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ティグラト・ピラセル1世

ティグラト・ピラセル1世 
ティグラト・ピラセル 1せい
(簡易版)

簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。

英語表記
Tiglath-pileser I
フランス語表記
Teglath-Phalasar I
アラビア語名(音写)
(調査中)

PCが予め知ってていい情報

  • 「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。

 ティグラト・ピラセル1世は、中アッシリア時代?のアッシリア?支配者の1人。紀元前12世紀末から、紀元前11世紀のはじめにかけて在位。

 過去1世紀ほど国力が低落し、縮退していたアッシリア?の勢力圏を再び拡大したことで知られる。

やや詳しい情報

  • 「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。

 ティグラト・ピラセル1世は、父親で先代のアッシリア王だったアッシュル・レシュ・イシ1世?の跡を継ぎ、B.C.1114年頃に即位。在位期間は、B.C.1076年頃までとされる。治世はおよそ39年ほどで、かなり長い。アッカド語に基づくアッシリア王名は、「トゥクルティ・アピル・エシャラ(Tukulti apil Esharra)」。「我が信心はエシャラ神の息子(に捧ぐ)」といった意味。

 紀元前2千年紀後半のメソポタミアは、各地に中小の国が分立する分裂期にあった。ことに、ティグラト・ピラセル1世が即位する前頃、西方では、民族の大規模な移動があったと思われ、各地で混乱が生じてもいた。交易拠点や交易路が機能しなくなったアッシリアも、弱体化していた。バビロニア?では、イシン第2王朝?(バビロン第4王朝)の勢いが盛んで、アッシリアも政治的介入を被ったりしていた。

 ティグラト・ピラセル1世は、遠征を重ねてユーフラテス川中流域の左岸(東岸)までを、アッシリアの勢力圏として、およそ1世紀ぶりに再獲得。アナトリア高地東部から、シリア地方にも遠征すると、各地で都市国家や小国を服属させていった。アッシリア王では、地中海沿岸部まで遠征した最初の王とされている。

 ティグラト・ピラセル1世は、さらにバビロニアにも侵攻して、イシン第2王朝と交戦、バビロニア北部を制圧した。バビロン市を焼き討ちしたと伝えられている。

 ティグラト・ピラセル1世の治世後半は、アラム系?遊牧民の活動が再活発化。背景には、広域に蔓延した飢饉があったと思われる。ティグラト・ピラセル1世は、アラム人討伐を狙ったと思われる西方遠征も何度かおこなったが、飢餓を背景に移動してくる遊牧民を押し留めることはできなかったようだ。

 治世の前半はアッシリアの国力を回復し、治世後半は守勢を強いられたティグラト・ピラセル1世だが、各地でアッシュル神殿などを修築した記録が記されている。また、しばしば「中アッシリア法典?」と呼ばれる、多数の法文、宮廷作法の規則を整理させた、とも言われる(異説もある)。

さらに詳しい情報

  • 「難易度がある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。

 ティグラト・ピラセル1世は、紀元前14世紀末〜前13世紀はじめのアダド・ニラリ1世?、紀元前13世紀後半のトゥクルティ・ニヌルタ1世?の代にアッシリアが獲得した支配地を、再獲得した。

 しかし、おそらくは気候変動をきっかけにして起きた飢饉を背景に、大規模な民族の移動に見舞われ、回復された支配地は、ほとんどがアッシリア領として定着しなかった。ティグラト・ピラセル1世の死後、アッシリアの勢力圏は、ティグリス川中流域の限られた地域まで再縮退してしまう。これらの領域が、再度アッシリア領にされたのは、帝国期アッシリア?の時期のことになる。

 ティグラト・ピラセル1世の代に、新たにアッシリア直轄地とされた領域は、平地部のティグリス川流域北部からカーブル川?の中流域にかけてだった。数十年間とは言え、ユーフラテス川の西岸までを征服したのだが、ユーフラテス川流域部を直轄地にすることはできなかったらしく、代官が派遣され統治する方式が採られた。

 ユーフラテス川流域よりもさらに外縁のアナトリアや、シリア地方の諸都市は、おそらく貢納をする服属国として扱われたのだろう。1代の事業としては、征服地の統治機構整備にも、限界があっただろう、と思われる。むしろ、ティグラト・ピラセル1世の統治では、直轄地の“内政”の方が注目される。

 アッシリア直轄地に設けられた行政州の長官は、毎年中央のアッシュル神殿に、大量の食糧を奉納する慣わしになったようだ。現在までのところ、神殿の奉納記録から窺われるだけで、詳細は定かではないが、ティグラト・ピラセル1世の統治事業は、一般に重んじられる外征や征服だけではなく、むしろ、内政の方に力が入れられていたのかもしれない。

 しかし、後代、帝国期アッシリア?では、ティグラト・ピラセル1世の遠征は、トゥクルティ・ニヌルタ1世やアダド・ニラリ1世の征服事業と並ぶほど理想化された。ことに、アッシリアの勢力圏が再拡大した時期には、「ティグラト・ピラセル1世が征服した、アッシリア“本来の”領土を“回復”する」といったことも言われたようだ。

 中アッシリア時代のアッシリア王碑文に新しく見られるようになった文章のスタイルが、ティグラト・ピラセル1世の頃に、いよいよ形式が整理され、王の事業を力強く称えるようになっていた。後代のティグラト・ピラセル1世の理想化は、こうした王碑文の影響があるかもしれない。この頃の王碑文の新展開には、現在「トゥクルティ・ニヌルタ英雄叙事詩」と呼ばれている、物語詩の整理と関係がある、とする説もある。

 ともあれ、「臣民にも敵対者にも苛烈で残酷ですらあり、恐れられる偉大な支配者のイメージは、ティグラト・ピラセル1世が体現した」とすら言う研究者もいる。あるいは、後代、「アッシリアの狼」と他民族に恐れられ、嫌われたアッシリア帝王たちは、ティグラト・ピラセル1世の人物像を理想化したのかもしれない。

GM向け参考情報

 「増補待ち」。

別称類

主要国の言語
  • 英語表記=Tiglath-pileser I
  • フランス語表記=Teglath-Phalasar I
  • アラビア語名(音写)=(調査中)
  • スペイン語表記=Tiglatpileser I
  • ロシア語表記=Тиглатпаласар I
  • 中国語表記=提格拉特〓拉沙〓一世
    (〓は表示できない漢字)

活用や検討

活用

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重要な改訂の情報

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検討

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更新日時:2008/06/08 00:38:08
キーワード:
参照:[歴史上の実在人物] [シャムシ・アダド4世] [ティグラト・ピラセル3世] [アッシュル・ベル・カラ] [アシャリド・アピル・エクル]
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