アッシリア人
PCが予め知ってていい情報
「アッシリア人」は、イラク共和国、シリア=アラブ共和国、トルコ共和国、U.S.A.(合衆国)の他、旧ソ連?構成国の複数に別れて住むエスニック・グループ。
古代アッシリア人?と区別するために「現代アッシリア人」と呼ぶこともあるが、もちろん、当事者の前でそのように呼ぶことは失礼にあたることは、ワールド・ワイドな調査にあたるブルーローズの諸君には言うまでもあるまい。アッシリア人の前では「古代アッシリア人」を区別する方が、はるかに無難である。
調査活動に熱中していると、ときとして忘れがちになるかもしれないが、世界は考古学や歴史学を中心に動いているわけではない。調査に際しては、TPOに配慮して言葉を選んでほしい。
追加情報
- 小事典版推奨判定
- 「情報+知性 目標値10〜12」「交流+知性 目標値12〜14」
- やや詳しい情報 アッシリア人は、アッシリア正教?(カルデア教会)に属す比率が多い。ユダヤ人?やパールシーなどと同様に、宗教帰属が主原因になって、周囲の社会から事実上の民族として扱われるに至ったエスニック・グループの1例。
- ただし、現在は、集住地域ごとに、帰属する宗教も幾つかに分かれてきている。カルデア教会はそれらの宗派の内の多数派というのが現状。
- 総人口は、総計30万人とも100万人とも150万人とも言われ、定かではない。
- イラクのアッシリア人人口を150万人とする説もあるが、この統計上の数値はにわかには信じがたい。あるいは、イラク国籍のキリスト教徒を一括した数値かとも思われる。
- 2006年現在、イラクでは、キリスト教会やアッシリア人集住地区への武力襲撃も多く、国外に脱出するアッシリア人が増えている。
- 小事典版推奨判定
- 「言語+知性 目標値10〜12」「交流+知性 目標値12〜14」
- やや詳しい情報 アッシリア人は、現代アラム語の諸方言を母語使用している集団が主流。カルデア教会でも、アラム語聖典が用いられる。
- 小事典版推奨判定
- 「歴史+知性 目標値10〜12」「情報+知性 目標値12〜14」
- やや詳しい情報 アッシリア人は、19世紀末まで、アナトリア東部の山岳地帯で比較的平穏に居住していたと思われる。末期のオスマン=トルコ帝国が、統治力の低下に対し、イスラム主義を押し出すようになった頃、1878年に帝国政権中央の命令を得たクルド人集団が、アッシリア人の居住地を数次に渡り襲撃。多数が殺害された。カルデア教会に属すアッシリア人の存在が、欧米諸国に知られるようになったのは、この後のこと。
- 1886年には、U.K.(連合王国)のカンタベリー大僧正がアングリカン・チャーチ?の伝道団を派遣。前後して、U.S.A.(合衆国)のプロテスタント教会の幾つかも、ヴァン湖周辺に伝道所を設けた。
- 第1次世界大戦?がはじまると、オスマン=トルコの迫害を恐れたアッシリア人たちの多くが、U.K.当局の支援を期待して現在のイラク北部に移住したが、かえってこの地のクルド人との抗争が激化した。
- 第2次世界大戦前の1933年には、すでに独立していたイラク王国で、アッシリア人自治区を求める動きもあった。イラク政府はこの要求を認めず、武装難民と化したかなりの集団が、現在のシリア北部へ向かった。当時のシリアを信託委任統治していいたフランス当局はこれを阻み、イラクに戻った武装集団はイラク軍と交戦、投降者の多くは、反逆者として処刑された。
- 小事典版推奨判定
- 「情報+知性 目標値12〜14」
- 詳しい情報 現代アッシリア人の伝統的な宗教帰属は、カルデア教会だが、イラク領内に残存していたカルデア教会と、アッシリア人のカルデア教会には、教義や儀式の食い違いもあるようだ。U.S.A.に亡命したアッシリア人が開いている教会の多くは「アッシリア教会」を名乗っているようだ。
- 小事典版推奨判定
- 「歴史+社交 目標値12〜14」
- 詳しい情報 アッシリア人の教会は、古代ネストリウス派の流れを汲む教会と思われるが、イラク領内のカルデア教会共々、ネストリウスの教義をそのまま伝えたものとは思われない。おそらく、ネストリウス以降にもローマ領を追放された異端派聖職者が複数依り、長い時間をかけ、独特の教義を練り上げてきたものだろう、と思われる。
- 問題は、アッシリア人の教会や、カルデア教会の多くで、教会伝承としては、ネストリウス派を伝承している点だ。この点は教会伝承としては尊重しながら研究する姿勢が重要になる。
- 同様のことは、アッシリア人の一部が、自分たちの系譜を古代アッシリア人?の後裔と称すことがあることについても言える。仮にそうした系譜関係があったとしても、母語がアッシリア語からアラム語に変化したうえ、キリスト教を受容した後、民族的近縁性は途切れたものとみなせる。が、この件も、歴史伝承としては、それなりに尊重する必要もあるだろう。
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参照:[現代アッシリア人] [クルディスタン]