード:
参照:[クシュ王国] [ナバテア王国] [小辞典] [アラウカニア・パタゴニア王国] [考古学、歴史研究の関連用語] [オスロエネ王国] [ミタンニ] [ダル・リアタ] [+αのワールド用語] [現存国家] [セルビア=モンテネグロ] [ネパール王国] [キリキアのアルメニア王国] [地理関連の用語] [小辞典ワールド編] [タンガニーカ共和国] [クァーラト藩王国]