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カーライル,イングランドの〜

イングランドのカーライル 
(簡易版)

簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。

英語名
Carlisle
フランス語表記
Carlisle

PCが予め知ってていい情報

  • 「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。

 「カーライル」は、北西イングランド?北部のカンブリア県?で、北端部を占めている「カーライル都市圏」(郡に相当する行政区)及び、同都市圏の中心「カーライル市」を指す。

 カーライル都市圏は、カンブリア県で最も人口が多く、カーライル市はカンブリア県の行政中心地も兼ねている。

 カーライル市の北西にあるエデン川?河口部はハドリアヌスの長城の西端だった。カーライル都市圏では、北部の数ヵ所で、長城基台部などの遺構が見られる。

【参照地図】

やや詳しい情報

  • 「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。

 イングランドの北縁に位置するカーライル市は、古くからカンバーランド?の中心的都市で、かつてはイングランド王国?とスコットランド勢の間で、争奪が繰り返された。

 エデン川?、カルデュー川?、ペットリル川?の合流点あたりに立地。

 ニューキャッスル・アポン・タイン?の概ね西方にあたり、地図上の直線距離で115kmほどに位置。ランカスター?の概ね北で、地図上の直線距離145kmほど。グラスゴゥ市の概ね南で、地図上の直線距離150kmほど。

 カーライル大聖堂などのある旧市街は、エデン川の左岸、カルデュー川の右岸に立地。カーライル市の現在の市域は、さらに広い。

 都市圏(行政区)の面積は、1,039.97平方km。居住人口は、10万人強(2006年)。

 カーライル市は、古くから交通の要衝を占めた都市だ。現在も、中心市街地の東方に、イングランド南方から続いてくるMナンバーの国道が敷設されている。この国道は、カーライル市の北方で、一端、Aナンバーの主要地方道に接合しているが、スコットランド側で、再度、グラスゴゥまで続くMナンバー道路に接合。他に、Aナンバーの主要地方道2、3本が連絡し、スコットランド各地に続いている。

 カーライル都市圏の内では、概ね南北に断続している上記のMナンバールートに、さらに東西からAナンバーの主要地方道複数も連絡している。鉄道も、ウェスト・コースと・メイン・レールウェイ線、他が乗り入れている。

 観光客にとっては、「湖水地方?に至る玄関にあたる都市」とのイメージが強い。

【参照地図】
  • カーライル都市圏領域図(Wikimedia Commons
    Image:Cumbria outline map with UK
    地図中太い黒線でくくられた地域がカンブリア県?。北端部の地区がカーライル都市圏。
    カーライル都市圏の内で、濃いグレイに彩色されている部分が、都市化した市街地。カーライル市は、都市化エリアの内に含まれている。都市化したエリアを横切っている川(エデン川?)の左岸に面したあたりに、カーライル市の旧市街がある。
    カーライルの市街地エリア東方に、南から続いてる道路がMナンバー。地図では、市街地の北で一端途切れているが、Aナンバーの道路に接合し、スコットランド側のMナンバー道路に続いている。

 カーライルは、19世紀には繊維産業で知られていた。現在は、繊維産業の他に、機械工業、酒類醸造業、食品加工なども営まれている。これらの産業は地域では斜陽化し低迷が続いている。

 現在、地方自治体では、軽工業、食品加工業、醸造業に重点を置いた地域振興に力を入れている。2005年には、フェアトレード都市?として認定されている。


 古代に地域に侵出したローマ人たちは、自分たちの居留地を「ルグウァリアム(Luguvalium)」と呼んでいた。ローマ人の侵出以前は、ウェールズ語?系統のケルト系言語を使う人々の生活圏だった、と思われる。

 ローマ人は、72年〜73年頃に木造の砦を建造、103年〜105年頃に破壊され、後、再建された。

 122年から10年ほどをかけてハドリアヌスの長城が築かれると、砦も、長城防備システムの一環に組み込まれた。砦は、165年頃、石造に改築された、と伝えられている。

 ローマ軍がブリタンニアから撤退した後、砦を中心にした地域が、カルヴェティ族?の首邑になったようだ。カルヴェティ族はローマ勢に協調的で、かなりローマ化したブリトン人だった。現在も地域の地名にケルト的なものが多いのは、ローマ軍撤収後に再度用いられるようになった地名が、変遷しながらも続いているのだ、と推定されている。

 地域は9世紀には、現在のカンブリア県の概ねと共に、ブリトン系のストラスクライド王国?に治められた。

 後、地域は、アルバ王国?の支配を経てスコットランド王国?の勢力圏に。この頃からスコットランド王国?とイングランド王国?との間での争奪が繰り返されるようになっていった。1092年にはウィリアム2世?の命で、現在も遺るカーライル城が建てられた。カーライル城の位置に、ローマ時代の砦があった、と伝えられている。

 1122年、後のカーライル市(旧市街)の位置に、修道院の分院が設けられた。この修道院(分院)は、1133年に教区大聖堂に改築された。17世紀の内戦で、それまでの大聖堂はかなりの破壊を被り、現在遺っている建物は、19世紀半ばに修築が終了したものになっている。

GM向け参考情報

参照地図

補足情報

  • 2005年1月、カーライル市、及び都市圏の一帯は、大規模な水害に見舞われた。市内に通じる道路ほとんどすべてが水没したほどで、「1822年に地域を襲った洪水以来、最悪の被害」と言われた。

カーライル関連の著名人物

  • メアリー・ステュワート?=1542年に生後6ヵ月で、スコットランド女王位に就けられ、1548年に反乱で王位を追われた。1568年に一時期、カーライル城に幽閉されていた。1587年刑死。

別称類

主要国の言語
  • 英語名=Carlisle
  • フランス語表記=Carlisle
  • スペイン語名=Carlisle
  • アラビア語名の音=(調査中)
  • ロシア語表記=Карлайл
  • 中国語表記=〓〓爾
    (〓はそれぞれ表示できない漢字)
その他
  • ウェールズ語名=Caerliwelydd

活用や検討

活用

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更新日時:2008/05/23 16:41:10
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