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カイロ市

カイロ市 カイロし

アラビア語名の音
al-Q?hirah(アル-クァーヒーラ)
英語名
Cairo(カイロ)

PCが予め知ってていい情報

  • 「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。

「カイロ市」は、エジプト・アラブ共和国?の首都。  ただし、現在の行政実体は、カイロ県の内で、都市化が進んだ街区でしかない。

 インフラの実態としては、都市化が進んだ中心街区は周辺他県の都市化した街区と一体化してカイロの大都市圏を成している。例えば、カイロ県南西部の都市化した地域は、普通、カイロの大都市圏とはイメージされないなど、「カイロ市」のイメージは共通しない。

 何パターンかある「カイロ市」のイメージに共通しているの部分は、国土の中部北寄りで、ナイル・デルタの頂点にあたる付近のナイル川流域に位置するカイロ県都市部の中心街区だろう。

「カイロ市は、現在アフリカ大陸で営まれている最大の都市」と言われるが、この場合、イメージされているのは「カイロの大都市圏」であることが多い。

【参照地図】
【参照イメージ】

追加情報

  • 「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。
小辞典版推奨判定
「情報+知性 目標値10〜12」「歴史+知性 目標値12〜14」
やや詳しい情報 近隣に古代遺跡は多いが、カイロ市自体は、中世に創建された都市。1979年以降ユネスコ世界遺産の文化遺産に登録されている「イスラム都市カイロ」は、中世に創建された旧い市街を指す。北東23kmにナセル国際空港を擁す。
小辞典版推奨判定
「魔術+知性 目標値10〜12」「歴史+知性 目標値12〜14」
やや詳しい情報 アラビア語による現地名は、アル・カーヒラー。「火星」を意味する女性形の名詞で「勝利(者)」を含意している。
 伝承によれば、10世紀にカイロの前身ミスル・フスタートを占領したファーティマ朝による都市創建の鍬入れ式が、手違いで火星が天空に昇りつつあったとき始められ、カーヒラの名が就けられた。
 伝承はこうだ。ファーティマ朝カリフの命でフスタートを攻略したシチリア出身のギリシア系武将ゴーハルは、天文学者(占星術師)の合図で鍬入れ開始を命じる鐘をならす手はずで式典を整えていた。ところが、天文学者が合図をする前に、空から舞い降りた1羽のカラスが、ゴーハルの手元と合図の鐘とを結んでいた綱を揺さぶり、鐘を鳴らしてしまった。待機していた工夫たちは、手はず通り鍬入れ式をはじめてしまい、これを善しとしたゴーハルの意図を汲んで、天文学者たちがアル・カーヒラーの名を就けた、と言う。カイロは、カーヒラーの英語読み。
小辞典版推奨判定
「歴史+知性 目標値10〜12」
やや詳しい情報 カイロでは、1811年に成立したとされるムハンマド・アリー朝以降、西欧的な新市街の整備が進められた。現在の市域の東部南寄りがイスラム地区と呼ばれる旧市街になっている。 ナイル川河畔にエジプト考古博物館が存在。中小の博物館も少なくない他、新市街にはカイロ大学も位置。

GM向け参考情報

用途

 カイロ大学、カイロ博物館があり、導入や、中盤までの舞台に向いている。

 派手な戦闘や、大掛かりな異常現象には向かないが、シティ・アドヴェンチャーには向いている。銃撃戦程度のアクションも可能。反米でもなどを背景に採り入れて、シームレス・ワールドの“今”の色合いを濃くしていく使い方もある。

登場して唐突でないNPC
 カイロ市民、各国旅行者、観光客、ビジネス・マン。旅行者は欧米人だけでなく、世界各地のイスラム教徒が登場して唐突ではない。考古学研究者も世界中どの国の人物が登場しても、まず唐突ではない。

基礎情報

 人口、680万人(1992)だが、近隣を含めた大都市圏の人口は1千6百万人を越えると言われる。

 アラビア語による現地名、アル・カーヒラー。

 カイロは、カーヒラーの英語読みだが、国際的に広く通用。フランス語読みで、ル・ケール。

環境

 環境帯としては、半乾燥気候帯に分類される。

 1月の平均気温は、14℃。夜間は10℃前後に冷える。7月の平均気温は28℃。日中は40℃に迫ることも。

 年間降水量26.7弌

地勢

 ナイル・デルタの頂点付近に位置するカイロ一帯は、西部は通例通り平地部が段丘に縁取られている。しかし、南方のダハシュール?を過ぎ、サッカラに至るあたりからは、北に向うに連れ、川岸平地部の幅が広くなっていく。東岸の段丘は、カイロに至るまでナイル川にほぼ沿っているが、市街のあたりから丘陵地になり、カイロ市街を過ぎるあたりからは平坦地になっている。

 こうした地勢は、カイロのあたりでは、古代から現代にかけ、ナイル川の川筋が、暫時東に寄ったため生じた。結果として、カイロでは北方への市街拡張と再開発とが続けられた。

概要

 現在のカイロ市自体は、中世に創建された都市をルーツにする。

 現在ナセル国際空港が位置したあたりには、古代ノモス(州)、ヘリオポリス(古代エジプト名、イウヌウ、後にオン、またはユン)が存在、太陽神ラー信仰の中心地だった。

 また、カイロの南方15kmほどに遺るメンフィスの遺跡(古代エジプト名、メンネフェル)は、初期王国期末から古王国時代にかけ、エジプト全土の王都とされた。

 現在のカイロにあたる場所は、メンフィスとヘリオポリスとの中間点にあたり、ナイル・デルタ地帯各地との中継点としての立地から、古くから河畔に交易拠点が設けられていた。

 現在のカイロ市は、ナイル川流域交通のターミナルであり、鉄鋼、繊維、食品加工、煙草製造、化学工業が営まれる。

 イスラム学舎(マドラサ)と、近代的なカイロ大学、カイロ・アメリカン大学が併存している。

市域構成(大観)

 イスラム都市として始まったカイロは、古代都市をルーツに持つエジプト各地の都市のように、ナイル東岸が生活圏で、西岸がネクロポリスとの基本パターンには従っていない。

 旧市街(オールド・カイロとイスラム地区)は、ナイル東岸に位置したが、西岸にネクロポリスが存在しなかったため、現在の中心市街はナイルの両岸に渡っている。西岸市街は、ギザ県県都のギザ?市街に連続している。

 ちなみに、現在ヘリオポリスと呼ばれている近郊市街は、再開発の結果あらたに名付けられたもの。アラビア語による現地名はアイン・シャムスで「太陽の泉」または「太陽の目」を意味する。古代のヘリオポリスは、現在のヘリオポリスの北部が中心部だった。

大都市圏

 現在のカイロ大都市圏は、北東の国際空港、及び、ヘリオポリス、東方のナセル・シティ、南東のモカッタム・シティ、南西のギザ市街、他を取り囲む整備された環状自動車道に取り囲まれている。

 ただし、この自動車道は、ギザの3大ピラミッドの手前東側で、幅の狭い主要地方道に連絡することで環状をなしている。

旧市街

オールド・カイロ
 カイロ市街南寄りのナイル東岸、ナイル川に浮かぶローダ島南部の対岸にあたる。
 カイロ市創建以前の7世紀にイスラム勢が築いた軍営地であるミスル・フスタートの遺跡を中心にした地域。従って、「オールド・カイロ」の呼称は、歴史的にはやや不正確。
 ローマ時代の城砦の一部が遺跡として市街地の内に遺っている。コプト博物館が位置し、コプト教会も複数存在。
水道橋 ナイル川の水を、イスラム地区の城砦(シタデル)まで引いていた水道橋の遺跡。14世紀に築かれ、19世紀まで使われていた。
イスラム地区
 中心市街の東部でやや南に偏る。
 かつて旧市街を取り囲んでいた囲壁の名残、ブワイラ門を境に、南のシタデル地区と、北のアズハル地区とに大別される。さらに細かく、5地区に区分されることもある。
 大掴みに言えば、軍営地だったミスル・フスタートが商業地として発展した後、10世紀に、北東にファーティマ朝が築いたアズハル地区がカイロ市のルーツ。市壁とシタデル(城砦)とは、アイユーブ朝の開祖サラディンが12世紀に築いた。
アズハル地区 19世紀に新市街が築かれるまで、カイロの中心区だった地域。スーク(アラブ風のマーケット街区)や、マドラサ(イスラムの宗教学府)、複数の由緒あるガーミア(イスラム寺院)、ファーティマ朝宮殿址などが遺る。
シタデル地区 アイユーブ朝の創始者サラディンが、十字軍の侵入に備えて築かせた城砦(シタデル)を中心にした地区。シタデル創建当時、サラディンは、当時の市街を城壁で囲った。その名残がブハイラ門など。
 サラディン広場、イブン・トゥールーン・モスク、スルタン・ハッサーン・モスク、ムハンマド・アリー・モスク、ブルー・モスクなどが存在。
 シタデルの東方には、イスラムの墓廟地区、通称「死者の町」が存在。

新市街

 ナポレオンの活動に刺激と影響を受け、オスマン・トルコからの自立を達成した、と言われるムハンマド・アリーが、パリ市街をモデルに再開発した。
 狭義に新市街(ダウン・タウン)と呼ばれる中心街区は、ナイル東岸でナイル川のゲジーラ島対岸の付近を指す。タハリール広場(解放広場)を中心地とし、北にラムセス中央駅が存在。しかし、広義の新市街街区は、ゲジーラ島、ローダ島、ナイル西岸にも渡っている。
 アズハル地区とを結ぶ通りでスーク・アタバが営まれている。
 ナイル川に面す東岸に、エジプト考古学博物館が存在。
 西岸、南寄りにカイロ大学が存在。カイロ大学とナイル川の間には、カイロ動物園が存在。
 ローダ島南部にナイロメーターの遺跡が遺る。

交通

【参考】

カイロを中心にした遠距離交通

 エジプト政府は、海外からの旅行者に対し、遠距離移動には、鉄道、飛行機か旅客用船舶を利用するよう勧告している。この件に関しては、エジプトの外国人単独行動制限地域を参照されたし。

 PCチームの場合、勧告の存在は知っている、とした方がいい。ミッションの性格に応じ、当局から地方警察や各地の遺跡警察へ充てた、PCチームに協力するよう指示した照会状などをNPCから渡し、装備車輌で移動していってもいい。

 あるいは、凝ったシナリオで、案内役件、警護という名目で、監視も兼ねたNPCを1名つける、などの設定も考えられる。

空路

 カイロ大都市圏の北東に位置するナセル国際空港が、メインのスカイ・ゲート。周辺には、幾つものホテルが建てられている。

 ナイル西岸のカイロ市街郊外に、国内線空港、インバーバ空港が位置。

水路

 中規模のクルーズ船でのナイル川クルーズが運営されている。

 他に、モーターボートをチャーターしてナイルを往来することも可能。PCの場合、現地の財団関係組織がモーターボートや小形クルーザーを手配しておく、富豪のNPCが現地で購入してしまう、なども可能。

鉄路

 新市街のラムセス中央駅をターミナルにして、下エジプトのアレクサンドリア方面、上エジプトのアスワン?方面への長距離列車が運行されている。上エジプト方面への列車には寝台車もある。

 下エジプト東方のスエズ運河シナイ半島イスラエル国方面には、途中で乗り換えが必要。

自動車道

 上エジプト方面へは、カイロ市街から、ギザ?のピラミッド地区の東を通り、ナイル川西岸に沿う自動車道が基幹道路になっている。

 この道路は、ルクソールの手前でナイルを渡河。東岸沿いにルクソールを経てアスワン?に至るルートと、紅海沿岸の都市ハルガダ?に至るルートとに分岐している。

 また。カイロ市街から、ナイル東岸に沿う主要地方道も南方に伸びている。このルートは、メイドゥーム?の対岸付近から、東にそれて紅海沿岸を走る道路に連絡する。

 下エジプト方面には、アレクサンドリアに至る2本のルート、デルタ東部のダミエッタ?に至るルート、スエズ運河中央部を渡って、シナイ半島、イスラエルへと至るルートの4系統が基幹ルートになっている。

 他に、地方道や沙漠内の自動車道を通り、紅海沿岸や西方のオアシス集落、オアシス都市へと至るルートもある。

 ナイル川沿いの交通路が密になっているエジプトでは、これらナイルを離れた地域との間は、複数の長距離バス会社が、バス便を運営して網羅している。

 PCが長距離バスを使うことがあるかどうかは不明だが、特色のある交通機関に、長距離バスとは別に、セルビスと呼ばれる中〜長距離の乗合バスがある。

 このセルビスは、運行ルートが定まっているだけで、時刻表もなければ、きちんと定まった停車ステーションもない。

 乗客が満員になったら発車し、ルート上で乗客が希望するあたりで停車する。内陸アジアを舞台にした冒険ドラマに出てくる乗合バスのように、乗客はバスの屋根の上に荷物を積み上げるようだ。

飛行艇の類でナイル川に着水できるか?

 基本的には、水運密につき、市街部での着水は事実上不可能に近い、と想定します(詳細は、ナイル川の項を参照してください)。

 あえて試みる場合は、難易度の高い段階処理を推奨します。失敗すると、周辺や水上を往来する船舶類と事故を起こすでしょう。

カイロ近郊の交通、及び、市内の交通

水路

 カイロ近郊、及び、市内の水運には、水上バスや小形モーターボートによる水上タクシーが行き来している。

 上エジプト地方の観光名物であるファルーカ(1本マストの小型舟)は、カイロではみかけられない。

鉄路

 カイロ近郊、及び、市内は近郊鉄道網と、地下鉄網とで結ばれている。

 近郊鉄道網には、女性専用車輌が用意されているのが特色。

 エジプトは、イスラム国としては外国人観光客に対して鷹揚であり、過度に肌を露出するなどしていなければ、外国人にイスラム衣装の着用を求めたりはしない。特にカイロは、非イスラムの外国人が多く、市民も慣れている。

 しかし、もし、女性PCが鉄道で女性専用車輌に乗らないと、奇異の目にさらされることだろう。あるいは、親切に、女性専用車輌の存在を教えてくれて、次の駅で乗り移るようさとしてくれる人が出るかもしれない。

 地下鉄には、女性専用車輌は設けられていないようです。逆に、現地の人女性に単独で地下鉄に乗るような人はめったにいない、との説も聞きます。

自動車道

 カイロ市内の自動車道は、極めて過密状態と想定。

 急いで移動しようとすると、運転の操縦判定の目標値をかなり高めに設定することを提唱。

略史

641年
下エジプトを征服したアラブ・イスラム勢は、アムル・イブン・エル・アースを将に下エジプトを征服。ナイル河畔に軍営地(ミスル)、フスタートを設営。
661年〜750年
ウマイヤ朝時代
750年〜868年
アッバース朝時代
868年〜905年
トゥールーン朝時代(チュルク系)
905年〜935年
アッバース朝による再支配
935年〜969年
イフシード朝時代
969年〜1171年
ファーティマ朝(シーア派)時代。カイロ市創建。
1171年〜1250年
アイユーブ朝時代。スンナ派に復帰。開祖サラディン、カイロにシタデルを建造。
1250年〜1517年
マムルーク朝時代
1517年〜
オスマン・トルコの支配下に。マムルーク朝は終焉したが、マムルーク勢力は、軍閥として存続。
1798年
ナポレオン率いるフランス軍侵攻。
1801年
フランス侵攻軍、オスマン・トルコとU.K.(連合王国)との同盟軍に降伏。ナポレオンは、既に、1799年8月にエジプトを脱出していた。
1807年
スークの商人たちを中心にしたカイロ市民が蜂起。オスマン・トルコの総督を解任し、アルバニア出身のオスマン朝軍人ムハンマド・アリーを総督とすることを宣言。この機にU.K.は、守旧的マムルーク軍閥と同盟し、ナイル・デルタから侵攻。ムハンマド・アリーが指揮するエジプト勢は防戦に成功。
1811年
オスマン朝、ムハンマド・アリーの総督位を追認する代わりに、アラビア半島のサウード家討伐を命じる。ムハンマド・アリーは、息子を司令官とした派遣軍を組織し進発させた。以降、公的には、オスマン朝の総督でありながら、オスマン・トルコから自立的なムハンマド・アリー朝が成立した、とみなされる。ちなみに、派遣軍進発の前後に、マムルーク勢を殲滅する陰謀が実行された。
1818年
エジプト軍とU.K.軍の連合、スーダンに侵攻。
1840年
ロンドン会議で、ムハンマド・アリー朝が、エジプト、スーダンの総督を世襲することが列強に公認された。この後、スエズ運河の株式取得(1875年)などで、ムハンマド・アリー朝に対するU.K.の影響力は増大していく。
1881年〜1822年
ムハンマド・アリー朝に対する軍事革命(アラビー革命)勃発。アラビーとは、革命を指揮した、アフマド・アラビー大佐の名による。
1914年
第1次大戦勃発。U.K.エジプトを保護国化。
1918年
第1次大戦終結。パリの講和会議に、エジプト代表は招かれなかった。
1919年
カイロをはじめ、エジプト全土で反英デモ多発。
1922年
U.K.、エジプトを独立国とする旨宣言し、エジプト王国発足。ただし、U.K.以外では、この王国を傀儡政権とみなす意見が強い。
1936年
エジプト王国、U.K.と公的に同盟条約を締結し、国際連盟に加盟。実質的独立はこの時点と目される。
1939年〜1945年
第2次世界大戦
1945年
カイロでアラブ連盟発足。同年、国際連合も発足し、エジプトも加盟。
1947年
大戦中に軍部内で組織されていた「革命委員会」が「自由将校団」と改称。
1948年
イスラエル国独立をきっかけに、第1次中東戦争。
1952年
ムハンマド・ナギーブを盟主とした自由将校団が、無血クーデタに成功。エジプト国王は国外に退去。
1953年
共和制が宣言され、ムハンマド・アリー朝正式に消滅。ムハンマド・ナギーブ大統領に就任。
1956年
6月、最後のU.K.軍、スエズ地区から撤兵。6月、国民投票で憲法が採択され、ナセル大統領就任。7月、スエズ運河国有化宣言。英、仏、イスラエルの同盟軍シナイ半島に出兵(スエズ動乱、第2次中東戦争)。エジプトは、戦闘では不利にたったが、米、ソ、をはじめとする各国の支持を得て、英、仏、イスラエルは撤収した。
1958年
エジプトと、シリアが合邦し、アラブ連合共和国発足。ナセルが大統領に就任。
  • アラブ連合共和国は、1961年にシリアで勃発した軍事クーデタと、同年のシリア国連再加盟とで事実上解消。
  • エジプト側は、シリアと国交を断絶し、1971年まで、アラブ連合共和国を国名にしていた。
1967年
第3次中東戦争勃発し、短期間で終結(6日間戦争)。
1970年
ヨルダン内戦の渦中、ナセル大統領が緊急アラブ首脳会議を開催。席上フセイン、ヨルダン国王と、アラファトPLO議長が停戦に合意。会議後、ナセル大統領、心臓発作で死没。
1971年
サダト大統領就任。国名を、アラブ連合共和国から、現行のエジプト・アラブ共和国に改称。
1973年
第4次中東戦争勃発。
1977年
サダト大統領、イスラエルを訪問。
1979年
サダト大統領、イスラエル国との間で、平和条約を調印。イスラエル、占領していたシナイ半島の返還を約す。エジプト、アラブ連盟から除名される。
1981年
サダト大統領、過激派イスラム原理主義者に暗殺される。憲法の規定により、ムバラク副大統領が大統領に就任。
1982年
最後のイスラエル軍、シナイ半島から撤収。
1989年
エジプト、アラブ連盟に復帰。シリアと国交回復。
1992年
6月、カイロで大地震、死者多数。
1994年
ムバラク大統領、エチオピア訪問中に暗殺未遂事件に見舞われる。

活用や検討

活用

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重要な改訂の情報

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検討

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