パールシー
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「パールシー」は、グジャラート語?で「ペルシア人」を意味している。7世紀〜8世紀頃、ペルシアを離れたゾロアスター教徒たちが、各地に分住しながら、エスニック・グループ化した集団。
「パールシー」に対して、現在もイランに居住してるゾロアスター教徒は、ペルシャ語で「ザルトシュティー」と呼ばれる。
概数で15万人以上と言われるパールシーは、その半数ほどが、歴史的なグジャラート地方に居住し、ことにムンバイに多い。他に、パキスタンに数千人、スリランカに数百人が、コミュニティーをなして居住。
北アメリカでは、U.S.A.(合衆国)とカナダを併せて数千人が居住しているとされる他、U.K.(連合王国)にも、コミュニティーが知られている。
歴史的には、パールシーたちは、ペルシア地方から南アジアに移住しながら、グジャラート地方に入った集団が、中心になってコミュニティーを存続させてきた。その後、さらに各地に再移住したグループも出た。主流としてはグジャラート語を母語にしているが、南インドや北アメリカ、そしてU.K.のパールシーには、英語?を母語にしているサブ・グループも多い。
現在、「ゾロアスター教は、イラン系の民族宗教?」とみなされることが多いが、本来は、改宗者も受け入れ、世界宗教?への指向も持っていた。しかし、パールシーたちの集団は、移住先では、おそらくコミュニティーの伝統を守り伝えようとして閉鎖的になり、グループ外から新たな入信者を迎え入れない伝統を持つようになった。
ただし、北アメリカに転出したパールシーの新世代の内には、特にU.S.A.で、コミュニティーの伝統を改め「ゾロアスター教会」を新たに開く動きも生まれている。
他方、パールシーのコミュニティーには、閉鎖性や伝統保守主義と矛盾するような、博愛主義や進取の気風も目立つ。これは、南アジアのパールシーたちが、主に、商工業や交易業を生業にしたことと関係していたのだろう。
南インドのパールシーには、地域の経済に大きな影響力を持つ家系が目立つ。例えば、タタ・グループを築き、経営中枢を握っているタタ一族が、成功者パールシーの代表格と言えるだろう。
もちろん、こうした家門は、パールシー内の多数派ではない。しかし、成功者の社会的な存在感から、他のエスニック・グループからは、しばしばパールシーと言えば富裕な商人、経済人といった色眼鏡で見られがち(この辺の事情はアルメニア人、ユダヤ人や、いわゆる華僑と同様のパターンだ)。
グループの内に、交易商の比率も高かった南インドのパールシーたちは、多くがインド帝国時代にU.K.政庁とも関係し、インド在住の他のエスニック・グループから反感を抱かれがちだった。
他方、ブリティッシュ・エンパイアー(大英帝国)からのインド独立運動に、経済面から積極的に支援したパールシーはタタ一族以外にも少なくなかった。
彼らの多くは、貿易業に従事していて、英語を母語か母語に準じた日常語として身につけたサブ・グループだった。独立後のインド共和国では英語の公的位置づけに多くの議論が交わされたが、「現状のように、準公用語に位置づけられたのは、富裕なパールシーが、その経済的、社会的な影響力を用いた結果だ」とは、しばしば語られる真偽の定かでない説だ。
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参照:[ジャムシェトジー・ナッセルワンジ・タタ] [歴史上の実在人物] [アッシリア人] [タタ・グループ]