マハ・モン・ルアド
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「マハ・モン・ルアド(Macha Mong Ruad)」とは、アイルランドの歴史譚で、「アイルランド王(リー・エーレン)?になった唯一の女性」として伝承されている伝説上の人物。
「モン・ルアド」を英語に訳せば“Red Mane”で、「赤き鬣のマハ」。彼女の「鬣」は、しばしば雄獅子の鬣のようにイメージされるようだ。
赤き鬣のマハは、リー・エーレンになったアェド・ルアドの娘で、アーゲトマールのひ孫にあたる。
アェド・ルアドは、リー・エーレンの位に、やはりアーゲトマールの孫である従兄弟たち、ディソーバ、キンバェスと7年ごとの輪番で就いていた。
歴史譚では、彼らは皆アルスターの有力者だったように伝えられている。地域の豪族の内で、名声、人望共に高かった者たち、と思えば遠くない。
アェドは3度、リー・エーレンを勤めた後死んだが、アェドの4期めの輪番が回ってきた年に、マハがリー・エーレンに着任しようとした。
ディソーバとキンバェスは、女人をリー・エーレンにはすまいと反対し、アルスターに戦が起きる。マハが率いた軍勢は、緒戦でディソーバを戦死させる。ディソーバの3人の息子たちとも戦い、彼らをコナハト地方の未開地に追いやると、マハはキンバェスと婚姻。2人は、共にリー・エーレンとなる。
その後、マハは病人に変装し、1人でディソーバの息子たちを追ってコナハトへ渡る。彼らが互いに争うように仕向け、3兄弟を捕縛するとアルスターに連れ戻した。
アルスターの民は、3兄弟の処刑を求めたが、マハは彼らを奴隷身分に落とし、後に「マハの砦(エウィン・マハ)」と呼ばれることになる砦を建造するよう命じた。砦をウラドの都とするためだった。
現在、アーマー市?の近傍に遺る「ナヴァン砦の遺跡?」と呼ばれているマウンドが、「エウィン・マハの跡だ」と言われている。
マハ・モン・ルアドは、夫キンバェスと共に7年間リー・エーレンを勤め、ウラドも治めたが、キンバェスは7年めに疫病で死ぬ。マハは、夫の死後、さらに14年間リー・エーレンであり続けたが、ルゲイド・レイデックの息子に倒された。
後世、リー・エーレーンの伝承を考証しながら再編した年代記では、マハ・モン・アルドの治世は、プトレマイオス1世?の頃(紀元前4世紀末〜紀元前3世紀はじめ)とされた。
あるいは、B.C.468年〜B.C.461年とする年代記、B.C.661年〜B.C.654年とする年代記なども編まれた。これらの年代記は、いずれも『聖書?』の記述をすべて史実として前提したような時代の年代記で、伝説の人物マハ・モン・アルドが実在したことを保障するものではない。
現在の研究者は、普通、赤き鬣のマハを、キリスト教化以前のアイルランドで崇拝されていたマハ女神が、過去に実在した人間だったかに再話され、歴史譚で語られたキャラクター、と考えている。
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