ケバラ洞窟
- ケバラ洞窟 ケバラどうくつ (Kebara Cave) 簡易版
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ケバラ洞窟は、イスラエル領沿岸中北部で、ハデラ?の北に位置するカエサリア?の町から、北西方向に5kmほどにあたる。断層崖がなしているワディ(涸谷)の、標高60m〜65mほどに開口部を持つ。洞窟の地質は石灰岩。
現代ヘブライ語による地名は、「メアラト・ケブラ」。
およそ6万年ほど前、旧石器人の狩猟採取集団が、キャンプ地のように用いはじめた、と思われる洞窟遺跡。その後、断続的にいくつもの狩猟採取集団が不定期に用いた、とされる。
1984年に発掘された、ほぼ完全なネアンデルタール人の遺骨化石(頭部以外は、ほぼ全身が揃っていた)「モーシュ(Moshe)」で有名。
しかし、研究者の間では、B.C.18,000年頃からB.C.11,000年頃まで続いたケバラン・タイプの石器の、標識遺跡としても重視されている。
ケバラン・タイプの出土遺物は、ケバラ洞窟、及び、周辺の発掘調査を基準に、B.C.18,000年頃〜B.C.12,500頃までのケバラン(ケバラ文化)と、それに続く、B.C.12,500頃〜B.C.11,000年頃までの幾何学ケバランとに大別されている。
【参照地図】
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ケバラ洞窟では、1931年に最初の人骨化石である「1号幼児骨」が旧石器時代中期の遺跡層から発掘された。地域紛争などもあって、重点的な発掘調査が実行されたのは、1980年代以降のこと。現在までに、周辺地域も含め、かなり綿密な調査が重ねられてきている。
ケバラ洞窟と周辺から出土するケバラン・タイプの石器は、縦長の細石刃の多用で特徴付けられ、多くの場合、2次加工がなされているのも特徴。
石器の器形だけ見れば中石器文化?に分類されてもおかしくはないが、シリア・パレスティナ地域?の考古研究では、旧石器時代のより古い工芸(石器製作技術)からの継承が重視され、旧石器時代末期、あるいは、続旧石器文化などと区分されている。
ケバラン・タイプの石器文化は、B.C.11,000年前頃からとされるナトゥーフ文化?(ナトゥーフィアン)にとって代わられていくのだが、この間、1万4千年前頃(B.C.12,000年頃)を境として、シリア・パレスティナ地域は南から湿潤化した。ケバラン式石器文化の分布圏も、ナトゥーフィアン石器の分布圏より南に偏っている。
研究者の間では、ケバランからナトゥーフィアンへの変質の方を、両者の継続性より重視する研究トレンドの方が、主流になっている。
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参照:[小辞典ワールド編] [遺跡]