ナボポラッサル
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ナボポラッサルは、アッシリア支配下にあったバビロニア?南部の出身者で、アラム系のカルデア族の出身だった。ナボポラッサルは、ユダヤ教聖典(『旧約』)を通じて伝わった名。アッカド語による名は、「ナブー・アプラ・ウスル」。
B.C.625年、アッシリアに反乱を起こし、バビロンに入城。アッシリアからの独立とバビロン王とを宣言した。ナボポラッサルの興した「新バビロニア」の王朝は「カルデア王朝」とも「バビロン第11王朝」とも呼ばれる。
ナボポラッサルが反乱に至った経緯はよくわかっていない。「当時、アッシリアからバビロニア王に封じられていたカンダラヌ?が死没したので、1年後にバビロンに侵攻した」とも、「アッシリア属州の総督としてカルデアを治めていたのが、蜂起した」とも言われている。
いずれにしても、アッシュル・バニパルの死(B.C.631年とも、B.C.627年とも)がもたらした、アッシリアの混乱、ないしは、弱体化に乗じたのだろう。
B.C.616年頃からバビロニアの北部へも勢力を拡大。B.C.615年にアッシリア地方に侵攻しアッシュル市?を攻めたが、撃退された。
アッシュル市は、メディア王国のキャクサレス2世?によって、少し後に攻め落とされた。この前後、ナボポラッサルは、メディアと同盟。B.C.612年、当時のアッシリア王都、ニネヴェ?を陥落させた。この年は、しばしば「アッシリア?が事実上、滅亡した年」とされている。
ナボポラッサルは、バビロニア諸都市に王宮や神殿を建設、新バビロニアの基礎を築いた。
ニネヴェ陥落後、現在のハラン?近傍にあった古代都市に依ったアッシュル・ウバリト2世が、アッシリア残存軍をもって、メディア、バビロニアに抵抗の姿勢を示した。エジプト第26王朝?のネコ2世?は、アッシュル・ウバリトを支援する遠征軍を、B.C.610年に派遣。
しかし、ウバリト率いたアッシリア軍もB.C.609年頃、遠征したバビロニア軍に倒された。この年が、「アッシリア?が完全に滅びた年」とされている。
B.C.605年、エジプト軍と、ネブカドネツァル2世?率いるバビロニア軍とが、カルケミシュの戦い?で会戦。この戦いは、バビロニア側の勝利に終わったが、この間バビロニアでは、ナボポラッサルが急死していた。病死かもしれないが、死因はよくわかっていない。
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参照:[アッシュル・ウバリト2世] [小辞典ワールド編] [歴史上の実在人物]