ヴィクトール・ローレット
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ヴィクトール・ローレット(Victor Clement Georges Philippe Loret)は、19世紀末から20世紀前半にかけて活動したフランス人考古学者、エジプト学者。
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ローレットは、1897年にパリ大学の社会科学学校(Ecole des Hautes Etudes)に入り、エジプト考古学の研究に進んだ。エジプト学を学ぶ過程で、教授だったガストン・マスペロの面識を得た。
1881年、カイロで、フランス考古調査ミッション(後の、フランス・オリエンタル考古学機構)に加わった。ローレットやマスペロは、フランスのエジプト考古研究が、現代的で組織的な研究をはじめた時期の、最初の世代の研究者と言えるだろう。
1883年、マスペロに同道し、ルクソール西岸の遺跡にて墳墓の調査に従事。この年、ローレットは、後に多数の発見をすることになる王家の谷に、はじめて足を踏み入れ、碑文類を筆写。解読にも取り組んだ。1886年には、考古調査の指揮者も勤めている。
1886年から、リヨン大学で開設されたエジプト学講座の主任を担当。リヨン大学退官は、1929年。
リヨン大学着任中、1897年から1899年にかけて、エジプト考古サーヴィスのジェネラル・ディレクターとして、王家の谷?での意義深い発掘などを指揮した。(アメンヘテプ2世の墓所発見などはこの期間)
王家の谷の発掘以外では、サッカラの遺跡?での発掘も(研究者の間では)知られている。学術誌「考古サーヴィス・ジャーナル」の創刊者の1人でもあった。
リヨン大学でローレットに学んだ研究者の内には、エジプト学者として名を成した人物が多い。後進の育成にも適正が高かったのだろう。
ローレットの死後、蔵書の半分ほどと、ガラス製遺物の私的コレクションがリヨン大学に遺贈された。これらのコレクションは、現在、パリに存在する研究機関が管理している。
他方、かなりの蔵書と、貴重な書類(研究文書やスケッチも含まれた)が、弟子の1人に遺贈され、さらにその遺族が2001年まで管理し、散逸を免れていた。こちらのコレクションは、2002年以降、ミラノ大学の古代エジプトコレクションに加えられた。
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人物像
古代エジプト研究に、大きな業績を残し、少なくない後進研究者を育てたローレットですが、調査、研究に熱心なあまり、社交や外交には頓着しない面もあったようです。
弟子筋の研究者には敬愛されていたようなので、決して偏屈な人物だったとは思えません。
しかし、1897年から1899年にかけて、エジプト考古サーヴィスのジェネラル・ディレクターを勤めた時代について、陰口めいた評価を伝えている記録も知られているようです。
例えば、学者バカで政治音痴、みたいな人物像をイメージすることは、フィクション設定としては許される範囲でしょう。(もちろん、業績などを踏まえれば、もっと別の人物像をイメージすることも、フィクションとしては可能でしょう)
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参照:[小辞典ワールド編] [歴史上の実在人物] [ガストン・マスペロ]