ミールの息子たち
ミールの息子たち
ミールのむすこたち
簡易版
- 英語表記
- sons of Mil,or,Milesians
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アイルランドの神話、伝説では、「ミールの息子たち」は、「ミール又は、ゴイデル・グラスに率いられて、イスパニア?に移住した1族」と語られ、ガリシアに居を構えていた、かのように伝えられている。
ミール(又は、ゴイデル・グラス)の死後、甥の1人だったイースがアイルランド島に渡航。当時島を支配していたトゥアター・デ・ダナンの王3人に殺された。イースの復讐のため、ミールの8人の息子たちは、イースの9人の兄弟らを伴ってアイルランドに侵攻。戦いの末、トゥアター・デ・ダナンに打ち勝ち、アイルランドの支配権を得た、−−と、いうのが、伝えられている物語の大筋だ。
戦いを生き延びたミールの息子たちは、8人兄弟の内、エバー・フィン?、エレモン?、アマージン?の3人だった。エバー・フィンはアイルランド島の南半分を、エレモンは北半分を支配。吟遊詩人でもあったアマージンの配下は、別れてエバー・フィンとエレモンに仕えることになった。
「ミールの息子たち」は、直接には、物語で語られる8人兄弟、あるいは8人兄弟にイースの兄弟9人も加えた親族集団を指すが、後世、物語を根拠に支配の正統性を唱えた諸部族や王朝の間で、彼らの祖先と信じられた集団全体を指すように用いられた。
「ミールの息子たち」の物語は、11世紀頃、神話的な歴史譚を再編したと思える編者不明の『アイルランド来寇の書?』にも見られる。
後世の研究者たちは、『アイルランド来寇の書』に見られる「ミールの息子たち」の物語には、5世紀頃にガリシア地方?の修道士だったオロシウス?が著作した歴史書の影響が濃厚、と考えている。
『アイルランド来寇の書』に見られる、あるいはそのルーツになった「ミールの息子たち」の物語は、アイルランド各地の部族や地方政権の間で、正統性の根拠として様々に用いられた。
12世紀頃から、イングランド王国のアイルランドに対する介入がはじまり、徐々に強まると、アイルランド諸侯の地域支配が正統であることを主張するかのように、以前の歴史物語を典拠に用いた歴史書が書かれることが目立つようになった。
しかし、アングロ=アイリッシュ諸侯の側でも、「イングランド王チャールズ1世は、実は、ガラム(ミールと同一視された人物の1人)の子孫で、そのアイルランド支配は正統」と主張する歴史書が書かれたりした。17世紀前半のことだ。
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参照:[神話、伝説のキャラクター] [小辞典ワールド編] [スコタ] [トゥアター・デ・ダナン] [エーリゥ女神] [ミール]