マハ女神
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「マハ女神」は、アイルランドのケルト系部族が、キリスト教化以前に崇拝していた、と思われる女神。
アイルランドに伝わる神話、伝説、及び、歴史伝承には「マハ」の名を持つ女性キャラクターが複数知られている。
例えば、歴史物語では「アイルランド王(リー・エーレン)?となったただ1人の女性」とされる、赤き鬣のマハが知られている。
多くの研究者は、いずれのキャラクターも古代に遡るマハ女神がルーツだったのだろう、と推定している。キリスト教化以前のケルト系部族は、マハ女神を、戦と馬と部族の支配権を司る女神として崇拝していたようだ。
女神は、アルスター地方、特にアーマー県との結びつきが深かったと思われる。
- 【参照イメージ】
- 「アルスターの男たちを呪うマハ」1904年 Stephen Reid 作(Wikimedia Commons)
おそらく『ウラドの人々の衰弱?』に取材した絵画か(?)。
やや詳しい情報
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マハ女神は、アナン女神、バドブ女神?と共に、戦いの帰趨を左右する3柱の女神とされた。
中世に伝えられた複数の物語で、「マハはネウェドの妻だった」とされている。パルトローンの子孫たちが死に絶えてから、数百年後、ネウェドに率いられた移住団の1員としてアイルランド島に渡来。島に上陸してから12日後、あるいは12年後に死んだ。
ネウェドの妻マハが葬られた地は“Ard Mhacha”「マハのいと高き場所」と呼ばれ、これが「アーマー」の地名の語源になった、と伝えられている。
あるいは、アーマーの語源は、歴史物語では、アイルランド王(リー・エーレン)?になった唯一の女人、「ハイ・クイーン」とも呼ばれる「赤き鬣のマハ」に由来する、とも言われている。赤き鬣のマハは、現在のアーマー市?の近くに砦を築かせた、と伝えられている。しばしば「ナヴァン砦の遺跡?」と呼ばれているマウンドが、マハの砦(エウィン・マハ)の跡だ」と言われている。「エウィン・マハ」も「アーマー」の地名の語源とされている語の1つだ。
ナヴァン砦の遺跡は「ウラドの主邑だった」とみなされていて、別の由来譚も伝わっている。「アルスター物語群?」に含まれる『ウラドの人々の衰弱?』の物語では、マハは富裕な農民だったクルンフ?の妻で、彼女が生んだ双子にちなんで「ウラドの主邑は、『エウィン・マハ』と呼ばれるようになった」と語られている。
11世紀頃、神話的な歴史譚を再編したと思える『アイルランド来寇の書?』には、「パルトローンの娘の1人」にマハの名が見られるが、このキャラクターの詳細は伝わっていない。
別系統の物語では、トゥアター・デ・ダナンの1員で、「アーンマス女神?の娘たちの1人マハ」の名が知られている。『アイルランド来寇の書』などで、「魔術に長けた移住者の1団」とされるトゥアター・デ・ダナンだが、神々の1派の名として「ダナン女神の子神たち(トゥアター・デ・ダナン)」としている物語も多い。
アーンマス女神の娘マハは、しばしばモリガン?、バドブ?と3姉妹とされ、戦を司る3柱の姉妹女神とされた。
13世紀〜14世紀頃に編纂された『レカンの黄色本』に採録された物語には、マハのことを「3人のモリガンの1人」と描写しているくだりが散見される。
「トゥアター・デ・ダナンのマハは、マグ・トゥレドの戦い?で、フォモリ族の王の1人バラル?に殺された」と伝える物語も知られている。
マハ女神は、キリスト教化以前のアイルランドで、アルスター地方を中心に広く崇拝されていたケルト神だったと思われる。が、キリスト教化の後、古い崇拝は断片化した形でしか伝えられなかったようだ。
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参照:[マハ・モン・ルアド] [小辞典ワールド編] [神話、伝説のキャラクター] [エーリゥ女神] [アナン女神]