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ブリティッシュ・ミュージアム

ブリティッシュ・ミュージアム (British Museum) 簡易版

PCが予め知ってていい情報

 「ブリティッシュ・ミュージアム」(大英博物館)は、U.K.(連合王国)の首都ロンドンに存在する博物館。近代博物館の内では、世界で最も古く、規模は世界最大級のものの1つ。

 ロンドン市街のソーホー?地区北東に位置し、グレイト・ラッセル・ストリートに面している。地下鉄、セントラル・ラインの、トッテナム・コート・ロード駅、ホルボーン駅、または、ピカデリー・ラインのラッセル・スクウェア駅が近い。

 一般向け公開エリアの入場は、月〜土が10:00〜17:00、日曜は12:00〜18:00(2005年現在)。入場無料で、年間600万人以上が訪れる、と言われる。

(ただし、「入場無料」とは、常設展示のほとんどの観覧が無料、との意味。館内の一角で、有料の特別展示が催されることなどはある)

やや詳しい情報

 2階建てで地階も有す建物での公開エリアは広く、ただ流して見ていくだけでも1日では見回れない。観光客の多くは、有料の館内ガイド・ツアー(ハイライト・ツアー)で、有名展示物だけを足早に巡っていく。

 収蔵物は21世紀の今も増加傾向にあり、随時増改築が行われている(2005年現在、中庭を改修中)。ただし、自然部門の展示と収蔵物は、ロンドンにある自然史博物館に移管、美術部門も、やはりロンドンにあるナショナル・ギャラリーに移管されている。現在の展示、収蔵は、考古遺物や民族学的収拾品が主体。

 なお、19世紀にはミュージアムに付属していた図書館(大英図書館)は、1988年に別の場所に移動したが、2000年にミュージアムに戻って来ている。現在は、リーディング・ルームとして、ガラス製の天井で覆われた中庭(グレート・コート)に設けられている。

 2006年現在、博物館の展示は、以下の9つのコーナーに区分されている。


 ブリティッシュ・ミュージアムの運営は、ウェストミンスター議会に直属する理事会(Trustees)があたっている。理事会は、カンタベリー大主教、下院(庶民院)議長、大法官で構成されている。

 博物館は、「国家機関に準じる」として尊重されているが、政府からは独立した運営がなされている。

さらに詳しい情報

 第2次世界大戦?前に、西欧諸国が、植民地などから収拾した遺物を、本来の出土国が返還要請する動きは大戦後に生じ、近年ますます増えている。

 「世界で最も古い近代博物館」であるブリティッシュ・ミュージアムにも、当然のように少なくはない返還要請がよせられている。

 例えば、「エルギン・マーブル?」のコレクションに含まれた、アテネのパルテノンからの大理石レリーフについてのギリシア共和国からの返還要請、「ベニンの青銅遺物」についての、ナイジェリア連邦共和国からの返還要請は、ブリティッシュ・ミュージアムに寄せられている返還要請の内でも、有名なものだ。

 どちらも、返還要請国側で、組織立った市民運動が見られることと、ブリティッシュ・ミュージアム側が返還を拒んできたことから世間の注目を集めてしまった。

 「ベニンの青銅遺物」については、1950年代から、1970年代にかけてと、2002年にコレクションの一部が、有償でナイジェリア当局に「売却」された。正当な手段(正当な理由があっての戦争の結果の、19世紀当時のスタンダードだった戦利品)で獲得した遺物なので、「返還」したわけではない、と言うのがブリティッシュ・ミュージアム側の立場だ。コレクションの内、ブリティッシュ・ミュージアムに残っている物が、今後ナイジェリア側に「売却」されるかどうかは不明だ。

 エルギン・マーブルの大理石レリーフについては、ミュージアム側は「返還」を拒み続けている。これも、当時、現在のギリシア地域を統治していたオスマン=トルコ政府の承認の下、正当な手段で獲得したもの、というのが、博物館側の立場になっている。

GM向け参考情報

補足情報

 18世紀に、連合王国の王室付き医師だったハンス・スローン卿の遺言と、下院議長アーサー・オンズロウの熱意により、スーロン・コレクションに国が所有していたコットン家とハーリー家の蔵書を加えたものとして、1753年に創設。

 建物には17世紀後半にモンターギュ公爵邸として建造され、スローン卿も一時住んでいたモンターギュハウスを改修したものがあてられている。

 「収蔵物の永久保存」と「学問研究のための一般公開」とを基本方針に、1759年より現在まで、財政難があっても入場無料を貫いている(主な財源は宝くじの収益と寄付金)。

 創立当初は図書の占める割合が高かったが、18世紀後半の南太平洋の民族資料(キャプテン・クック)をはじめとする大英帝国の躍進に伴い美術品の収蔵物が増大。

 19世紀に入ってからは、1802年のロゼッタ・ストーン?や1816年のパルテノン神殿?の大理石装飾(エルギン伯トーマス・ブルールより購入し、エルギン・マーブル?と呼ばれる)などが収蔵品に加わった。

【参照イメージ】

【参照地図】

アイディア・フック

 一般に、公立の大きな博物館は、一般来館者向けの展示スペースだけではなく、収蔵品のバックヤードを持っています。バック・ヤードでは、遺物が保管管理されているだけでなく、修復、研究などもおこなわれることがあります。修復には、専門の技術者があたりますし、専属の学芸員が研究や整理をしたり、外部の研究者が、博物館のバックヤードで研究に取り組むこともあります(博物館外持ち出し禁の貴重品の場合です)。

 ブリティッシュ・ミュージアムほど大きく、歴史も古い博物館だと、収蔵品の内に真価が見逃されている遺物が収められていることもあります。さすがに、未整理、ということはないはずですが、整理したときには、気づかれなかった価値が後から再発見されることは、実際に各国の博物館で過去に実例があります。

 ですから、ブリティッシュ・ミュージアムを導入舞台に使ったシナリオや、ミュージアムから財団へ依頼された内容がPCのミッションになるシナリオ、というのも、充分なりたちます。

 過去にブリティッシュ・ミュージアムで実際にあった、「バックヤード発見」の事例については、『ギルガメシュ叙事詩』の項を参照してみてください。(⇒ ギルガメシュ叙事詩

リンク

関連項目

資料リンク

活用や検討

活用

  • このページの記事を踏まえた、アイディア・フック?、使ってみたシナリオ、セッション・レポ、などなど
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  • 2006-11-29 (水) 05:13:06 鍼原神無 : 内容を増補しました。旧稿の改稿部分は、ほとんどありません。
  • 2006-12-04 (月) 22:56:38 鍼原神無 : 新たにベニンの青銅遺物の項をおこし、関連してこちらの記述の一部表現を修正。
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