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メイデン・キャッスル

メイデン・キャッスル

英語名
Maiden Castle(メイドゥン・キャァスル)

PCが予め知ってていい情報

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 「メイデン・キャスル(メイドゥン・キャァスル)」は、U.K.(連合王国)南西イングランド地域に存在する遺跡。通称で「キャッスル」と呼ばれているが、“Hill Fort(丘の砦)"と呼ばれている類の遺跡。イングリッシュ・ヘリテイジ?に指定されている。

 遺跡地帯でのヒトの活動痕跡は、新石器時代まで遡るものが確認されている。新石器時代末には、生活拠点としての塚が築かれたが、大規模に拡張されたのは、鉄器が導入されたケルト時代のこと。

追加情報

  • 「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。
小辞典版推奨判定
「歴史+知性 目標値10〜12」
やや詳しい情報: メイデン・キャッスル(メイドゥン・キャァスル)は、小高い丘のように見え遺跡で多層の遺構ドーセット県の県都ドーチェスター?から、南西2.4kmほどに位置。
 現在遺っている遺構は、石灰岩質の丘陵を土台にして、粘土質の土で多重の土塁をめぐらしたマウンド(人工の丘)。天然の丘陵部分は、マウンド内に埋め込まれてしまっている。
 B.C.800年頃、丘陵上に最初の砦が築かれた。B.C.600年頃拡張された後、一時放棄された。B.C.500年頃、再建され、B.C.250年頃とB.C.150年頃の2度、大きな拡張を加えられ現在遺るマウンドが構築された。
 鉄器時代にメイデン・キャッスルを拡張したのは、当時、地域で有力だったケルト系部族ドゥロトリゲス族?だったろうと推測されている。
 ドーチェスター?に位置する、ドーセット県立博物館?には、メイデン・キャッスルからの出土品が多数収蔵され、展示もなされている。
小辞典版推奨判定
「言語+知性 目標値10〜12」「歴史+知性 目標値12〜14」
やや詳しい情報: 「メイデン・キャッスル」の遺跡名は、普通ケルト系ブリトン語で「大きな丘」を意味する「メイ・ダン」(mai dun)から訛化したもの、と解釈されている。

  • 「難易度が、ある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。
小辞典版推奨判定
「歴史+知性 目標値12〜14」
さらに詳しい情報: メイデン・キャッスルは、新石器時代の後期からドーセット西寄り地域に多数築かれた「丘の砦(Hill Fort)」の1つ。ケルト時代に拡張され、地域では最も大きな物の1つになった。
 「丘の砦」とは、考古学研究の早い時期に同種遺跡の総称として唱えられた通称。だが、その後の研究で、この類のケルト遺跡は、砦兼、交易拠点で、市のような交易が開かれるスポットだったらしいことがわかってきている。もちろん、高地性の防御構築物としての機能も兼ねていたので、「砦」との解釈も完全な間違いというわけでもない。
小辞典版推奨判定
「表現+知性 目標値12〜14」
詳しい情報: メイデン・キャッスルは、かつて、アーサー王の城の跡と信じられていたことがある。もちろん近代的な考古学が生まれる前の時代のことで。アーサー王の城跡と唱えられた「丘の砦(Hill Fort)」遺跡は他にもあった。
小辞典版推奨判定
「歴史+知性 目標値14以上」
専門的知識: 「メイデン・キャッスル」は、1800平方kmほどの土地を多重の土塁が取り囲んだ構造物。外郭の最大幅は、およそ4.8km。
 多層の外形は、デコレーション・ケーキに似ていなくもない。ただし、ケーキのように円形や方形の整った形はしていない。歪んだ長楕円のような最上部を、4段〜5段の多段土塁が取り巻いている。現状で、広い平地になっている最上部の高さは6mほど。
 断層を4〜5段と書いたのは、段差も整った形状ではないため。土塁と土塁の間は幅が狭く、緩い傾斜のスロープになっていて、段層は場所によって4段、場所によって5段になっている。
 メイデン・キャッスルは、A.D.43年にローマ軍に攻撃された「20(ほど)の町」の1つ、と目されている。ローマ側の古代記録に「町」とあるのは、現在のドーセット各地にあった「丘の上の砦」のことだろう。古代記録によれば、当時これらの「町」に依っていたのは、ケルト系ブリトン人のドゥロトリゲス族?だった、とある。
 1930年代におこなわれた大規模な発掘の時は、「ローマ軍の激しい攻撃で、メイデン・キャッスルに立て篭もったブリトン人は、壊滅的な打撃を受けた」かに解釈された。現在、この解釈は完全否定されたわけではないが、大幅な見直しが考えられている。
 例えば、墓域から発掘された死体は、当初「刀傷などが見られ、戦闘の最中にあわただしく埋葬された」と解釈された。しかし、その後の綿密な調査によると、遺体の刀傷には治療を受けた跡が認められ、戦闘の最中に埋葬されたとも、あわただしく埋葬されたとも断定できない。現在、墓域は「長期に渡って利用された伝統的なもの」と解釈された。
 また、外郭土塁の出入り口近くに見られた焼け跡は、かつては「ローマ軍による攻撃の跡」と解釈されたが、その後の進歩した分析技術によると「長期間使用された結果の焦げ跡」で、「おそらくは、土器製作か冶金作業場の跡」と解釈されている。
 しかし、一帯が43年にローマ軍の攻撃されたことは確かなので、メイデン・キャッスルも攻撃を受けたはずだ、とは考えられている。交易スポットとしてのメイデン・キャッスルは、A.D.70年にローマ人がドゥルノウェリア(現在のドーチェスター?)を創建して以降、急速に廃れたようだ。

GM向け参考情報

  • GM向けの補足情報、マスタリング・チップス、アイディア・フックなど

用法

 メイデン・キャッスル(メイドゥン・キャァスル)への到達ルートについては、「ドーチェスター?」や「ドーセット」の項を参照してください。

 イングリッシュ・ヘリテイジ?に指定されていますので、近傍に管理人が常駐、と想定しておきます。一般人の遺跡入場は有料。ドーチェスターの町に近いので、派手なアクションには向いていないと思われます。

 財団系に限らず、研究者NPCが申請をすれば再調査をおこなっていることにもできるでしょう。例えば、陰謀組織かに関係のあるNPCが、簡単な再調査を偽装して何かを探索していた、なんて導入部はアリですね。

活用や検討

活用

  • このページの記事を踏まえた、アイディア・フック?、使ってみたシナリオ、セッション・レポ、などなど
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重要な改訂の情報

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検討

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更新日時:2007/03/15 01:20:28
キーワード:
参照:[遺跡] [ドーチェスター,ドーセット県の〜] [ドーセット,イングランドの〜]
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