アッシリアの王碑文
追加情報
- 小辞典版推奨判定
- 「歴史+知性 目標値10〜12」
- やや詳しい情報 アッシリアでは、原則として「支配者はアッシュル神?の代官、または副王である」との体制が守られた。その意味でも「アッシリアの『王碑文』」とは現代の研究者による便宜的なカテゴリ名になっている。
- これらの碑文テキストは、時々の王朝の外宮で編纂された、と考えられている。
- 王碑文の類から、王朝の組織整備の様子を読み取ることは、アッシリアに限らず、よくなされるアプローチだ。
- アッシリアの王碑文については、アッシュル?市周辺からの出土例が、古アッシリア時代?、中アッシリア時代?には少なく、新アッシリア時代のものは各地から多数が出土している。この落差は注目されると同時に、注意も要す。
- 小辞典版推奨判定
- 「歴史+知性 目標値12〜14」
- 詳しい情報 新アッシリア時代の王碑文は、王の治世中、繰り返し編集と再編集されたものが、諸所の石碑類などに刻まれていった。そのため、同一の出来事について、矛盾する証言が刻まれた碑文がしばしば発見される。
- 研究者の間では、「事件が起きた直後の碑文は、しばらく時間がたってから刻まれた碑文より信頼度が高いことが多い」という判断原則が言われている。
キーワード:
参照:[エジプト誌] [アッシュル・エティル・イラニ] [アッシュル・ナツィルパル2世] [新アッシリア時代] [アッシュル・バニパル] [アーティファクツやオーパーツ・ソース] [考古学、歴史研究の関連用語]