アシャリド・アピル・エクル
- アシャリド・アピル・エクル (Asharid-apal-Ekur) 簡易版
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アシャリド・アピル・エクルは、紀元前11世紀の前半に、数年間だけアッシリア国家?を統治したアッシリアの統治者。
彼が立位した頃は、一時拡大していたアッシリア支配地に、アラム系諸部族の波状的な侵入が続いた時期にあたる。アシャリド・アピル・エクルの短い治世については、何もわかっていないに等しい。
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アシャリド・アピル・エクルの在位期間は、B.C.1076年頃からB.C.1074年頃まで。足掛けで数えても3年間でしかない。その治世を現在の時代区分で言うと、中アッシリア時代?の末期にあたる。
父であるティグラト・ピラセル1世は、先代のアッシリア王にあたる。
ティグラト・ピラセル1世は、四方に遠征を重ね、アッシリアの領土を数世代ぶりに拡張した。しかし、その治世後半は、アラム系遊牧集団の侵入に悩まされた。ティグラト・ピラセル1世は、アラム人討伐を狙ったと思われる西方遠征も何度かおこなっている。
あるいは、アシャリド・アピル・エクルや、彼の兄弟で王位を継いだアッシュル・ベル・カラも、ティグラト・ピラセル1世在世中に、対アラム人の遠征に出征したかもしれない。しかし、飢餓を背景に波状的に進入してくる遊牧民の波を止めることは、結局誰にもできなかったのだが。それが、はっきりするのは、もう数世代後のことになる。
アシャリド・アピル・エクルの短い治世について、何もわかっていないに等しいのは、おそらくは、ティグラト・ピラセル1世が征服した地域が、アラム系諸族の侵入で混乱に陥っていたため、と思われる。アシャリド・アピル・エクルの代にアッシリア故地?にまで侵入が及んだとは考えづらいが、父の代に新たに征服された地域は大きな混乱に見舞われただろうことは、推測に難くない。
アシャリド・アピル・エクルの死の経緯もわかっていない。あるいは、遊牧民迎撃の戦陣で没したかもしれないが、定かではない?。
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参照:[アッシュル・ベル・カラ] [小辞典ワールド編] [歴史上の実在人物]