ホラムシャハル
- ホラムシャハル (Khorramshahr) 簡易版
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ホラムシャハルは、イランのフーゼスタン州?南西部に位置。ザクロス山脈山中から発するカールーン川?が、シャッタル・アラブ川に合すあたりで、カルーン川の右岸(東岸)、シャッタル・アラブ川の左岸(北岸)に立地している。
一帯のフーゼスタン平野は、1980年に開戦し1988年に停戦になったイラン・イラク戦争の主戦場となった。市街は戦災から復興したとは言え、未だ被害の傷痕は残っていて、戦前の状態までは復興していない。
【参照地図】
- (国連によるイラク地図の一部が拡大表示されたもの,Wikimedia Commons)
さらに詳しい情報
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地域には、1812年にバニ支族(Bani Kaab)のアラブ人部族長によって、太守領(Sheikhdom)が創建された。ホラムシャハルは、太守領の創建以前は、「ピヤーン(Piyan)」あるいは、「バヤーン(Bayan)」と呼ばれていた。
太守領は1925年まで4代続き、ホラムシャハルも、イランの国際的な港湾都市に成長。
第2次世界大戦?後、石油精製業が発展。イラク戦争前頃までは、富裕層の住民も多く居住した。
1980年代のイラク・イラン戦争の間、地域がイラク軍に制圧された時期もある。この間、ホラムシャハルはゴースト・タウンと化したとも言われる。
一帯には、現在も、イラン国内ではアラブ系住民の比率が高いとされる。ただし、かつて都市民の上層を構成した富裕層の多くは、イランのイスラム革命以降、ほとんどが、国外に亡命した(と、想定される)。現在のホラムシャハルには、イスラム諸国からの出稼ぎ労働者も多い、と言われる。
人口は、イラン・イラク紛争時に急激に減少し、その後の復興期に急激に増加した。1991年の推計で、3万5千人ほど、2005年の統計で、624,321人。ところが、2006年の統計で、338,922人との数値もある。2005年から2006年の数値減少は、統計の採り方が変更されたなどの事情があるのかもしれないが、定かではない。
GM向け参考情報
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補足情報
ホラムシャハルは。油田地帯を後背に持つ石油精製、及び、輸出港の1つ。旧称、「モハメラー」。
(「モハメラー」の旧称は、太守領時代のものかと思われますが、未確認。「ホラムシャハル」の都市名がいつからのものかも未確認です。おそらくは、現在のイランの前身であるペルシア領に併合された後のことでしょうか?)
石油業の拠点としては、下流のアバダーンの方が大きい。ホラムシャハルからは、ナツメヤシ、米、ゴム、綿花、皮革などの産品が輸出されている。
気候帯としては、ステップ性気候だが、ペルシア湾に面していて降水は多め。夏季は大変に暑く、湿度も高い。
交通路
- 自動車道
- 南方のアバダーンとの間を結ぶ主要地方道が、基幹鉄路に沿うように県都アフワーズ?に至る。
- 他に東方の低湿地帯を通る地方道が敷設され、アフワーズ方面へ至るルートと、東方でペルシア湾に接すバンダル・ホメイニ?に至るルートなどがある。
- 水運
- カールーン川?は、イラン国内で、唯一遡行可能な河川。しかし、季節に応じて水位の変動が大きい。シー・エクスプローラー級の舟は、ホラムシャハル港からカールーン川を遡行することは不可能、と想定。
- シャッタル・アラブ川は、イラク領のバスラ?まで遡行可能と想定。
- 空港
- 至近の空港は、アバダーンの東方に位置するアバダーン国際空港。
活用や検討
活用
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(誤字脱字の訂正や、文章を整える程度では記録不要) - 2007-01-31 (水) 09:21:01 鍼原神無 : 増補改訂しました。
検討
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キーワード:
参照:[アジア州の現存国家] [ユーフラテス川] [アバダーン]