タラの丘
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タラの丘は、南北318m、東西264mほどの不定形な面を上部にした低い台地状のマウンド。「ファールの岩」と呼ばれている立石(メンヒル)?など、複数のモニュメントが見られる。
アイルランド・ゲール語では古くから“Teamhair na R?”(王の丘)と呼ばれた史跡。アイルランドの歴史伝承では、キリスト教化以前アイルランド王(リー・エーレン)?の王宮が営まれていた場所、と信じられていた。
あるいは、「かつて、トゥアター・デ・ダナンの王宮が営まれていた」との伝承も信じられていた。
タラの丘の南方800mには、伝説上の女王メドブ?の砦跡、とも伝えられたマウンド状史跡もある。
考古学調査の結果、タラの王宮?はタラの丘の場所にはなかった、とされている。タラの王宮が物語上の架空の宮殿だったか、どこか別の場所に設けられていたかは議論が分かれるが、少なくとも、タラの丘には宮殿はなかった。
現在の主流説では、タラの丘は、「ケルト系部族のアイルランド侵出以前に遡る祭儀場だった」と目されている。
タラの丘で「リー・エーレン(アイルランド王)」の戴冠儀式がおこなわれていた、との伝承の方は現在も信じられている。
ただし、古代のリー・エーレンは、広域を支配する政治的権力者の称号ではなかった。部族連合間の調停者となるような地位で、諸王の内で、特に宗教的な権威が認められた地位だったようだ。
タラの丘には、計画的な考古学調査が、過去に重ねられている。おそらく、今後も重ねられるはずだ。
これまでの調査では、遺跡の主要部は、紀元前2000年頃まで遡り、1部は、今から5000年前ほどまで遡る、とされている。ケルト系の諸部族がアイルランドに侵出した時代には、すでに祭儀場として用いられて数千年が過ぎていたことになる。
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参照:[ファールの岩] [ミース県] [小辞典ワールド編] [エーリゥ女神] [遺跡] [ボイン川] [アーティファクツやオーパーツ・ソース]