アッシュル・ナツィルパル1世
- アッシュル・ナツィルパル1世 アッシュル・ナツィルパル いっせい (Ashur-nasir-pal I) 簡易版
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アッシュル・ナツィルパル1世は、紀元前11世紀の半ばから後半に二十数年間、アッシリア?の統治者だった人物。
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アッシュル・ナツィルパル1世のアッシリア王位在位期間は、B.C.1050年〜B.C.1031年の、足かけ22年。
治世を現在の時代区分で言うと、中アッシリア時代?の末期にあたる。
アッシュル・ナツィルパル1世は、先代にあたるシャムシ・アダド4世の息子だった。アッカド語に基づく王名「アッシュル・ナツィル・アプリ(Ashur nasir apli)」は、「アッシュール神は後継者を守護する」と言った意味。
アッシュル・ナツィルパル1世の治世は長めだったが、アッシリアは紀元前12世紀末から東進していたアラム人諸部族にいよいよ追い込まれたらしく、西方領土の一部喪失が確定的になった。
これらの地方には、この頃からアラム人の部族国家が幾つか分立したように思われる。あるいは、アッシリア領に疫病が蔓延したこともあったかもしれない。
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アッシュル・ナツィルパル1世の父で先代のシャムシ・アダド4世は、クーデタで王位を簒奪した、と考えられている。シャムシ・アダド4世が、アラム人によるアッシリアの混乱に付け入ったのか、あるいは、国家を建て直そうと乗り出したのかは、定かでない。
どちらにしろ、5年間しか在位できなかったシャムシ・アダド4世は、有効なアラム人対策を打ち出せなかったようだ。
息子のアッシュル・ナツィルパル1世は、と言うと、二十数年の治世を通じ、やはり有効なアラム人対策を打ち出せなかったようだ。
アッシュル・ナツィルパル1世の事跡記録は、主に宗教関係のものに占められている。
例えば、病気治癒を神に祈り、神殿に供物を収めた記録、西方領土喪失に際し、女神イシュタルに加護を願った祈願文などだ。イシュタル女神への祈願文で、自身のことを「悲しみにくれる者」と述べている例が知られている。
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参照:[歴史上の実在人物] [小辞典ワールド編] [シャルマネセル2世]