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サーン巨人

サーン巨人 サーンきょじん (The Cerne Giant) 暫定版

記事内容追加調査中の暫定版です

PCが予め知ってていい情報

 「サーン巨人」は、U.K.(連合王国)南西イングランドにて、ドーセット中部南寄りに位置するサーン・アバスの村に遺る巨人像。村の真北に位置する小高い丘中腹の地面に刻まれている。「サーン・アバス巨人」とも。

追加情報

小辞典版推奨判定
「歴史+知性 目標値10〜12」「情報+知性 目標値12〜14」
やや詳しい情報 サーン巨人は、典型的なチョーク・フィギュアで、幅と深さが30cmほどに刻まれた溝で描かれている。かなりデザイン化された線描で刻まれた全裸の男性像。
 図像の高さは55mほど、右手で振り上げている棍棒は37mほど。図像の最大横幅は、51mほど。
 勃起したペニスが描かれていることから、“Rude man(無作法な野郎)”の別称も持つ。
 刻まれているのは、さほど急斜面でもないので、図像の全体像を最もよく見られるのは、シャーボーン?に向かう地方道A352沿いの斜面からか、熱気球のサービスで上空から眺望するかになる。
小辞典版推奨判定
「交流+知性 目標値10〜12」「歴史+知性 目標値12〜14」
やや詳しい情報 サーン巨人の頭の上には、古くはメイ・ポール祭りの舞台に用いられていた小さなマウンド(塚)が位置している。
 16世紀の記録に、地域の民俗的な祭りがサーン巨人と塚の周辺で営まれていたことが記されている。この祭りは、1635年に教会から禁止されるまで続けられていた。
 その後も、勃起したペニスで有名な巨人像は、子供を得られない夫婦などが訪れる民俗信仰のスポットとなり、この伝統は現在も続いているようだ。ちなみに、ヴィクトリア朝時代の一時期、当時の道徳観に従って、図像の局部にあたる溝が埋められ、ペニスが隠されていたことがある。

【参照】


小辞典版推奨判定
「歴史+知性 目標値12〜14」
詳しい情報 巨人像がいつ刻まれたかについては、「2000年前」とも中世初期とも言われるが、現在の研究者の間では「17世紀のイングランドの内戦期」説が主流説になっている。
 サーン巨人自体について記された記録で、現在知られる最も古いものは1694年に記されたもの。それ以前の記録は、スポットや地域の民俗的祭りについて記したもので、巨人像自体についての定かな記録は知られていない。地域に伝わる伝承では、巨人像は地域にキリスト教がはじめて伝わった時期にすでに刻まれていた、とも言う。
 現在主流の「内戦期製作説」は、巨人像が「イングランドのヘラクレス」と異名をとったオリバー・クロムウェル?を揶揄する意図で作製された、とするもの。
 近年の考古学的調査では、現在は空手になっている巨人の左腕に、かつては獣の皮を下げている図像が刻まれていたことが知られている。これは、「イングランドのヘラクレスを揶揄した図像」説の傍証とされている。蓋然性としては、地域で民俗的な祭りが営まれていたスポットに、政治的な意図で巨人像が刻まれたことが考えられている。
小辞典版推奨判定
「交流+知性 目標値12〜14」
詳しい情報 地域に伝わる伝承では、かつて巨人が殺された後に、サーン・アバスの村人が巨人像を刻み丘に封印した、とも伝えられている。

GM向け参考情報

サーン・アバス村へのアクセス

 サーン・アバス村は、ドーセットの行政中心ドーチェスター?の北13kmほどの谷あいに位置するひなびた村。16世紀の家屋や修道院跡(現在は個人の住宅として利用されている)の遺る村で、ドーチェスターからはバスで20分ほど。

 ロンドン方面からの自動車移動だと、高速道M3を西進して来て、M5に連絡する手前のインターで下り、シャーボーン?方面から地方道を経由して南下してくるルートが早いか(?)。

【参照】

  • サーン・アバス村の公式サイト(英文)
     サイド・バーのメニューから、“MAP”を選ぶと、サーン・アバス村の地図が見られます。
    “GETTING THERE”を選ぶと、周辺のロード・マップが見られます。

活用や検討

活用


検討

  • 検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は書き換えられても仕方なし、ってことで)

更新日時:2006/04/13 17:03:47
キーワード:
参照:[ドーチェスター,ドーセット県の〜] [チョーク・フィギュア] [ドーセット,イングランドの〜] [遺跡]
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