アッシュル・ダン2世
- アッシュル・ダン2世 アッシュル・ダン にせい (Ashur-dan II) 簡易版
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アッシュル・ダン2世は、紀元前10世紀の後半に、数十年間、アッシリア?の支配者を勤めた人物。
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アッシュル・ダン2世は、先代にあたるティグラト・ピラセル2世の息子だった。父の死後、アッシリア王位を継承。統治年は、B.C.935年〜B.C.912年で、足掛け24年に渡った。
アッシュル・ダン2世の治世は、現在のスタンダードな歴史整理では、普通、中アッシリア時代?の末期とされる。しかし、近年、先々代アッシュル・ラビ2世の長期統治以降数代を「中アッシリア時代から新アッシリア時代への過渡期」とみなし、“アッシリア回復期”などと呼ぶ説も唱えられている。あるいは、「アッシュル・ダン2世の代からを新アッシリア時代と整理しよう」との意見もあり、議論は多い。
アッシュル・ダン2世の前までのアッシリアは、中アッシリア時代末期の紀元前12世紀末頃から西方より侵出してきたアラム系諸族によって弱体化し、混乱していた。ことに、ティグラト・ピラセル2世までの数世代は、記録すら乏しく、いわゆる暗黒時代?にも似た様相が数代続いていた。
アッシュル・ダン2世の代から、その事跡や治世に関する記録が回復してくる。
史料の量はまださほど多くはなっていないが、記録によれば、アッシュル・ダン2世は、「アッシリア領に侵入してきたアラム系諸族を制圧した」と伝えらている。しかし、別の記録では「アッシリア領の国境を堅固にした」ともあるので、おそらくは、アッシリア故地近くまで侵出していたアラム系諸族を、西方に押し返したのかもしれない。
他に、アッシュル・ダン2世は、「州行政を整え」、「農地拡大を推し進め」、「食糧生産を著しく増やした」。
逆を読めば、ティグラト・ピラセル2世までの数代に渡るアッシリアは「国境が堅固でなく」、「州行政の機構も乱れ」、「農耕地は疲弊、縮退し」、「食糧生産も落ち込んでいた」ということだったのだろう。
ともあれ、アッシュル・ダン2世の跡を継ぐことになるアダド・ニラリ2世の代から、アッシリア国家は再度、活性化に向かい、数世紀前の領土回復に挑んでいくことになる。現在、研究者の間では「アダド・ニラリ2世以降のアッシリアが拡大路線に転じることを可能にした基盤は、アッシュル・ダン2世の治世中に整えられた」とする意見が、かなり多い。
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参照:[新アッシリア時代] [ティグラト・ピラセル2世] [アダド・ニラリ2世] [小辞典ワールド編] [アッシュル・ニラリ4世] [歴史上の実在人物]