ラメセス4世
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ラメセス4世は、第20王朝の第3代ファラオにあたる。その在位期間は、6年と、長くない。
即位年については、B.C. 1155年とされることが多い。しかし、B.C.1151年とする説もある。
ラメセス4世は、先代ラメセス3世?の息子だった。父3世の統治期間が長かったため、おそらく40代で即位したと思われる。兄が先立った後、ラメセス3世の治世22年目に皇太子に定められたことが、知られている。
母親については、定かではないが、イシス妃かティティ妃だろうと、推測する研究者は少なくない。
ラメセス4世の墓所は、王家の谷?の東谷外縁部に位置。古くから存在が知られていた墓所で、壁画や石棺などはほぼ往時の状態で遺されているが、入り口付近の壁には、後世に記されたコプト語の落書きが多数見られる。
4世のミイラは、1898年に、王家の谷のアメンヘテプ2世の墓所から発掘された。
「3世のような長い治世」を祈念して碑文にも刻んだ4世だが、その治世は6年と短かった。しかし、即位時の年齢が、当時としては高齢だったので、死没は自然死だろうと思われている。
即位し、3世の埋葬儀式を執りおこなった後、4世は、シナイ半島のトルコ石鉱山と、ワディ・ハンママートの石切適地とに、かなりの人数の兵団を派遣している。3世の統治を継承したファラオ?として、意欲的だったことがうかがわれる。
ワディ・ハンママートの石切り場跡に遺る碑文からは、派遣された兵団が労働者を監督し、石材を採掘したようだ。
4世は、父3世が増築したカルナック神殿をさらに拡張する計画、ハトシェプスト葬祭殿の近傍に、別の葬祭殿を新たに建造する計画を抱いていた。
4世は、他にヌビア地方の、第2急湍〔きゅうたん〕近くにあるブヘンの砦に遠征を命じてもいる。
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参照:[ラメセスナクト] [歴史上の実在人物] [小辞典ワールド編] [ラメセス5世] [ラメセス6世]