ウラド
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「ウラド(Ulaid)」とは「アイルランド・ゲール語?によるアルスター(Ulster)の古称」にあたる。
現在でも英語の「アルスター地方」にあたるアイルランド語?地域名は「ウラド地方」だが、「ウラド地方」というと、古い物語との連想が強くなるだろう。
元々は、部族的な地方勢力の集団名と、地域名の両方をさした「ウラド」が、英語化しながら変形したのが「アルスター」。
正確には、アイルランドの古い物語で、「『ウラドの人々』が支配的だったとイメージされた地域」が「ウラド(地方)」で、後のアルスター地方に概ね近い範囲にあたる。
「ウラド」の集団名、地域名は「アルスター物語群?」や「歴史物語群?」に多く伝えられている。
これらの物語では、ウラドの人々は、エウィン・マハ?を中心にウラド地方に勢力を及ぼしていたかに語られる。
「エウィン・マハ」は、現在、普通は、北アイルランドのアーマー県に遺るナヴァン砦の遺跡?の場所で営まれた、とされている。したがって、古代アイルランドの「ウラド地方」とは、「エウィン・マハを主邑として、ウラドの人々が支配的だったとイメージされた地域」と、いうことになる。
ローマ時代のエジプトで活動した学者プトレマイオスが2世紀頃に著した地理書には、「ウラド」にあたる地域の地域名として“Volunti”や“Voluntii”が見られる。
アイルランドの歴史が定かになりはじめる頃の情勢では、現在のアルスター地方の北西部はダルリアダ?の勢力圏と重なっていたようだ。南東部はミデ王国の領域と重なっていたかもしれない。
キリスト教がアイルランドに伝えられた4世紀後半頃〜5世紀前半頃の前後の情勢では、地域では北西部を中心にウィ・ネィル?に属す部族集団の勢いが強く、エウィン・マハを中心にしていた集団の勢力圏は、せいぜい、現在のダウン県のあたりからアーマー県のあたりにかけてだったようだ。
このウラドの勢力圏は、10世紀頃までは続いた。
- 【参照地図】
- 10世紀頃のアイルランドの勢力圏分布図(Wikimedia Commons)
10世紀頃のアイルランドの情勢は、概ね、各地の部族連合が、有力な連合を軸にして、王国化を進める時期にあたった。10世紀後半から11世紀にかけて、各地で地方政権を整備した群雄が台頭。互いに争いあう状況に推移していくが、地図はその前夜の情勢といったところ。
17世紀のアイルランドで整理された年代記だと、古代の“ウラド王国”は、4世紀前半頃に合戦でエゥイン・マハを焼き討ちされ、エゥイン・マハ周辺のみを支配する弱小勢力になったように、記されている。
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