ラメセス5世
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ラメセス5世は、第20王朝の第4代ファラオにあたる。その在位期間は、4年と目されている。
即位年については、B.C. 1149年とされることが多い。しかし、B.C.1145年とする説もある。
ラメセス5世は、先代にあたるラメセス4世の息子だった。
ラメセス5世の墓地は、王家の谷?に位置し、発掘されている。墓所から発掘された土器片に記されていた文書によれば、「ラメセス5世は、ラメセス6世の治世2年目に埋葬された」とある。
古代エジプト王朝のスタンダードでは、通例、ファラオ?は、継承ファラオの即位から70日以内に埋葬された。この慣例から考えると、「ラメセス6世の治世2年めに埋葬された」背景には、何か異常な事態があったのかもしれない。
あるいは、単に、6世が5世の治世中に共同統治者に任じられた、と考えることもできる。実は6世は5世の叔父にあたる人物だったので、共同統治者になったとは考えづらい。5世の治世中に内乱が起きた、と考える研究者もいる。
さらに5世は6世に幽閉され、獄死したと想像している者もいる。
ラメセス5世のミイラは、アメンヘテプ2世?の墓所から発掘された。
顔面には、生前天然痘を患っていたことを示す、あばたの跡が残っていた。頭部に大きな傷跡らしきものが見られ、これが死因ではないかと推測する研究者もいる。しかし、死後にミイラが盗掘された時にできた損傷跡かもしれない。
遺体には、普通のミイラと比較してずっと大きな内臓取り出し時の切開跡が、体の左側に残っていた。
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ラメセス5世の統治期と思える古代記録によれば、当時のエジプトは、テーベ?のアメン神官団が、その影響力を強めていった時期だったらしい。
また、デイル・エル・メディナから発掘された、古代の日録によれば、ラメセス5世の治世中、「“敵”の侵攻により」王墓作りが中断した時期があった、とされる。この“敵”については、リビア系遊牧集団と見る意見と、内乱についての記録とみる意見とがある。
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参照:[ラメセス11世] [小辞典ワールド編] [ラメセス6世] [ラメセス4世] [歴史上の実在人物]