パレルモ石
追加情報
- 小辞典版推奨判定
- 「歴史+知性 目標値10」「情報+知性 目標値12」
- やや詳しい情報 イタリア共和国のシチリア州?州都、及び、パレルモ自治県?県都を兼ねるパレルモ?市にある、パレルモ博物館?に収蔵されている石碑の断片が、「パレルモ石」の呼称で呼ばれている。
- 小辞典版推奨判定
- 「歴史+知性 目標値12」「情報+知性 目標値14」
- 詳しい情報 パレルモ石は、黒色閃緑岩製で、両面に碑文が刻まれている。元は、幅2m、高さ60cmほどの石碑だった、と推定されている。パレルモ博物館収蔵の断片は、幅25cmほど、高さ43.5cmほどで、現在、知られている断片で最も大きい。
- 他に、より小さな断片が、エジプト=アラブ共和国のカイロ博物館?と、U.K.(連合王国)のピートリー博物館?(ロンドンのユニバーシティ・カレッジ?に付属)とに収蔵されている。
- 小辞典版推奨判定
- 「歴史+知性 目標値14」
- 専門的知識 パレルモ石に刻まれた碑文は、神話の神名からはじまり、古王国時代の、第5王朝?(B.C.2498年頃〜B.C.2345年頃)第3代ファラオとされるネフェルイルカラー?(在位、B.C.2477年頃〜B.C.2467年頃)までの王名(ファラオ名)が刻まれている。
- このため、編纂されたのは、第5王朝の時期で、おそらくは、ネフェルイルカラーの代か、その次代のシェプセスカラー?(在位、B.C.2467年頃〜B.C.2460年頃)の代、と推測されている。
- 残念なことに、神話の神名に続いて、第1王朝?や第2王朝?のファラオ名が刻まれていただろう部分は、まったく欠損している。
- 碑文には、王名だけでなく「ファラオ誰某の(統治)何年目」という書式で、治世中の重要事項も刻まれている。年代を統治者(ファラオ)の名で記す形式は、古代エジプト王朝でスタンダードなもの。古代エジプト王朝が滅びるまで、この形式は踏襲された。
- パレルモ石の碑文は、古代エジプトで編纂された年代記録の内、現在知られる最古のものになる。「パレルモ年代記」と呼ぶ研究者もいる。
GM向け参考情報
- サイズ
- パレルモ博物館収蔵のパレルモ石(25cmほど×43.5cmほど)は、厚さのデータは調べきれていません。
- シナリオの都合で設定していいと思います。とりあえず、Enc?は5か6くらいでしょうか(?)。
- 碑文の内容
- パレルモ石に記された碑文の内容は、決して詳細な「年代記」とは言えない。神話と歴史記録が入り交じって記されてもいる。しかし、マネトーの『エジプト史』?のように、長い時間の間に編纂を重ねられた記録とは異なる。
- 少なくとも古王国時代後半の出来事については、ほぼ同時代記録と言える。もちろん、同時代記録だからと言って、編纂者であるエジプト王朝に都合のいい内容が記されている可能性は排除できないが、貴重な記録であることには変わりはない。
- 特に古王国時代の記録については、例えば、シナイ半島のワディ・マラガへの遠征のように、現地の考古調査など間連事項との相互参照で、確からしさが確認されている部分が少なくない。
活用や検討
活用
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キーワード:
参照:[アーティファクツやオーパーツ・ソース] [エジプト誌]