マルティニーク島
- マルティニーク島 マルティニークとう (簡易版)
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マルティニーク島は、南北長が東西幅よりも長い不定形な形状の火山島。東西の最大幅35km、南北の最大長75km。土地面積は、1,128平方km。
熱帯気候帯に属す島で、景観は北部と南部でやや異なる。
全般に山がちだが、北西部の海岸近くに火山であるプレー山(1,397m)が位置。プレー山は1902年に大噴火をおこした。
北部の山地は、比較的険しい山が多く、熱帯樹林に覆われている。海岸は、火成岩の類が崩壊した砂礫で、黒色と灰色が入り混じった磯浜が主。
南部内陸は、比較的緩やかな山地になっている。樹林も多いが、農作地も多い。観光客が多く訪れるのは南部地域。南部の海岸線は、白い砂浜が主になっている。
かつて、フランスやU.K.(連合王国)の植民者たちが開拓し、サトウキビやコーヒーを主作物にプランテーションを経営した。開拓された農耕地は、南部に偏っている。現在も、島を訪れる観光客が巡るのは概ね南部。
島名は、先住カリブ族?の言葉で「花(の島)」を意味したとも、「女性(の島)」を意味したとも言われる。ちなみに、マルティニーク島は、ナポレオン・ボナパルト?の妃になったジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ?が生まれた島でもある。
さらに詳しい情報
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1493年、クリストファー・コロンブス?が海域に到来。この頃は、カリブ族?の部族集団が先住していた。17世紀頃から、西欧人が入植。まず、U.K.系の入植団が入り、前後してフランス?の入植団が入った。
17世紀後半には、フランス人を主にした西欧人入植者たちは、武力をもって先住仮部族を島から追った。1642年、ルイ13世?の勅令で、フランスのサトウキビ・プランテーションで、アフリカからの黒人奴隷を用いることが公認された。こうして、現在のマルティニーク島文化が形成される素地が準備された。
18世紀から19世紀初頭にかけ、島は1、2度U.K.に専用された。いずれの時も戦後処理の外交交渉で、領有件はフランスに変換された。1802年以降は、基本的にフランス領として現在に至っている。
GM向け参考情報
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「増補待ち」。
別称類
主要国の言語
- フランス語表記=Martinique
- 英語表記=Martinique
- スペイン語表記=Martinica
- アラビア語名の音(調査中)
- ロシア語表記=Мартиника
- 中国語表記=馬提尼克
リンク
関連項目
資料リンク
- Wikipedia英語版:Martinique
Wikipedia英語版:Lesser_Antilles - Wikimedia Commons:Martinique
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参照:[北アメリカ州のランド・マーク] [セントルシアの参照コンテンツ集] [マルティニーク島地域圏] [セントルシアの基本情報 2008年版] [グアドループ地域圏] [セントルシアの基本情報 2009年版] [ランド・マーク] [セントルシアの有用地図集] [セントルシア]