アンテフ1世
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アンテフ1世は、メンチュヘテプ1世の息子。第1中間期?のテーベの支配者の内で、確実にファラオ?を称した最初の人物だったようだ。アンテフ1世の支配権は、テーベとその周辺に限られていたと思われる。従って、上下エジプトの支配者を意味するファラオを称したことは僭称になる。
マネトーの『エジプト誌』など、後世には伝統的に、メンチュヘテプ1世が、第11王朝の初代ファラオと伝えられたが、これは後代の追号だったと思われる。マネトーに準拠して、メンチュヘテプ1世を11王朝初代とみなすなら、アンテフ1世は2代めということになる。
アンテフ1世が、テーベの支配者だったのは、普通は、紀元前22世紀の後半頃とされる事が多い。統治期間は、最大でも16年間と言われるが、これは主にトリノ・パピルス?の断片部分の記述に基づく推測で、あまり定かでは無い。
アンテフ1世の、細かな事跡や人物像は、実はあまりよくわかっていない。ルクソール西岸で、ドゥラ・アブー・アル-ナガル?の墓域に埋葬された。この墓域から発掘された石碑(ステラ)に刻まれた碑文から、アンテフ1世がファラオ?を称していた事は知れる。
アンテフ1世からテーベの支配を継承したアンテフ2世は、1世の兄弟だった。
アンテフ1世が、メンチュヘテプ1世の地域を継いだ頃、その支配圏はテーベと、その極周辺に限られていたようだ。後継のアンテフ2世は拡大政策を採り、ヘラクレオポリス・マグナ?の地方政権(第10王朝?)との戦いが激化していった。
この上エジプトの地域戦が激化した時期が、普通は紀元前22世紀末期、B.C.2118年頃と言われていて、それで、アンテフ1世の没年も、普通はこの時期と目されてる。上エジプトの戦闘激化を、紀元前21世紀の半ば頃とする説もあるが、どちらかと言えばこちらは少数派の説になるだろう。
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別称類
主要国の言語
- アラビア語名の音=(調査中)
- 英語表記=Intef I
- フランス語表記=Antef I
- スペイン語表記=Intef I
- ロシア語表記=Иниотеф I
- 中国語表記=因提夫一世
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参照:[メンチュヘテプ1世] [メンチュヘテプ2世] [アンテフ2世] [小辞典ワールド編] [歴史上の実在人物]