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ハンス・スローン卿

ハンス・スローン卿 
ハンス・スローンきょう
(Sir Hans Sloane) 
簡易版

簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。

PCが予め知ってていい情報

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 「ハンス・スローン卿」は、17世紀後半から18世紀にかけU.K.(連合王国)上層社会で活動した、医師、博物学者、植物研究家。ロイヤル・ソサイエティ?メンバー、後、同ソサイエティ総代。

 アイルランド出身で、陸軍軍医総監、王室付き筆頭医官となった。継承権を伴った准男爵に叙された最初の医師でもあった。

 ハンス・スローン卿は、「議会が遺産継承権の所有者に2万ポンドを支払うならば」という条件付きで、植物標本を含む彼の種々のコレクション、及び蔵書を国家に寄贈したい旨を、遺言に記して死んだ。

 遺言に記されていた遺志は短期間で受け入れられ、ハンス・スローンの収集品に、ジョージ2世の王室文庫蔵書などが加えられたものが、数年間の準備期間の後、公開されることになった。これが、18世紀半ばにスタートしたブリティッシュ・ミュージアムの出発点となった。

 今日、ハンス・スローン卿の名声は、一般的には、自然科学への功績や彼の専門だった医学の業績よりも、むしろ、1983年以降、一般公開されている、ロンドンのチェルシー植物園(Chelsea Physic Garden)を個人的に継承し、安価でロイヤル・ソサイエティーに貸し出して運営した事業によって知られている。

 当時、ロイヤル・ソサイエティー総代だったハンス・スローンは、単に植物園を貸し出して運営するだけでなく、栽培されている植物種の数を拡充することでも貢献した。

やや詳しい情報

  • 「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。

 ハンス・スローン卿は、1660年、アイルランド北部、アルスター地方のストラッドフォードから遠からぬ村に生まれた。

 父親は、国王ジェイムズ1世によって、アイルランド北部に送られたスコット人入植地のリーダーの1人だったが、ハンス・スローンが6歳の時に死亡。ハンス・スローンも、カトリック信徒ではなかった。

(おそらく、国教会信徒でもなかったと思われるが未確認。あるいは、スコットランド長老派か?)

 青年期から博物学と植物収拾に興味を持ち、長じるとロンドンに赴き、薬学と植物研究を学ぶようになった。ハンス・スローンの植物コレクションは、当時すでに、博物学者ジョン・レイや、哲学者ロバート・ボイルに注目された。

 ロンドンで4年間を過ごした後、パリ、モンペリエなど大陸を遊学。1683年にオラニエ大学にて、博士号を取得後ロンドンに帰還。この時、スローンは、多量の植物コレクションと、若干の博物コレクションとを持ち帰った。この植物コレクションは、ジョン・レイが著す『植物の歴史(History of Plants)』で資料として利用された。ロンドンに帰還後、ほどなく、ロイヤル・ソサイエティのメンバーに選ばれている。

 1687年、医師大学のフェロー・シップを得る。同年、ジャマイカ総督となったアルブマレイ公(Duke of Albemarle)付き医師として、ジャマイカに渡航。しかし、公爵はジャマイカ上陸後ほどなく死亡し、ハンス・スローンの滞在は15ヶ月だった。この15ヶ月間で、ハンスは、およそ800種の植物標本をジャマイカで収拾。U.K.に帰国後の1696年に、これら新種の植物標本を整理したカタログを公刊した。

 1693年、ロイヤル・ソサイエティの秘書官に就任。以降20年間「哲学トランザクション」誌の編纂に携わる。

 1701年、ハンス・スローンは、自身の植物収拾、及び博物収拾の遺贈権をウィリアム・コウトンに与えた。これは、ハンスが抱えていたある負債をコウトンが肩代わりしたことの代償だったが、後年、コウトンは、ハンスのコレクションの維持、整理に勤め、ブリティッシュ・ミュージアム公開の準備に貢献することになる。

 1716年、継承権を伴った准男爵に叙される。1749年、医師大学総長に就任し、以降16年間勤務。1722年、陸軍軍医総監に就任。

 1727年、国王ジョージ2世の筆頭医官に就任。同年、ロイヤル・ソサイエティ総代の職を、サー・アイザック・ニュートンより継承(1741年に退職)。

 1753年死去。ハンス・スローンの植物標本、及び博物収拾は総計8万点を越えていた。コレクションの内には、ジャマイカから持ち帰った民芸品なども含まれていた。

さらに詳しい情報

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 ハンス・スローンは、ジャマイカからロンドンの上流社会に、ココアを薬用飲料として紹介することもした。紹介するにあたって、ミルクを混ぜて飲み易くする工夫をしたのも、彼だったと伝えられている。

 ハンス・スローン卿の医学に関する著作は多くは無い。このことから、医師としての彼の業績を低く見積もる意見も無くは無い。しかし、同時代、ロンドンの上層社会で、医師としての彼の発言は、相当な影響力を持っていたようだ。

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  • 2006-08-25 (金) 05:44:24 鍼原神無 : 全面的に増補しましたが、元原稿にあった情報は、ほとんど継承しました。
    「アン王女との交友」の件だけは、もう少しディテールを掴んでから、後日復活させたい、と考えています。
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更新日時:2006/08/26 08:06:26
キーワード:
参照:[ブリティッシュ・ミュージアム] [歴史上の実在人物]
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