アングロ・アフガン戦争
PCが予め知ってていい情報
特になし。
「アングロ・アフガン戦争」については、関連技能を持たないPCは、予備知識なしの処理で不自然ではないと思われます。
追加情報
- 「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。
- 小辞典版推奨判定
- 「歴史+知性 目標値8〜10」「軍事+知性 目標値10〜12」「情報+知性 目標値10〜12」
- 簡単な情報 (シナリオによっては、ゲーム前ブリーフィングでプレイヤーに伝えるGM裁量をしてもいいかもしれない)
- 「アングロ・アフガン戦争」とは、アフガニスタン王国?と、U.K.(連合王国)の間で戦われた戦争の総称。19世紀から20世紀に戦われた1次、2次、3次の戦いが含まれる。
- 「第1次アングロ・アフガン戦争」は、1838年〜1842年に戦われた戦争。1830年、1838年の帝政ロシアによるアフガニスタン攻撃の後、U.K.寄りの政権をアフガニスタンに復権させる狙いでU.K.の東インド会社軍が侵攻。目的は一旦達せられたが、ゲリラ戦や大規模蜂起で親U.K.政権は瓦解。U.K.軍は撤退したが、最終的には、アフガニスタン王国は、U.K.の保護国となる条約を結んだ。
- 「第2次アングロ・アフガン戦争」は、1878年〜1881年に戦われた戦争。1878年、帝政ロシアとの結びつきを強めたアフガニスタン王国に対し、U.K.の東インド会社軍が侵攻した。U.K.軍は、新たに即位したアフガニスタン王国のアミールを承認するのと引き換えに、アフガニスタンがU.K.の保護国であることを確認させ、撤収。数年後、デュランド・ラインの国境線が策定された。
- 「第3次アングロ・アフガン戦争」は、第1次世界大戦?直後の1919年に戦われた戦争。U.K.の保護国だったアフガニスタン王国が、完全な独立とパシュトゥニスタン?の回復を唱え、当時のU.K.領インド(の内、現在のパキスタン領)に侵攻。3ヵ月ほどで、U.K.側優位の内に収拾されたが、大戦で疲弊していたU.K.は、アフガニスタン王国の完全独立を承認。ただし、アフガニスタン側も、デュランド・ラインを再承認せざるを得なかった。
GM向け参考情報
- GM向けの補足情報、マスタリング・チップス、アイデア・フックなど。
「増補待ち」。
リンク
活用や検討
活用
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キーワード:
参照:[デュランド・ライン] [第3次アングロ・アフガン戦争] [第2次アングロ・アフガン戦争] [第1次アングロ・アフガン戦争] [+αのワールド用語]