メンチュヘテプ1世
- メンチュヘテプ1世 メンチュヘテプいっせい (簡易版)
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メンチュヘテプ1世の名は、カルナックに遺るトトメス3世?のホールに、ノモスの統治者として刻まれている。
「上エジプトの第一支配者」と称した可能性があるが、これは後代の追号かもれしれない。存命中ファラオを称したとは思えないが、後世いつの頃からか、第11王朝の初代ファラオとして伝えられるようになった。
現在の研究では、テーベの支配者が、確実にファラオ?を称すようになったのは、1世の息子、アンテフ1世の代から、であったと考えられている。
メンチュヘテプ4世の息子(アンテフ1世の兄弟)アンテフ2世の代に、テーベは北方に勢力圏を拡大。ヘラクレオポリス・マグナ?との戦いを断続させるようになった。そして、実際に上下エジプトを統一したのは、アンテフ3世の後継者メンチュヘテプ2世だった。メンチュヘテプ2世は、1世から数えれば王朝の第5代となる。
要するに、メンチュヘテプ1世は、後世ファラオとして伝えられたが、実際は、第1中間期?の地方支配者の1人で、テーベを支配した人物だった。後世、第11王朝の初代として伝えられるようになったのだ。
メンチュヘテプ1世がテーベの支配者だった時期は、紀元前22世紀の前半頃と思われる。あるいは、B.C.2134年頃没したとも言われるが、これは、あまり定かではない推測説になっている。メンチュヘテプ1世がテーベの支配者になった年や、何年間支配したかなどは、現在までのところ手がかりも見出されていない。
GM向け参考情報
- GM向けの補足情報、マスタリング・チップス、アイデア・フックなど
「増補待ち」。
別称類
主要国の言語
- アラビア語名の音=(調査中)
- 英語表記=Mentuhotep I
- フランス語表記=Montouhotep I
- スペイン語表記=Mentuhotep I
- ロシア語表記=Ментухотеп I
- 中国語表記=〓〓荷太普一世
(〓はそれぞれ表示できない漢字)
活用や検討
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キーワード:
参照:[歴史上の実在人物] [小辞典ワールド編] [メンチュヘテプ2世] [アンテフ1世]